安心、安全、安定と引き換えに起こる「不安」

多くの人が学校を卒業すると半ば自動的に就職します。

就職というのは、企業という組織に自ら属するということで、私たちはある意味でそのために涙ぐましい努力をします。

でも、それはいったいどんな動機からでしょうか?

就職活動

忍336



3A(安心・安全・安定)の渇望

私たちは実際、物心つく頃から今に至るまで数の論理とか集団の力というものを体感的に理解して育ちます。

そうでなくてもひとりぼっちは何となく不安です。何をするにしても集団に属したほうが安全だという心理になりやすいし、それは間違いともいえません。

このようなごく自然な心理を所属欲求などと呼びます。

しかし、単なる集団に属するのと、会社など明確な目的を持った

「組織」

に属するということは、厳密には意味が異なります。

また実際には何も会社などの組織に属することだけが唯一の選択肢であるというわけではありません。

きちんと選択した?

それを踏まえて、でも理性的に主体的に選択した結果として組織に属するのであればよいのかもしれません。

しかし、実際には私たちは、そんなことよりもたいてい人はいつも潜在的な、感情的な理由で行動を選びます。

つまり多くの場合……私たちはじっくりと考える以前に、自分でも自覚できない不安あるいは欲求に衝き動かされて自分の道を選んでしまうことになります。

そしてたいてい「組織」は某かの安心感を実際に与えてくれるのです。ただしその代償として

「すり替え」

に目をつぶりさえすれば……です。

すり替えメソッド ① 不安のすり替え

私がそうだったように、他人に対する原初的な警戒感が強い人や、初対面の人に会うことに過度の不安を抱く傾向を持つような人にとっては特に、組織の傘の下にいる状態はむしろとても過ごしやすく居心地のいい状況ということもできます。

毎日ほとんど同じ顔ぶれに囲まれた自分の居場所があります。

新しい人に出会う機会も減るし、自ら顧客を探したり新しい取引先を開拓したりしなくても収入を得ることができます。

たとえ営業職だとしてもです。少なくとも相手は「私という個人」ではなく「私が属している会社」と関係しているので自分にかかる負荷が違います。

組織という枠組みが背景にあるから思い切って相手にぶつかっていけるということもあります。

そしてたとえ致命的な失敗をしても一個人が直接全責任を取ることはまずありません。

だって会社のためにやってるんですから。

会社のために

「会社のために」という理由付けはとても便利で有効です。

私などにとっては、それが自分の弱点を抑圧するのにちょうど良かったわけです。

それに、この言い方は……反論されにくいです。

むしろ多くの人に共通の、否定しようがない正論ですから。

もちろん仕事にプロ意識を持ちベストを尽くそうとする態度は本当にすばらしいことでしょう。それを否定する必要はありませんが、ただ本来を言えば、それは組織に属しているかどうかとは本来関係ありません。

さらに典型的な問題は、自分にとって都合が悪くなると「会社のために」という言い方は

「これは自分自身の主体的な行動ではない」
「私はやらされているだけなんだ」

というような意味にすぐ流用してしまいがちだという点です。

また……私の場合は心の中で葛藤を生むような自分の弱さ、打算、感安、恐怖といったものを感じたくない場面になると、いつもそれを転嫁するために

「仕事の場では自分の好き嫌い云々は関係ない」
「会社のためにベストを尽くすのは前提だ」
「これはだれかがやらなければならないことである」

というような厳しい仕事観を自分に課すようにしてきました

おそらく……私一個人の感覚だけだったら、そこまでストイックなことを考えなかったかもしれませんし、たとえそう思っていたとしても実際に周囲の人たちにそんなことをはっきり言う勇気も出なかったかもしれません。

なので、振り返って考えると、私の場合はまさに

「会社のため」「組織のため」

というのが自分のよりどころとなっていたわけです。それによって自らの行動を正当化し、美化していたのではないかと思うのです。

多くの人がこのような気持ちを抱えながら「会社のために」という理由にすがって毎日をやり過ごしています。

またむしろバリバリの仕事人間と見える人たちに特にこういう傾向がある気がするのです。

他人を動かす根拠

自分の内面でこういった論理が固定してくると今度はそれを当然に正しいものとして他人にも押し付けたくなります

考えてみると私自身いつも部下に対してはそのようにふるまっていたと思うのです。

組織についての違和感や嫌悪感といったものは、仮に当初は意識していたとしてもだんだん薄れていきます。

それどころか組織の中である程度の地位を占めた暁には、むしろ「仕事だから」とか「会社のために」というような理屈は最も使い勝手のよい理由付けになっていました。

もちろん私は単純にそれだけでは人は動かないということは知っていました。

それに配下の社員たちの雇用とそれぞれの成長や待遇の向上といった問題についてある種の責任も感じていたのです。

自分は案外部下思いのよい上司であり、よい指導者だとさえ思っていました。

相手が望もうと望むまいと……自分さえこの気持ちを忘れなければ

「人の上に立つことができる」

などと、大胆にも私は心からそう信じ込んでいたのです。

しかし今考えると……私が思い描いていた部下の成長や向上というのはまさに

「組織のすり替えを受け入れろ」

と言っているのと同じ意味だったような気がするのです。

そして、それゆえに部下は当然に私の指示命令に服し私の意見を取り入れる義務があると感じていました。

もっと言えば、私の期待に忠実にふるまうのが一番正しいというような不敵な思い入れさえあったと思います。

私は組織の求めるものを理解できないのは、つまり彼らが未成熟だからだと思っていました

そう思い込むと、そもそも持っていた人間関係に対する苦手意識が薄れていった気がします。

新たに生まれる不安

おそらく、たいてい人は組織に属することで精神的な安心感、安全、安定感を得ることができます。

ただし……その代わりごく自然に心を捉えている唯一の不安。

それは自分自身がその組織から排除される不安です

それだけが増幅されてゆくようになります。

「不安のすり替え」

とはこういう心理のことです。

忍336



忍336