段取りの意味とは? なぜこれほど重要視されるのか?

なぜ上司や先輩はわざわざ「段取り」という言葉を使うのか?

なぜ、下準備とか、用意という言葉ではいけないのか?

それは、それなりの意図、ニュアンス……

「段取り」

という言葉に込めた思いがあるからですね。

ただ、たとえば業務ルーチンや作業工程があらかじめ決まっているような種類の事柄について、その手順を再確認するような場合はふつうは段取りとは言いませんよね?

手順を「確認する」ことは段取りとは言いません。

すると、まず言えることは「段取り」という言葉は、そういった日常のルーチンとは異なる、そもそもあらかじめこれと決まっているわけではない、漠然とした事柄の進め方を判断する、決定するというニュアンスの言葉なわけです。

「段取り」という言葉の使い方から見た意味

段取りという言葉は、辞書的な意味としては物事を行う「手順」のこと。また、その手順を遂行するために準備を行うことです。

これを一般的に考えると、

「計画」

という言葉とほぼ同じようにも見えます。

でも、それで良いならだれも苦労はしてないわけで。

あなたはたとえば、会社に出勤して最初に、今日一日のスケジュールを立てることや、ToDoリストを時系列で確認したりするでしょう。それだってもちろん「段取り」の一種と言うことはできます。

ただ、段取りという場合には、たいてい、単に

「えーっと。今日はこれやって、これやって、次にこれがあって……」

と、日程を再確認するというだけでは足りません。

段取りする時に、そこで実際にあなたが考えていることは、たとえば

「一日の業務をどう進めるのが一番スムーズだろうか」

とか、

「絶対に外せない仕事と、何なら今日できなくてもいいような仕事との区別」

とか……でしょう。

あるいは、上司から何かのイベントやスケジュールについて、段取りしておけと指示された場合、ふつうあなたがすべきことは、

「関係する人たちの考えや、意向などをヒアリングし」
「合意できる部分を集約し」
「意見の違うところは合意形成できるように配慮したり、説得したりし」

その上で、

「こういう形になりました」

というものをまとめて提出する、というようなことですよね?

つまり、実際に使う言葉としては、「段取り」というのは単に計画を立てることではありません。

自分の、または場合によってはさまざまな関係者の思いや意向をうまいこと汲み取って、互いに衝突しないように調整した上で、一定の形にする……というような意味を含んでいるのです。

「段取り」の語源と類語

語源から繙いてみましょう。

段取りという言葉の語源として有力なのは2つあります。

ひとつは歌舞伎用語に由来するという説です。

歌舞伎の世界ではある演目を構成する各パートのことを一段目、二段目……というふうに呼び、演目の流れや演出などを打合せすることを段取りと呼んでいたそうです。

これが段取りの語源となったという説です。

もう一つは、昔の土木工事などで勾配や距離に合わせて階段を何段にしたらよいかを判断することを

「段を取る」

と言っていたことに由来するという説です。

どちらの説にしろ、段取りという言葉の中には一種の判断あるいは選択、そして決定という意図が含まれているように感じますね?

つまり、たとえば歌舞伎役者さんや演出家といった人たちがする段取りというのは、もちろん

「今日やる演目は、一段目は〇〇で、二段目は□□で……」

というふうに、すでに決まった手順を間違えないように確かめているわけじゃないですよね?

段取りというのはきっと

「今回は二段目のあそこの場面は、もっとたっぷり見せるようにしよう」

とか(想像なので実際の内容は分かりませんが)、そういう、演出の仕方やいつもと違う注意点や強調したい勘所といったことを打ち合わせるのであって、その趣旨や意図を擦り合わせているのでしょう。

後の説にしても同じことで、仮にあらかじめ細かく設定された設計図通りに工事を行うだけならば「段をとる」ことの重要性はあまり感じられないですよね?

イメージとしては、職人的な勘と経験値から理想的で美しい「段」が生まれてくる、そこが腕なのであり技なのだというような意味でしょう?

段取りという言葉にはそういうニュアンスが含まれています。

段取り、という言葉に似ている類語としては、たとえば

「準備」「用意」あるいは「予定」「スケジューリング」

といった言葉が想起されますが、これらの語に比べると、あえて「段取り」という言葉を用いるのは、このようなニュアンスを強調したいからでしょう。

すると、どちらかと言うと、たとえば

「采配」「按排(案配)」「取り計らい」「調整」

といった語と近い印象が見て取れます。

ここまで考えたことをまとめると、段取りとは、

「ある目的のために行う行動や作業の具体的な手順を判断、決定した上で、それが実際に可能になるように調整しつつ実行する、その調整のしかた

というのがぴったりくるように思います。

段取りが重要視される意味

もちろん、仕事上のことであれば段取りが悪ければ実際に取引先や顧客など相手方にご迷惑がかかることや、不満を抱かせることにつながります。

ですから当然慎重になりますし、もし粗相や不都合があれば実際問題になります。

でも、単にそれだけではなく、俗に

「仕事は段取り八分」

とも言われるように、多くの人が段取りの巧拙を仕事上の重要なスキルとして、また本人の実務能力を図る主要な要素のひとつと認識していているという面もあります。

段取りというのは、単に決まりきったことを確認したり、決まった通りに実施すればことたりるというだけではないので、それを行う人の経験値や人柄や、あるいは能力とかセンスといったものによって巧拙が大きく分かれるものだというイメージをみんなが持っています。

そして、段取りというのは後から見ればその結果が明らかに分かりやすく、評価しやすいため、いきおい注目されることになるという点も見逃せません。

「段取りが悪い」と言われても気にする必要はない

当然ですが、多くの人が関わってくるようなことの場合、その段取りに従って実際に作業やイベントなどが進行していけば、その過程で他の人からいろいろな批判や、意見が出てきます。
すると、

「やあ今回は段取りが良かった」
「あの人は段取りがうまい」

あるいは

「あいつは段取りが悪い」

という評価が絶対に出てきます。

実は、考えてみれば当然ですが、実際に物事を進めていって結果を目の当たりにすれば、あとからそれを

「段取りの立て方が悪い」
「もっと、このようにすべきだった」

と指摘したり、意見を挙げるのは非常にかんたんなことです。

でも、人はそれについてことさらに言いたくなるものなのです。

なので、もしあなたが

「段取りが悪い」

と非難された場合や、具体的にここはもっとこのように配慮すべきだった……といった忠告や講釈を得たときには(具体的な点を勉強するつもりで聞くのは構いませんが)必要以上に気にして悩む必要など原則ありません。

みんな、そういうことを言いたがるものなのだと思っておいてください。そして、その経験を次に生かせれば十分です。

段取りなど不要だと思っている人

周囲を見ていると、中には

「段取りなんて不要だ」
「段取りなどする意味はない」
「段取りに時間を割く方が非効率だ」

……といったことを言う人もいらっしゃいます。

もしかするとあなた自身もそう感じているのかもしれません。

このような意見の背景には、

「実際の仕事や、物事は計画通りに進まないことが多い」

という感覚があるでしょう。

偶発的な要素や、関係する人たちのそれぞれの意向や、会社や上司、取引先などの急な方針転換……こんなの、あらかじめ段取りしろっていうほうが無理な話だと、文句の一つも言いたくなることがありますよね?

また、そもそも現時点で、自分ひとりの手に負えないほどの仕事を抱えている、無理やり押し付けられていると感じる場合にも、段取りが無意味に感じることがあります。

「こんなボリュームの仕事量、いくら段取りしたってどっち道無理だろう」

……となると、全体を俯瞰してスムーズに効率的に進めようとか、そんなこと前提からして考慮してる場合じゃない、と感じるのも無理はありません。

それより、とにかくできることから手当たり次第にこなしていくしかないじゃんって。

あるいは、逆に

「今の仕事をこなす上で、なんでいちいち段取りなんてする必要がある?」

と考えている人もいるかもしれません。

つまり、いちいち段取りを意識するまでもなく、今の仕事のクオリティとボリュームは十分維持できると。

ある意味で自分が今している仕事に対する経験や能力に自信がある、成果や評価も十分あると認識している場合です。

言ってみれば、これくらいの仕事は

「目をつぶってでもできる」

……ですからいちいち段取りする必要性を感じないんです。

段取りとは「未来への投資」と考えよう

「段取りなんて不要だ」
「段取りなどする意味はない」
「段取りに時間を割く方が非効率だ」

ある意味では実際にその通りなのかもしれません。

ただし、それは

「今は」

です。

「現状が永遠に続くのであれば」

という条件付きです。

たとえば、実際の仕事や、物事は計画通りに進まないことが多いというのがたとえ真実だとしても、あなたはそのような状態がいつまでも続くことに納得できるのでしょうか?

たとえば、あなたが今勤めている会社以外に、もっと「仕事が想定通りにうまく行く確率が高い」企業は存在しないのでしょうか?

あなたより、不確定要素を事前に見分け、必要な管理や根回しを実際にできる人間はいないのでしょうか?

では、少なくとも自分がそれに対して関わることによって、今より少しでも不確定要素を減らしたり、急な変更や計画の頓挫を予測できたり、あるいはそれをうまく回避したり解決したりする力を、今より高めたいとは思わないのでしょうか?

繰り返しますが、本来「段取り」とは、そのような点も含めて

「より良くなるにはどうしたら良いか……を模索し、判断する」

というニュアンスを含んでこその「段取り」なのですから。

いちいち段取りなんて意識するまでもなく、今の仕事のクオリティとボリュームは十分維持できる……と考えているとしたら、言い方は悪いかもしれませんが、それは

「段取りしなくてもできる程度の仕事を繰り返しているから」

だと表現することもできるわけです。

あるいは、それとは役の状況もあります。

あなたがもし現時点で、自分ひとりの手に負えないほどの仕事を抱えて、

「段取りしている時間すらもったいない」

とか、

「そもそも、いくら段取りしても到底できっこない」

とか……そんな切羽詰まった状況に陥っているとします。

でも、あなたは今の状態を永遠に続くことに、まさか納得しているのですか?

むしろ、早くその状況を脱したいのではありませんか?

……本当に今は無理なのかもしれません。今の会社では。今のあなたでは。

でも、将来もずっと今と同じ状態にあるとだれが断言できるのでしょうか。むしろ

「こんな状況を回避できる術を身に付けたい」
「こんな状態を、はっきり拒絶することができるような自分になりたい」

今は無理でもいつかは。

自分自身の業務改善について

だとすると、たとえば、無理だ無理だとは言っても、では実のところ一日ごとに均した場合、それは何時間分の過剰なのでしょうか?

あと何時間あれば可能なのか数値的に捉えてみましょう。あるいは、どの業務が抜ければ自分のキャパシティの範囲に収まるのか……。

具体的にそういったことを考えるためには、実際には自分の業務なり仕事内容なりを全体として数値的に(所要時間とか、納期とかで)きちんと把握していなければなりません。

つまり、段取りに従ってコントロールする力を付ければこそ、無理な受注や過剰な指示命令に対してはっきりした態度が取れますし、周囲にも納得できる妥当な助力を依頼したり、適切に分担を考えたりする余地が生まれるのではないでしょうか?

もう一度言いますが、段取りというのは、今するためにするというよりも、未来への投資です。将来のためにすることなのです。

人生を「適度に」長期的視点で見る

……もちろん、無理に負荷を上げる必要もありませんが。今の状態に満足しているとすればそれはそれで幸せなことです。

もしそうであれば、

「今の理想的な状態を、ずっと長く維持するために何をしたらよいか?」

と考え、その段取りでも考えてみたらいかがでしょうか?