貪欲は悪。しかし極端な禁欲も悪である

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もちろん、個人的な成功や自己実現を求めると言うことは、逆に言って
「禁欲的である」
とまでは言えません。

明らかに禁欲的ではありません。

だから、極端に禁欲的な志向や信仰などを持つ人から見れば、貪欲に見えるかもしれないし、悪という評価にもなり得ます。

ただ、それは私には関係のないことであって、もし特定の欲求や欲望を完全に消滅しようとしたり、排除したりしようとすることを

「禁欲」

と呼ぶなら、それは私にとっては相容れない考えです。

私の解釈では、

「貪欲でない」=「禁欲」

ではないです。

私の感覚では、貪欲と禁欲が両極端にあり、私はその真ん中にいます。

多くの人が私と同じように、真ん中辺にいます。

つまり、ふつうです。

たとえば、

「貧しきことは幸いかな」

といった言い方がありますが、これを

「貧しいほうが善い」
「貧しいほうが優れている」

というふうに解釈するならば、それは私にとっては非常に変な議論なのであって、

「通常に生活を維持すること」
「ふつうに暮らすこと」

を、あえて自ら否定する意味が私には分かりません。

いや、実はその意味は……私も以前はそのような考えに近かったため、理解はできるのですが。

しかし、今は、そんな考えは明らかにおかしいと思っています。

むしろ、私の個人的な考えを言えば、貧乏であることや、あるいは貧困に耐えて生きること……それを美化する思想は、それこそ今の私にとっては悪に見えます。

私にとっては、ですけど。

ですからもし、そのような意味で

「禁欲的であるべき」

と言うなら私は賛同できません。

もちろん、だれかが勝手にそういう考えを持っていてもいいですけど私には関係ないです。

本人がやっている分にはその人の自由であって、その人がそれを「善」と考えていたとしても、私にとってはまったく「善」には見えないという、それだけのことです。

ちなみに、善、悪というのは客観的なものではなく、各人が理性と良心に基いて決めるべきものであるというのが私の考えです。

同時に、それぞれの人にとって

「ふつうに生活」

というのが、具体的にどのような状態を指すのか、たとえばどんな生活レベルだったらふつうと言えるのか……それも本人がその理性や良心に従って考えればいいことで、共通の枠をはめることはできません。

というか、枠をはめられる筋合いもありません。

むしろ、私から見るとそこに

「共通の枠をはめよう」

という感覚こそ悪なのです。

あるいは、

「それはもともと決まっている」

とか、

「その条件を私が決めてあげよう」

ということこそ悪なのです。

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