私にとって成功とは?

成功とは何か、という話題で出てくる意見で最も多いのは、実は

「成功とは、お金じゃない」

ということです。

「結局は、幸福に生きられるかどうかが問題」
「人生の目的は競争に勝つことじゃない」
「人として成長することが人生の目的だ」

という表現もよく聞きます。これらはすべて、裏を返すと

「お金とか、権力とか名声とか……そういうものを追いかけるべきではない

という意味です。

実は私も昔はそう思っていました。んで、それと同じようなことを周りにいる人に言いふらしていました(笑)

でも、今はこういった言い方は良くないと思っています(ごめんなさい)。

おそらく正しいんです。正しいんですけど……この言い方は良くないのです。

成功とは、ひとつの出来事ではないから

なぜなら、成功というのは、たとえば自分の人生の中で、ある時に一回だけ起こるというような種類のものではないからです。

……と言うと語弊がありますね。

じゃなくて、成功という言葉は、それ自体が重層的な概念というか、意味が何重にもなっている言葉だからです。

確かに、何か大きな目標を達成したとか、転機となるような良い出来事に恵まれたとか、そういうことが起きます。ですから、その一つの出来事を取り上げて

「成功した」

ということもあります。

もちろん、成功という言葉の使い方は間違っていないです。

しかし、そのような認識は、あえて言うなら、自分の人生を一つひとつの「行為」という単位にバラしてみたときに当てはまる「成功」です。

もちろん、私たちは生きている間、実に様々な一つひとつのことに成功したり、失敗したりします。

しかし、そのことは、たとえば自分の人生が全体として

「成功」

だったかどうか、というのとは次元の違う話です。

人が成功したいと言うとき、それは最初は当然「成功という名前を付けられるような、大きな事象」が一回でも起こること……を思い浮かべているでしょう。

でも、人生がどんどん進んでいくにつれて、たいていの人は途中から、結局、自分の人生が全体として「この人生は成功と呼べる人生だった」と言えるような成功のことを願い始めるのです。

多くの人は結局は、今自分が生きているこの瞬間に、あるいは自分の人生を最後に振り返るその瞬間に

「成功した」

と思いたいのです。

今すべき成功を

そこで、ひとまずそのように全体を考えた上でですね……。

「じゃあ、今この時点で、今この段階で自分が得たいものは何なのか?」
「今すべきことというのは、つまり今したい事柄とは、どんな種類のものか?」

という視点で見る必要があります。

すると、たとえばですが、仮に

「今すべきことは、とにかく自分の経済的状況を大きく改善して、その継続を図ることだ」

ということを思い浮かべたとします。

もっとはっきり言うと、

「とにもかくにも……今は金だ!」

という思いが強いとします。

その期待している規模とか程度は人によって違うでしょうが。

でも、いずれにしてもこの場合には、

「成功というのは、お金の問題じゃない」

というのはミスリードになる可能性があります。

最初に言った、

「結局は、幸福に生きられるかどうかが問題」
「人生の目的は競争に勝つことじゃない」
「人として成長することが人生の目的だ」

というような表現って、確かに人生を全体として見れば、かなり妥当な意見と言えるかもしれません。

ただし、それは今の時点で、お金の問題を重点的に考える必然性がない人や、または、お金に対する執着やお金に対する欲望をすでに精神的に乗り越えた人などに対して言うなら、妥当性が高いということだと思うんです。

現実にこのような言い方がよく聞かれるのは、裏返せば

「お金とか権力とか名声とかを追いかていける人のほうが圧倒的に多い」

ということですよね?

仮に今そのフェーズにいる人に、そのようなことを言って啓発しようとするとですね、おそらく多くの場合は逆に

「お金なんて追っているのはレベルが低いことなのか……」

というふうに感じることになると思うんですよ、意識の上では。

でも、その人は本当はお金が欲しいんです。

すると「心理的葛藤」が生まれます。

矛盾する考えがずっと心の中に残ってしまいます。

……たぶん、それじゃダメなんですよ。ほとんどの人は、そのままでは次のフェーズにすんなり進めないんです。

たとえ実現できなかったとしても

実際に経済的に成功することができたら……もちろん嬉しいことでしょう。

でも、たとえばその人が、

「成功とは、使い切れないくらいの金を手に入れることだ!」

と思い立って、ある時期に自分なりに思いっ切り「お金」を追う生活をしてみたと(あるいは「お金」じゃなくても、たとえば「夢」とかなんとかでもいいですけど)。

で……仮に実際には上手くいかなかったとします。

それだけを見れば、明らかなる「失敗」です。

でも、おそらくその場合であっても、この経験は必要なんじゃないでしょうか?

そういう時期が人生において経験できたということが大切なんです。

そして、その経験を(仮に現象として、結果として失敗に終わったとしても)自分なりに消化し、納得した上で、それに伴って「啓発」が起こるとしたら、それがむしろ順当なんです。

すると自然な形で時間的な、また精神的なフェーズが移っていくからです。

このような経過を後に振り返ってみればきっと、一つひとつの行為や、その記憶の「成功」「失敗」に関わらず、全体としては

「成功だった」

と感じることができる……というのは想像に難くありません。

そうなってから言われれば、

「結局は、幸福に生きられるかどうかが問題」
「人生の目的は競争に勝つことじゃない」
「人として成長することが人生の目的だ」

といったような表現は

「まあ、そりゃそうだよね」

と感じるでしょう。あるいは、自分なりの納得できる「成功」の表現が内から現れるのです。