成功の意味なんて、先に分かるはずがない

登頂

前の記事では「成功哲学」とは何か、とか「成功法則」とは何か……ということを書いたのですが、それは言葉の意味を整理するためで、あくまで理念的な区別です。

……というのは、現実にはそのような「理念通りに」物事は運ばないからです。

なので、今度は現実的な流れとして書いてみます。

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成功してから考えればいいじゃない

むしろ、たいていはこうなります。

まず、人間はふつう自分の体験や外界から得た情報を通して、またはさまざまな思考や想像によって具体的な行為や目的の達成を目指し、そのつど成功したり失敗したりします。

それによって知識や知恵、経験則といったものを蓄積していきます。

それが蓄積されるとともに帰納的に整理され集約されて

「こういうことをすれば、こういう結果になるのだ」

という抽象的な、つまり「ノウハウ」あるいは「成功法」と言えるような個別のパターンを体感し会得していくのです。

そして、ある程度の量の成功体験、失敗体験を通して、自分がすでに得た「ノウハウ」「コツ」「成功法」に含まれる共通性や類似性などを収斂し、また言語化していきます。

それらについての解釈や、それによって得られた結果に対する評価や、それに伴う感情の現れ方などからそれらを一般化し、法則化します。

それと同時に「成功というもの」自体を本質として定義しようとします。主観的なものではあるけれども、

「つまり成功というのは、こういうものなのだ」

というきわめて抽象度の高い概念が自分の内面にでき上がるのです。

この時、その「成功」という概念はたいてい「人生」とか「人間」とか「社会」「世界」といった概念と深い関連性をもって認識されます。多くの場合、そこに至ると当初は重要と思われた個別の目標や目的などは次第に重要性を失い、捨象されていきます。

……これが、実際ふつうの流れですね。現実の人生では、おそらくこのほうが自然です。

その意味では、人生ではふつう

「成功法 →成功法則 →成功哲学」

という順番で認識し、経験するということになります。この順番で概念を固めていくことになるわけです。

こう考えると、たとえば本などを読んで先に

「成功とは、こういうものである」

と言われても、人間は自然な流れではこれをいきなり体得することは困難なのです。

あるいは、そんなことを先に言われても、現実の自分の状態に当てはめることがなかなかできません。

ですから、初めから

「成功とは、お金じゃない」
「結局は、幸福に生きられるかどうかが問題」
「人生の目的は競争に勝つことじゃない」
「人として成長することが人生の目的だ」

といった言葉を聞いても、その人の状況によっては実際的な面で意味がないという場面が起こり得るわけです。

成功法則と成功哲学の違いは、例として言ってみれば、あなたが小学校に入る前に「学校」というものに対して持っていたイメージと、学生時代を終えて社会に出た後に振り返って感じる「学生時代」に対するイメージがぜんぜん違う……ということに似ているかもしれません。

たとえば、小学校に入る前のあなたは

「小学校に行ったらそこは勉強するところで、先生という人がいて、よく言いつけを守らないと叱られることもあるし、もう赤ちゃんじゃないんだからしっかりしないとダメで……」というような点を気にしていたかもしれません。まあ人によりますが、たとえば。

しかし、後から振り返ったら、そういったことが学生時代の本質ではないということは当然のように体得できるものでしょう。

とすると、仮にあなたが今の時点で抱いている成功のイメージがどんなであれ、自分が「成功を追い求めているときに成功というものに対して抱いていたイメージや解釈」が、後から振り返ればぜんぜん違うものになっているということは、あり得るどころかむしろごく自然なことだと言えます。

そして、だからと言って、それを先に言われたところで理解しろというほうが本当は無理な話なのです

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