自己啓発的な話には意味がない?

自己啓発本などで紹介される考え方や方法論というのは、正しいのか間違っているのか……という以前に、そもそも抽象的すぎて役に立たないという意見も時々あります。

それは、

「受け取りようによってどうにでも解釈できる」

からです。

そもそも抽象的なものを扱っている

自己啓発というのは扱う領域が、心理、意識、思考といった目に見えないものが中心なので、ある程度仕方のない面がありますが、確かに、典型的な自己啓発的な情報というのは家電の取扱説明書のように個別具体的なものとは言えません。

ですから、見る人によっては

「何にでも当てはまるようなことを、さも意味ありげに言っているだけ」

とも受け取れます。

あるいは、ごくふつうのことを必死に訴えているけど、

「だから何なの?」

……みたいな。

また、自己啓発的な情報には往々にしてまったく正反対のことが両方出てくることがあります。たとえば、

「他人の意見に耳を傾けたほうが良い」

と言う場合もあるし、

「他人の意見に左右されてはいけない」

とも言うこともあります。

これは、そもそも言葉というものが持つ特性とも言えますが、つまり、たいてい何を言ったとしても数式のようにすべての場合には当てはまる、というようなことはあり得ないんですよね?

だからこういう自己啓発的な話もふくめて、いわゆる抽象論とか精神論のようなものはほとんど意味がないんだ、役に立たないんだと考える人がいます。

このことは、自己啓発的な情報を発信する側からすると、非常にもどかしい部分と言えます。

言葉はどこまでも続けることができる

でも、逆に言って、そのような宿命的な「あいまいさ」があるおかげで、このような話というのはどこまで行っても延々続けることが可能です。

……つまり長期的にも商売が成り立つわけですね。

また、それを知った人が全員望む通りの結果を得られなかったとしても、

「それはその人の状況による」
「その人の本気度による」
「その人の潜在意識が……」
「その人の持つ自我が……」

とか、いくらでも理由を挙げることができるわけです。

あまりに妄信するのもどうかと思う?

個別のノウハウについて、理解の仕方が違う、やり方が間違っているといった指摘をする人は、考えてみると

「自己啓発否定派」

ではありません。

そうではなくて、いわゆる自己啓発というもの全体を否定する人もいます。

「そもそもそんな話は科学的に証明できない」
「正確で客観的な統計データや学術的な根拠がない」

……だから信憑性がない。嘘か本当かと言う以前に、まったく無意味な議論じゃないかと考えるわけです。

そして、そんな論拠の希薄な、いわば得体の知れない理屈を鵜呑みにしている人は変なんじゃないか?

頭がどうかしてるんじゃないか?

……と判断します。

で、これはこれで一つの考えですよね?

実際、自己啓発に限ったことでもありませんが、世の中で紹介されるノウハウとか方法論というものの中には、実は根拠となるデータ自体が間違っていたとか、そもそもたいして根拠がなかったとか、あるいは、

「やらせ?」

だとか……このような例はたくさんありますよね?

少し前には、こんな本もありました。

【疑似科学入門 池内 了】

自己啓発関連の情報もそうです。

要するに、こういった類のものは、少し遠巻きに眺めるのがいわゆる常識的な見方なのでしょう。