精神的に自立するには戦略的に依存する意識が必要だと思う

多くの人は自立しなければ、と考え始めると、必ず最初に

「自分が何かに依存している」

という仮定を置いて考えることになります。

そして、特に内省的な人や規範意識の強い人ほど、どんどん依存している対象を見つけてそれらを排除しようとすると思います。

自立とは、孤立ではない

しかし、まずこれは間違いです。

錯誤です。

たとえば

「親から自立しなければ」
「会社から自立しなければ」
「他人に頼ったり、助けを求めたりしないようにしなければ」

と言って、対象から遠ざかろうとするわけですよね?

それは自立しているのではなくて、要するに、実は孤立しようとしているだけなのです。

依存というのは対象そのものに問題があるわけではありません。

前回書いたように、依存というのは、その対象に問題があるわけではなくて、それとの関係において自分が

「甘ったれているかどうか」

という問題なのです。

すると、たとえばですが、親から自立しようとして、実家を離れ、ロクに連絡もせず、援助も断って、親の忠告や意見を否定して反発したりしたところで……そうやって無理しながら生活が乱れたり健康を害したり、あるいは余計に親に心配をかけていたりするならば、それは、自立したことにはならないでしょう。

その場合、ただ「甘ったれかた」を変えただけです。

単にその対象から離れれば自立しているというわけではないのです。

自立している人のイメージ

自立を求めようとして、孤立するように行動するのは勘違いです。

試しに、イメージとして、いわゆる

「ちゃんと自立している人」

を想像してみてください。すると、私などがイメージするのは、むしろ

  • たくさんの信頼できる仲間がいて
  • それぞれに良い関係を築いて
  • 互いに助け合ったり、励まし合ったりして
  • 多くの人に支えられて
  • 感謝しながら自由に生きている

……というような感じです。あなたもたぶんそうではないでしょうか?

しかし、自立=孤立という概念を持っている人からすれば、上のような状態も

「ほら、やっぱり依存しているじゃないか」

というふうに解釈してしまうのです。

これは「依存」という言葉を混同しているのです。

つまり、自立している人は別に、何にも頼らず、何も必要とせず、何とも関係を持たない……のではありません。むしろ、多くのものを他者に依存(もしそう呼ぶなら)することによって結果的に自立した心理と状態を得ているわけです。

また、もう一つ言えることは、自立した人というのは別に「他者に無関心」であるわけではありません。「否定」することもありません。

むしろ、多くの人と関わったり、好意を寄せたり、信頼関係を築いたり、愛し合ったり……しているでしょう。

だって、他人に対して積極的に関わったり、感情を表に出したり、率直に好意を伝えたり、感謝したりするのは、

「甘ったれている」

ということとはイコールではありませんから。

ここを錯誤してしまうと、自立=孤立になってしまいますし、そうなるとむしろ、甘ったれている人ほど

  • 他人と積極的に関わるのを避けたり
  • 感情を押し殺して無関心を装ったり
  • 他人を信用しないようにしたり
  • 必要な支援や助力を求めることをためらったり

するのではないでしょうか?

本人はそれが依存を排除する方法だと勘違いしているからです。

たとえば親や子、兄弟などはかけがえのない、つまり決して替えの利かない唯一無二の存在です。他の相手でも同じですが、そういった身近な他者への自然な情愛や良好な関係を「依存」と考えるのは本当はおかしな話です。

さらに言えば、仮に資金的に、経済的に援助を受けていたとしてもです。

それが「甘ったれている」結果としてそうなっているのか?

それとも、ごく妥当な判断から、当然の必要性から生じているのか?

……これは個別の事情や当事者の状況、目的などによって判断すべきものであって、

「お金貰ってるから依存」

と十羽一絡げに区別するのはかなり雑な議論だと思います。

また、よく考えるべき点ですが……単にそれを排除することが結果的に本人の自立につながるのか、自立を促すのかどうかも疑問です。

だって極端に言えば、小学生未満の子供に

「自分の食事くらい自分で作りなさい」

と言ったとしたら、その子は自立すると考えられるでしょうか?

確かに、単なる現象としてその瞬間だけを見ると、たとえば小学生が自分の食事を自炊して自分で賄っているのをみたら、

「偉いねー、一人でできるんだねー」

と、見えるかも知れません。

でもそれは、その子が将来的に

「自立した大人」

になることに貢献するのかどうか?

むしろ、マイナスに働く危険性があるのではないか?

……と感じます。

もちろん状況に依りますが、今当然の必要性を満たすためにしているのと、甘ったれているのとは区別しなければならないでしょう。

むしろ今必要な助力や信頼関係を断ってしまうと将来的に本人が自立することを妨げる場合すら考えられます。

期待=依存、ではない

他人に対して、あるいは社会とか環境といったものに対して、つまり自分以外の何かに対して

「期待する態度」

は依存的だと……今までは私もそう考えていました。

「ああいう人に期待しちゃダメ」
「会社に期待してもムダ」
「国に期待してもムダ」

といった言い方をよく聞きますが、よく考えてみると自立している人だって物事に「期待する」ということは、だれでもごくふつうに行っているのであり、それ自体は別に依存的ではありません。

だって本当に文字通り何にも期待してないっていうのは……単なる絶望じゃないですか。

自立している人だって、何かに期待して努力したり、他人に期待して協力したり、何かを依頼したり……そんなのは当たり前にやっているはずで、それがダメとなったらほとんど何もできないということになってしまいます。

たとえば周囲の環境がこれからも維持されること、治安が良く安全に住めること、適切な法律や行政があって社会活動の基盤がさらに整備されていくこと……これらに期待できると信じているからこそ、自分のするべき活動に安心して専念できるわけですよね?

それは、(依存という言葉を使っても間違いではないですが)今言っている意味での「依存」ではありません。

実は、精神的に自立するには、とにかく依存する対象を排除しようと考えるのではなく、自分が今の時点で何に期待し、何に依存しようとしているのかを戦略的に捉える観点が必要で、その意味では自立するには、自ら必要なものに積極的に

「依存する意思」

が大切になってくるのです。

自立している人ほど、自分が何に依存しているのかを冷静に分析しているのです。そして、むしろ意識的に自分がそれに依存しているという事実を認めているはずなのです。