依存的な人の特徴は、期待のしかたがおかしいこと

冷静に考えれば、人間が思考などを通して何かの物事に「期待する」というときには、それによって生じる、自分にとって好ましい結果が起こる「可能性」に期待していることになります。

……ってこれだけ言うと、ごく当たり前ですよね?

これが、ふつうの意味の「期待」です。

しかし、依存的な人の場合は少し違うのです。

依存的な人の特徴として挙げられるのは、多くの場合「結果そのもの」に期待しているという点です。

依存心が強い人ほど、自分の想定通りの、思い通りの「結果」になることを初めから期待しているんです。

そうなるのが当然なんです。

依存的な人は、結果がそうならないと不満なんです。

あるいは、それ以外の可能性を認めるのが嫌なんです。

……これが依存的な人に顕著な思考の特徴なのだと私は思います。

しばしば言われる、

「成功するには自立型の人間にならなければならない」

というのは、私なりにその意味を絞り込むとすれば、要するにこの点を指しているのだろうと思うのです。

依存的であろうと、自立的であろうと、他人や環境や個別の物事などに「期待を持つ」のは同じです。

ただ、通常「期待」を持つ人というのは、自分の目論見や計画、予定などを「可能性」を基準に判断し、決定します。そして、その「可能性」を自分の思考に反映し、行動するだけです。

しかし、依存的な人間は、過程や蓋然性をすっ飛ばして前提的に「結果への期待」を持ちます。

むしろ可能性が高かろうが低かろうがお構いなしに単に自分の欲求や思い込みによって特定の結果が起こることを直接に期待するのです。

そして、その結果のみを見て、それを自分の感情に反映し、反応するのです。

もちろん、別に依存的な人でなくても、結果が好ましい方向に出れば嬉しい、ラッキーだと感じる、達成感を持つ……といった感情の動きがあるのは、これは当然です。

しかし、通常に考えれば、そもそもは可能性に期待していただけであって、結果というのはあくまで「結果的に」そうなったにすぎません。ふつうはその当たり前のことを当たり前に受け止めることができます。

だから、仮に結果を得ることができたらそれは「幸運」であって、正当な意味での「達成感」を持ったり、その結果をもたらしてくれたものや、特定の相手に対して素直に「感謝」したくなるでしょう。

あるいは、いわゆる返報性の原理に従って、なにがしかそれに見合った「御礼」「恩返し」をしようとするでしょう。これはごく自然なことなのです。

もし望む結果が得られなかったら……次の可能性を見つけて、また思考し、行動するだけですよね?

これが通常の「期待」です。

しかし、依存的な人はそれができないのです。

そして、私が思うに、それは「結果」そのものに期待しているからなのです。

すると、たとえば

「可能性がきわめて低いのに妄信し続ける」
「客観的な事実を受け入れない」
「事実を曲げようとする、あるいは事実を曲げて認識しようとする」
「結果が出ない原因を無理に作り出そうとする」

という方向に思考と感情が流れます。

つまり、その過程とか可能性といったものに目を向けないのです。

というか、そもそも過程や可能性といったものにほとんど関心がないのです。

そして、どういう方法であれ、どういう理由であれ

「結果的にそうなること」

だけに価値を置いています。

それから生じる言動や態度が、いわゆる「依存的な人」の特徴となります。執着であったり責任転嫁であったり他者への強制や攻撃であったり……なのですが、私が思うにこれはある意味で「結果的な」現象です。

その根本的な原因が「結果そのものに期待する」という誤った認識にあるのだと、私は考えています。

自立しようともがくことに意味はあるのか?

ところで、最初の話に戻りますけど……。

そもそも私の問題意識は、

「成功するには自立型思考が必須条件なのか?」

ということでした。

つまり、もともと正直言って、私は別に自立した立派な人間になりたいわけではなくて、その前にとりあえず単に成功したいだけだったからです。

ただ、自己啓発書とかビジネス本を読んでいると至るところに

「自立しないと成功できませんよ?」
「依存的な思考では絶対成功できませんよ?」

って書いてあるから、そうしなければ……と思ってただけです。

ところが、もっとよく考えてみると、

この考えそのものが、すでに依存的なのだということに気が付きます。

自立をしたら……成功できる。

自立したいから、じゃない。

成功したいから、

「成功には自立だ」

と言われているから、自立しようとしていたのです。

そして、あえて言うと、

「自立したけど、成功できないじゃーん!」

って、だれかに言いたい気持ちがある。

あるいは、

「成功(という結果)が手に入らないのは、まだ自立してないから」

と理由付けできることに安心している……。

なぜなら、

「だれかがそう言ったから」「自己啓発本にそう書いてあるから」

私思ったんですけど。

この、単純に何かをしさえすれば、別の何かが手に入るっていう期待のしかたが、まさに依存的な人の特徴なのではないかと。

前に書いた通り、そこには

「可能性」

を直視するという認識がない。

望む結果を得るために可能性を探るという姿勢が抜けているのです。

現実的に、可能性を見い出し、その可能性を少しでも高めようという意欲が抜けているのです。

そのように自分で進んでいくことを避けて、代わりにだれかに

「君のやっていることは正しいよ」
「この通りにやたっら必ず成功できるよ。保証するよ」

と、先に言ってもらいたいわけですよ。

これこそまさに「甘ったれている」わけです。

依存心が強いという人に象徴的な傾向、特徴です。

本人すら「自立しなければ」と言いながら、自分の中に強く根付いている依存心に気が付かずにいるままなのです。

自分の中にある依存心

あらためて思ったこととして……。

すでに自立している人間は、

「自立しよう、自立しよう」

なんて意識することなどないはずですよね?

自立しなきゃ、とか考えている時点で、自立してるはずがないんですね。

そして、上に書いた通り、

「成功したいから、その手段として自立しなきゃ……」

この考えこそまさに依存的なのです。

端的に言うと、成功するには、当然自分で、現実的な、具体的な「成功する可能性」を見い出して、それに向かって思考し行動していくしかないのです。

……当たり前すぎますけど。

そのように直接に成功の可能性を見ようとする代わりに、どこかのの情報や他人の意見から拾ってきた

「成功の条件」

みたいなことに丸乗りして、先回りして結果を得ようとしたり、その枠組みを固定したがっている自分が最も依存的なわけで、もちろん、そうしている間はずっと成功などできません。

……だから、この意味では、

「成功するにはまず自立しなければならない」

という、この表現はある意味では正しいということになります。