自己啓発は「自分がすること」でないと言葉の使い方おかしくない?

自己啓発とは、

「自己が」

行うこと。あるいは

「自己を」

啓発すること……とも読めますね?

「啓発」って何? という話はいったん置いといて、まず「自己」なんだから自分が自分に対して行うことが「自己」啓発なのであって、自分がするのが大原則だと言えます。

そして、まさに自己啓発でよくありがちな

「自己って何?」

というような話も置いといて。

まず「自発的に」やること

自己啓発本などを批判、軽蔑する風潮などから自己啓発という言葉そのものを嫌う人は少なくありませんが、自己啓発とは、興味がない人が無理にやるようなものでもないし、だれかに言われて仕方なくやるものでもありません。

この意味で、たとえば会社や上司から言われて仕方なく参加している「ビジネススキル講座」とか、あるいは就職や転職活動の一環として既成事実を作るために行ういわゆる「自己啓発活動」……そういうのって厳密には語義通りの「自己」啓発とは言えないことになります。

一方で、詐欺的な情報や、高額の費用を強引に払わせたりするセミナーなどが横行しているというような話を聞くこともあります。

具体例を知ってるわけではありませんが、聞いた範囲で私が思うのは、巷で聞くそういったセミナーなどの被害者の人の気持ちを思ったとき、それはそもそも「自己」啓発なのかという素朴な疑問なのです。

だって、強引に勧誘されたのか洗脳されたからなのか知りませんが、それってもう自分でやってるとは言えないじゃないですか?

自己啓発セミナーなんだから自分の意思でやらないとダメじゃないですか?

「変な人」って何?

ところで、一般の、いわゆる常識的な人は、宗教とか自己啓発といった活動について

「そういうのは、変な人が行くところだ」

と頭から固定観念を持っていることが少なくありません。

で、今まで書いたように、その理由にはいろいろあって、妥当と思えるものももちろんあるのですが、単なる固定観念とか、偏見としか言えないようなものも含まれています。

固定観念を持っている人は、他の面でも、自分が関わりたくないと思うような事柄に熱心になっている人を

「少しおかしい」

と言います。

対象は自己啓発とか、宗教に限りません。

たとえば、やたら愛とか正義とか、あるいは倫理や道徳を振りかざす人って、少しおかしいです。

あるいは、政治活動をしている人や、特定のイデオロギーや思想を頑なに守ろうと訴えている人も少しおかしいです。

……こういうのって、無関心な人から見るとやっぱり、

「少しおかしい」
「痛い」

って感じるのは、ある意味自然ですが……それをことさらに取り上げて

「変だ」「おかしい」「この人おかしい!」

って大声で周りに訴える人も、少しおかしいでしょ?

反対の立場から見ると、たとえば、

「以前の常識を信じ斬っている人って、少しおかしい」
「メディアの情報を何でも信じちゃう人って、変だよね」

あと、

「世間体と常識だけに頼って、自分はふつうだと信じ切って、他人のことを変だ、変だと言っている人」

って、ある意味一番おかしい、変な人、気持ち悪!

……と言うこともできるのです。

あえて言うなら、たとえば今のあなたが明らかに変だったとして、でも、むしろその変なところが自己啓発によって治ったらすごく良いですよね?

だから、そういう人ほど自己啓発したほうがいいんじゃないでしょうか?

何が言いたかったか忘れました……。

えっと、あ、そうそう。

自己が自己を主体的に啓発するという行為そのものについて、それ自体が「おかしい!」なんて思う人は実はほとんどいないのではないかと……私は思います。むしろ、人間が自然に成長していく過程で絶対必要なことじゃないでしょうかと。

しかし、自己啓発という言葉の使い方が往々にして変なふうに、間違ったふうに広まっているために、混乱したり頭から拒絶したり忌避したりする人も増えてしまったっていう……ことなのではないかと考えます。

本来、自己啓発ってそういう意味の言葉じゃないでしょうか?

自己啓発で騙される自己

そもそも論から言うと、自己啓発という名を借りた悪徳な業者がいるという問題、あるいは、自己啓発しようとする人間の心理を利用する側の問題は、自己啓発そのものが悪いという理由にはなりません。

もちろん、故意に騙そうとする人のほうが絶対悪いのですが……というか、どうあれたくさんのお金を払って結局何の役にも立たなかったということであれば個別には気の毒なことだとは思いますが。

しかし、やはり自己啓発というのは「自己」を啓発することです。

自己啓発本を読むのも、自己啓発セミナーに出るにも、自己啓発というからには、騙されたりムダに終わったりする可能性もコミで

「自分が」
「自分で」
「自分を」

啓発しているのだという意識というか、覚悟みたいなものは必要なのではないでしょうか?

そうでなければもはや「自己」啓発とは言えません。