自立と依存の心理の根本にある1つの観念

自立と依存の心理に関して私が重要な視点だと感じていることがあります。

それは、根本的な観念として、感覚として

「世界はまだ完成されていない」

というイメージを持っているかどうか、です。

おそらく、根本的に自立型の人の心理の前提には、この世界とか、人間社会の制度や枠組みといったものが

「まだぜんぜん完成されていない」

という感覚があるように思えます。

そして、その前提だからこそ

  • 自分自身がさらにそこに関与する意味がある
  • 自分自身もさらに変化し、成長する価値と必要性がある

という視点が整合性をもってごく自然に受け入れられるのです。

逆に自分自身の中にある依存的な心理をどんどん掘り下げていくと、そもそも

「この世界、あるいは人間の社会はすでに、きちんとでき上がっているはずだ」

という思い込みが残っていることを発見します。

もちろん、表面的な意識や思考の上で明確にそう認識しているわけではありません。

というか、意識的に考えてみればそんなこと、あるわけがないんですよね?

しかし、振り返って掘り下げてみたとき、自分がそもそもそういう前提に立ったうえで、すでにそれを土台にしてさまざまな解釈や、モノの見方や考え方、あるいは規範や行動基準を構築しているという部分が相当程度にあると想像することはできます。

そして、この前提で言うと当然の帰結として

  • これ以上自分が世界に対して何かする意味というのは「根本的には」存在しない

という認識が発生せざるを得ないことになります。

子供のころ、周りの大人たちは完全な人に見えた

たとえば子供のころ、私に接する大人たちはみんな、物事をよく分かっていて、だから自信を持って正しいことを子供に教えているのだと思っていました。

子供は、ある意味では何の前提もなくそう感じるしかない環境で生まれるからです。

少なくとも最初は、何事も私が生まれる前から先に決められた仕組みとか、他人が作り上げたシステムやルールが完備されているものと受け止めるしかないんです。

そして、成長するにつれて表面的には矛盾や改善点が現れる場面に出くわします。でも、それは方面的な現象であって、その大枠はもう固定されていて根本的にはこれ以上変わることはあり得ない……という前提で周囲の環境や、接する大人の人たちの行動や発言を解釈し、消化していく可能性が高いでしょう。

あるいは、場合によってはそれを

「世界に適合していない自分のほうの問題」

と受け止める可能性もあります。

ところが、自分自身が大人になってみれば当たり前ですけど、現実はそれとはまったく異なるわけです。

だから、遅かれ早かれどこかでその固定観念を捨てなければならない。

自分の、身の回りに起こる問題や人間関係、現実に起こる事件や情報などを目の当たりにして、

「世の中の仕組みなんて非常に未整理で、もろいものだ」

というように認識を変えなければならない。

もちろん、特に意識しなくても多くの場合は自然に身をもって理解されていくでしょう。

あるいは、いわゆる思春期とか、反抗期と言われるような時期にそれを自己発見する機会を持つことができた人はある意味幸運です。

しかし、そのような経験や機会を得られないまま成長する場合もあり得ます。

また、自分の意識の上の認識は変化したものの、それ以前にすでに、現在のあなたの認識とはまったく異なる土台の上にある認識や価値観、または行動パターンなどがすでに内面化して守られている場合もあり得ます。

すると、表面的な自己認識や価値観と、その自分でも知らない間に自分の中に築かれた観念や価値観とが、内面で衝突してしまうことになります。

人が夢や願望を想起する瞬間

もちろん、こんなことは日常生活の範囲ではほとんど問題になる場面はありません。

ただ、人がたとえば自分の将来を思い描いたり、目標を考えたりするといった瞬間にはかなり重要な点として浮かび上がることがあるのです。

つまり、成功を夢見たり、自分の願望に意識を向けたりする場面では、人間は少し現実を離れていわゆる

「理想」

を前提に想像力働かせようとします。

私たちはそれを身近な現実の出来事と切り離して考えるがゆえに、そもそも自分が内面に持っている価値観とか、世界観といったような根本的な認識を思考に反映しやすいのです。

依存的な心理を持つ人は、達成イメージを固定したがる

たとえば、金持ちになったら……プロトタイプな「金持ち」のイメージ通りの生活や、行動をしなければならない。

たとえば、憧れのあの職業に就くことができたら、こういう面で困難や苦労があるはず。こういう点は嫌でも受け入れないといけないはず。

……というように、まだ実際に起こってもいない未来の状態について、良い面も悪い面も、先にイメージを固定してしまいます。

また、その状態に至る過程についても。

たとえば、必ずこういう困難を乗り越えなければならない。

自分が成功する過程で、こういう(できれば避けたい)感情が起こるはずだ、でも我慢して乗り越えなければならない。

……でも、実はそれ自体が想像にすぎません。

そして、おそらく、実際にはそんな決まりきった過程と、決まりきった達成状態が出現するわけではありません。

逆に言うと、そのように固定的な

「結果のイメージ」

を守らなければならないと思い込んでいるから、自らその状態に近付くような努力をしてしまうのです。