強い肯定派と、弱い肯定派

どんなことであれ、肯定派と否定派に分かれるものです。議論が起こります。

例えば死刑制度肯定派、否定派。

体罰肯定派、否定派。

ほぼ何にでも肯定派と否定派がいます。

もちろん自己啓発というものについても同じで、肯定派と否定派の議論は絶えることがありません。

肯定派を2つに分ける

そして、たいていの場合、何にせよ肯定派の主張と否定派の主張はいくら長い時間をかけても、どこまで行っても平行線のまま……ということが少なくありません。

っていうか、それ以前にイマイチ議論が嚙み合っていないように感じることが多いです。

ところで、人がふつう自己啓発の必要性について意識し始めるきっかけは、

  • 何か悩みがあるとき
  • 願望の達成方法が知りたいとき
  • 有益な知識を得るため
  • 知的好奇心を満たすため

といったものがあると前に書きましたが、このうち、上の2つは特定の具体的な問題を意識していると言えます。

あとの2つは、特定の問題意識を持っているのとは違います。

自己啓発との関わりかたの違い

そして、このどちらの入り口から自己啓発的な知識に触れ始めたかによって、自己啓発に対するイメージとか、関わりかたもかなり変わってくるように感じます。

つまり、特定の問題意識があるかどうかです。

私自身は自己啓発的な話題がかなり好きなほうです。しかし、もともとそれはなぜだったかと思い返すと、どちらかというと好奇心からというほうが強かったように思います。

もちろん、年月とともに、生きている過程で問題解決の必要が生じた際にはその知識や情報に依存したり、利用したりすることも多々あるわけですが、でも、もともとを言えば、最初から問題意識があったわけではありません。

むしろ私は子供のころから哲学とか心理学を扱ったような本が好きだったので、そっちから自己啓発本のほうに流れてきた……というような感じです。

それとは別に、社会人になってから一時期は自己啓発本というよりいわゆるビジネス書にハマりましたね。有名な企業の社長さんとか、創業者の方の生き方や成功事例を書いたような本です。

何となく、そういうものを読んでいたら自分もそういうふうになれるんじゃないか? というような淡い期待を抱きながら、ひたすら読んでました。

今だったらあまりおすすめしませんけど(笑)

とにかく、私のように最初に特に問題意識があったわけではなく、単に興味や好奇心から自己啓発的なものに入り出したようなタイプの人って、肯定派だと言っても少し距離を置いた感じというか……ゆるい関わりかたをする場合が多いのではないでしょうか?

自己啓発に対する立場

肯定派にしろ否定派にしろ、タイプによって反応の仕方が少し違っていて、全体としては

自己啓発肯定派と否定派

私はこんな感じでイメージしてます。

やはり、自己啓発というものに強い嫌悪感や反発を持っているのは何と言っても

「騙された」

「いろいろやったのに成果が出ない」

と思った経験がある人だと思うんですよ。

もともとそんなに強い期待を持っていない人の場合は、おそらく

「まあ、こんなもんでしょ」

というような軽い感じがありますよね?

また、肯定派にしても、実際に何かに取り組む中で必要に迫られて行っている人はやはり思い入れも強いですよね。

それに対して、肯定派と言っても別に今喫緊に必要としているわけじゃなくて、単に何かの役に立つかな~という感じで見てる人だと、やはり関わりかたが生ぬる~いので、

「まあまあ、そんなに真剣にならなくても……」

というように、少し引いて見ていると。

どちらが良いということでもないのですが、自己啓発というものに対するスタンスも人によってさまざまです。

そのために議論が噛み合わないことが多いと感じるのです。

ですから、肯定派、否定派……と単純に2つに分類している限り、議論はいつまでたってもうやむやで、論点が混乱するのです。

そこで、

① 強い肯定派
② 弱い肯定派
③ 強い否定派
④ 弱い否定派

と4つに分けてみると、いくぶん論点が明確になりやすいと思うのです。

これは自己啓発に限ったことではなく、世の中で議論されることの多くに当てはまるでしょう。