人材に「市場価値」なんてある?

労働者、被雇用者の、人材としての「市場価値」という考え方は今ではかなり一般的になりました。

でも、私は個人が仕事をする上で自分の市場価値という概念を想定することに違和感を持っています

確かに、

「自分という人間が、ビジネスの世界でいったいどれくらいのことができるのだろう……」
「私はどういう仕事に就けば、自分の価値を最大限に引き出せるだろうか……」

と思い巡らせてみるのは悪いことではありません。

でも、それは市場価値とは関係ありません。

人材市場

それに、まず言いたいのは、

「自分が提供できる価値なんて、その仕事を実際にしてみなければ分からないと思う

……ということです。

だから、たとえば学生さんがこれから就職するというような段階では自分自身の市場価値なんて意識する意味はないって思います。

これとは別に、自分がどんな職に就いたら良いか、どんな仕事に向いているかというようなこと、つまり

「適正」

とか

「自分の願望や目標」

を意識するのはもちろん良いです。

……でもそれはあなたの市場価値ということとはぜんぜん意味が違うと思います。

仮に、あなたの市場価値は? ……と言われても「未知だ」という以外に言いようがありません。

たとえば、どんな学部でどんな専門知識を学んできたとか、資格を取ったとか……そういうことは自分の「市場価値」だと考えるかもしれませんが、実際は同じ知識や資格を備えた人が同じような道を辿るかというとそんなことはぜんぜんありませんし。

そもそも、どの資格やスキルの需要が高いか……そんなこと、自分が職業を選ぶときに考える必要あります?

だって、どの業種業界でも競争はありますし、どの業界でも優秀な人材が不足していると言われていますよ。

雇用する立場から言えば、たとえば単に若いということも「価値」のひとつです。

しかし、その若さが活かされる場合もあれば、逆にマイナスになる状況もあります。

本人の適正と市場価値はぜんぜん別のことです。そして、経験も実績もない状態で自分の市場価値を測ろうとすること、あるいは、あらかじめ自分の市場価値を上げておこうという方向から考えるのは、結局わざわざ自分で自分の適性や能力に枠をはめてしまうような考え方に見えます。

自分の「市場価値」という考え方

次に、もしあなたがすでにある程度の仕事の経験を通して、自分なりの実績やキャリア、そして自分としてはこのような種類の、このような仕事ならばここまではできるという自信、自負を持っているとします。

その時点でいわゆる自分の

「人材としての市場価値」

に関心があるなら、おそらく大手転職サイトなどの「年収査定テスト」みたいなものを試してみるかもしれません。

そのテストがどの程度妥当なものなのかという問題は置いたとしても、そもそも、それによって「あなたの」人材としての市場価値が正しく診断されることになるのでしょうか?

よく考えてみると、そのテストの結果として提示されるものとはあなた自身の価値ではなくて、本当は

「その業界の、その業種に就いた場合の……理想的な年収の上限」

を表示するものに過ぎません。

言い換えると、それって

「その仕事自体の価値」

をかなり大ざっぱに金額で表しているだけです。

それ

「あなた自身の価値」

だと言えるのかな? ……と思うわけです。

もちろん、テストそのものは試してみても良いです……それは、自分の視界を広げ、現状を認識し直してみるという意味で。

しかし、その結果を見て

「ほら、私はもっと価値があるんだ」

または

「やっぱり、私の価値ってこの程度しかないんだ」

……というふうに、そのまま自分に当てはめて考えるのは、あまりにも自分自身の価値を矮小化してはいないでしょうか?

あるいは、無理やりに一般化してはいないでしょうか?

自分の仕事の価値は、その仕事を通して決まるもの

さて、意見の分かれるところですが……実は私は、そもそも人材の市場価値なんてものが存在するという前提そのものからして疑問なのです

特に、それが自分がする仕事の「業界」や「業種」によって決まるなんて信じられません私は。

私は、自分がどの程度の仕事を提供できるか、どれだけの価値を与えることができるのか……というのは、あくまで個別の話だと思うのです。

つまり目の前に実際にその仕事なければ、本当のところ、分からないものだと思います。

……もちろん、そんなことを面接している人とか人材紹介会社の人に言ってもしょうがないです。

あるいは、雇用する側から見れば、

「だいたい業界の基準に合わせた待遇にしよう」

というような配慮はある程度意識するでしょう。

でも、おそらくそれはあくまで配慮であって、単に支払う給与の金額を決める(どちらかというと副次的な)条件の一つに過ぎません。

仮に転職するにしてもですね。

「こういう仕事があるから、あなたやってみないか?」

……という感じで個別に仕事が提示されて、それを自分ができるかどうか、やる意思があるかどうかで

「お受けします」

という話じゃないでしょうか。

または、自ら志願して、応募するにしてもです。

「この仕事は、こういう仕事です」

と提示があって、然る後に

「これは、私ならできると思いますし、ぜひやりたいと思いますので……お願いします」

要するに、先に具体的な案件、仕事内容があって、やるかやらないか……という、あくまで個別の話です。

今のように、先に

「自分にはこれくらいの市場価値があるのだ」

と決めておいて、

「私にちょうど良い、見合った仕事がどこか似ないかな?」

……という考え方の順番が、何かおかしいような気がします。

特定の、その仕事が目の前にあって、その仕事を自分がすることによって、初めて結果が出ます。その結果こそ自分がした仕事の価値なのであって、仕事に関する限りそれ以外に、

「そもそも自分にあらかじめ備わっている価値」

なんて、あります?

その結果が出るのは、その会社の、その環境で、そのポジションであなたが仕事したから出るんです。

私はこんな経験があって、こんなスキルを持っていて、こんな実績を出したことがある……けど、それは過去自分が出した価値であって、でもそれは市場価値とよぶべきものなのでしょうか?

「人材市場価値」は幻想ではないのか?

そもそも働く人、個人個人について市場価値というような概念、基準を当てはめて見るという態度が一般的になったのは、日本で雇用の流動化が叫ばれ始めて、転職ブーム、起業ブームなどが起こって以降です。私の体感ですが。

それまでは、だれも自分の市場価値なんて考えてなかったように思います。

むしろ、それ以前は仕事ってこんなイメージを持っている人のほうが多かったように思います。

「そもそも自分という個人は最初は別に価値が高いも低いもなくて、選択できるのはどの企業に勤めることができるということだけで……最初は新米なんだからだれだって価値は低い」

「会社の中では年功、勤続年数とともに肩書や地位が上がっていくことで責任は重くなり、その責任の大きさによって待遇も上がっていくという面はあるが……どの業務は価値が高い、どの業務は価値が低いなどということはない」

「自分がやっている仕事の価値というのは対価とイコールじゃない……そもそも、会社は組織全体で仕事を成立させているのだから、年収とか給与というのはむしろ世の中全体の景気と、入った会社の業績と連動するものである」

……こんな感じではなかったでしょうか?

私個人としては、今でもこの見方のほうが大筋で正しいような気がします。

もちろん、これはいわゆるジェネラリスト、ホワイトカラーとか一般職と言われる人の場合だけだという見方もあります。

それに、確かに各企業で専門的スキルを持った人材登用の拡大や、実績重視の評価制度が導入されて、

「個人の実績や評価を待遇に反映させよう」

という意識がだんだん大きくなってきたという流れも事実でしょう。

しかし、私が思うにそれはそもそも

「それぞれの企業の内部」

の話です。

つまり雇用方針とか評価制度、そして年収や給与のレンジは基本的に企業ごとに勝手に決めているものであって、たとえば日本全体とか、社会的に

「この仕事をする人は、これくらいの年収」

……というコンセンサスが確立しているとは到底思えません。もちろん、そんな規則や約束は存在しませんし、単純に市場原理が働いているとも思えません。

単に今よりもっと良い待遇、もっと多い年収、もっとやりがいのある内容の仕事……それを望んで新たな活躍の場を求めたり、転職の可能性を探ったりするのするのは構いません。基本的に私は良いことだと思います。

しかし、仕事をする上で、自分の価値というのは、

「先に仕事ありき」

で決まります。

そのことと、自分の市場価値を自分で勝手に想像することとは同じことではないです。