加速する思考のメタ化

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しかし、このような哲学的な事柄を意識的に考える場合ではなくても、あるいは特に自己啓発などしようと思っていない場合でも、メタ的な認知や思考は人間にとってはごくふつうのことで、だれもが無意識的に、日常的に行っているはずです。

メタ思考は人間にとってごく日常的なもの

たいてい、個別に具体的な事柄について考えているうちにも人間はかならず抽象化して物事を把握したり、判断したりしています。

ただ、抽象的な思考を繰り返していると、つまり知識や思考が累積すると、ふつう人はだんだんと混乱してきます。すっきり整理したくなります。

そして、すっきり整理するにはその基準や方法論がまた必要になってきます。その時、メタ思考が必要になるのです。だから〇〇思考法、といったものが欲しくなります。

一般に思考技術とか「〇〇思考法」とか言われるものはたいていこのメタ思考の方法論を述べているということになります。

イメージとして、おそらく時代が進んでいくほど、人間はどんどん抽象的な思考の比重が高くなっていくと推測されます。

進歩と思考の高度化

世の中が進歩して新しい技術が紹介されると、私たちはより便利で快適な生活ができるようになります。今までできなかったことができるようになります。

ただし、それに伴ってより複雑で高度な理解を要する場面も増えてきます。

たとえばですが、計算問題を解こうとする時に、紙と鉛筆で筆算しているよりはそろばんで答えを出してしまうほうが便利ですよね?

けれども、そろばんを使うにはその使いかたを知っていなければなりません。計算するにはそろばんが便利でも、その前提の段階で、まず使いかたを覚えることに限れば紙と鉛筆の方がかんたんですよね?

便利になるということは、ある意味では前提的な理解が高度になるということと裏表の関係にあるわけです。

これは、自転車と自動車のどっちがかんたんか?
手紙とファックスはどちらがかんたんか?
電話と電子メールとどっちがかんたんか?

といった日常ほぼすべての状況において発生します。

より便利であることは同時により難しい前提的な理解を必要とするのです。だから私たちは大切であるか瑣末であるかに関わらず、進歩すればするほど以前より多くの煩雑な知的作業を抱えることになります。

情報過多の時代

しかも、私たちは今どちらかというと情報がありすぎる状態で生活しています。もちろんそれによって以前は不可能だったことができるようになったのです。

また、そもそも情報がなければ自分では思いつきもしなかった事柄について検討する必要が出てきます。つまり人は情報量が多いほど選択肢が増え、多様な可能性を手に入れることができます。

これは本来的にはとてもいいことなのですが、けれども、私たちはいつも悩まされることになります。

日常的にこんなことを考えていますよね?

「どうしたらもっと仕事がはかどるのか」
「どうしたら、もっと良い生活ができるのか」
「自分はもっとこういう性格だったら良いのに」

日々ゆとりがなく、頭の中がゴチャゴチャになったまま過ごしている人もいるかもしれません。あらためて冷静に見ると、こういう問題というのは、実際の個別具体的なことを直接考えているのではありません。

現代社会を生きるには私たちは休みなく多くのことを想い、悩み、考え、判断しなければならないのですが、その中の大部分はむしろメタ的なのです。

これは、自由度や多様性の副作用とも言えます。

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