「魅力がある」とはどういうことなのか?

誠実さ

「熱意や人間的魅力を感じる人には協力する」

これはだれにとっても自明のことのように思っていまました。

私はずっと、他人の同意を得たり、他人から積極的に協力的になってもらいたければ、自分自身がより魅力的な人間にならなければならない……というふうに考えていました。

しかし、実際には必ずそうであるというわけではないようです。

また、そもそも「魅力」というものは主観的なものであるはずで、万人に共通する

「人間的な魅力」
「魅力的な人」

と言う雛形なんて本当は存在しないのではないでしょうか?

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人間的魅力はバラバラ

私は親の意向を押し切って東京に出てきた手前、生活のためにアルバイトばかりしていました。

まともに就職活動もせず、卒業してもそのままフリーター生活を続けていましたが、結局当時アルバイトをしていた会社でご紹介いただいて、店長という肩書で就職しました。

私は張り切っていました。

同時に、お店で働いてくれるみんなにも自分と同じように熱心に仕事に取り組んでほしいという期待が大きくなります。

社員もアルバイトもなく全員をやる気にさせ、本気で仕事に取り組む楽しさを教えてやろうと意気込んでいたものです。

その職場は社員さんのほかにパートさんや若いアルバイト店員さんも多かったので、仕事に対する姿勢や、あるべき姿といった面では不十分な人も少なくありません。

そこで私は、上からあるべき論を説得するよりも、できるだけ同じ目線に立って、私の思うやり方に協力してくれるようにと直接気持ちに訴えるような接し方を心がけました。

そのほうが理解しやすいと思ったからです。

すると、全員ではないのですが多くの人が非常に協力的な姿勢を見せてくれました。

私は

「自分の姿勢や熱意が伝わったので、彼らが本心から私に協力してくれている」

と感じて大変嬉しかったものです。

そこで私は、当初はもっともっと良いリーダーになろうと努力しました。

理想のリーダー像

その頃、私が理想だと思っていたのは

「仕事に熱心で」
「だれもがコミュニケーションしやすく」
「頼りになる」

ような人……これはごくまっとうで常識的な考えだと思いました。

……っていうか、今考えても、どう考えてもまっとうですよね?

ですから私はこのような理想像に近付くよう自分の能力と人格を高める努力を続ければ、それが周囲の人々の積極的な協力を得ることにもつながるのだと考えて、日々気を緩めず頑張ろうと誓っていました。

興味を示さない人たち

ところが今になって冷静に考えてみると、積極的に協力してくれる人も多く出会いましたが、一方では必ずしも私の考えや、気持ちに同調しない人もいつも存在しました。

ふだん話しをする中で

「これはどうも私が考えているのとは違うな」

と思うこともしばしばありました。

たとえば

「仕事に熱心で」

といっても……熱意とか情熱といった感覚をあまり好まない人がいます。

それは単に利己的な人であるとか、仕事そのものに興味がないという場合だけではありません。そもそもいつも冷静に合理的に物事を進めることを好む人というのも案外たくさんいます。

こういう人は、あまりエネルギッシュな人とか、常に気持ちとか情熱といった精神論的な物言いを強調する人に接するとむしろストレスを感じるようです。

考えてみると……実は私自身が子供の頃からそういうタイプだったはずなのです

また

「だれもがコミュニケーションしやすく」

と言いましたが、必要以上にフランクに接することを拒絶する人もいます。

ビジネスライクなふるまいを好む人、職場の人間関係に一定の距離を置く人もいますし、もっと風格や威厳のある上司のほうが頼もしいと考える人もいるようです。

「頼りになる」

という言葉の捉え方も人それぞれに違います。

ぐいぐい引っ張られるのと乗ってくるタイプの人もいますが……自分のペースを乱されると力を発揮できないタイプの人も相当数います。

そういう人は、こちらが「頼りになる」ことをアピールしようとすればするほど、まるで接触を避けるかのように距離を置こうとします。

おそらく、もっと自分のことを繊細に大切に扱ってほしいと考えるのではないでしょうか。

と……このように考えると、理想の上司像やリーダー像というのは、実際には一つに絞り込めないものなのではないかと思えてきます。

どういう上司だったら働きやすいか、どういう人だったら積極的に協力しようと思うかというのは人によってバラバラなのです。

人間関係は選択の産物

一般的に考えても、人間のどういう部分に魅力を感じるかというのは人によってかなり違うような気がします。

幅広く複雑な要素がありすぎて「これ」と簡単に特定することができません。

またそれぞれに相性も異なるものです。

つまるところ万人に認められるような「魅力」などというものは、本当のところ存在しないのではないかと思います。

しかし当時の私は、自分の理想に共感しない人のほうが間違っている……というような感覚すら持っていました。。

合うか合わないかは相手の勝手。

ですが私と考えが違うのなら、何も私のところで働いてもらう必要はない!

……とか思っていました。

ちなみに、もし実際に上のようなことを直接言われたとしたら、あなたは

「そんな考えの上司には協力したくない!」

と思うでしょうか?

それとも

「上司とか、リーダーなんて、それくらいの気持ちがないとやっていけない!」

と感じるでしょうか?

実際には、この両方の人がいるはずです。

ことほど左様に……人間の好き嫌いとか、何に魅力を感じるかというのはバラバラなわけです。

仕事上の強制力

いずれにしろ、上で述べたような感覚というのは……もしかするとその職場で仕事をしている限りにおいては、ある意味効果的な考えだったと言えるかもしれません。

つまり、結局のところ組織というのは

「ある種の強制力を発揮すること」

が初めから想定されているわけですし、そもそも雇い入れる部下はある程度選択できるという前提があるからです。

はっきり言ってしまえば……一人ひとりの持っている考えに個別に配慮するよりも、初めからある程度意思の統一が図りやすい人を集め、統一的な方向性を示して導くようなやり方のほうが早いのです。

ただし。

これは、特定の個人に対して、相手の自由意思だけに基づいて何かに協力してもらおうという場合には、まったく当てはまりません。

その場合、単純に自分の理想とか、自分の勝手な熱意だけを押し付けることが効果的かどうかは個別の状況によって変わってきます。

もちろん効果的な場合もありますが、絶対ではありません。

魅力とは何か

私は、理想的な魅力というものを追い求めて堂々巡りしていました。

そのうちに自分は甚だしい勘違いをしているのではないかという疑いを持ちました。

私はずっと、だれが考えても魅力だと感じるような客観的な魅力というものを追求すれば良いのだと思い込んでいたわけですが、それはそもそも意味がないのではないかと思い至ったのです。

思い違いをしていたのです。

だれもが認めるような魅力ある自分になればだれもが協力してくれるはずだ……というのは勘違いです。

そもそも、魅力というのは自分がその時、その相手に対して感じる主観的なものであるはずなのです。

ですから、相手の協力を感るためにはまずそれぞれの人との

「関係」

に目を向けなければなりません。

私たちは他人に受け入れてもらいたいがために

「自分はこうあるべきだ」
「理想の自分はこうあらねばならない」

……というふうに先に自己像を規定しようとします

これは一見すると内省的で神妙な態度に見えますが、逆に言えば相手にはお構いなしにいつも自分のあり方にばかり目を向けている自分勝手な態度にも見えます。

そうではなく、どういう面で共感できるか、どこに魅力を感じるかは相手が決めることなのです

ですから、もし相手からの同意や協力を求めようとするならば、理想的な自分を追い求めるのではなく、常に相手との関係を中心に考えるほうが直接的です。

実はそのほうが相手を尊重する態度なのではないかと考え直したのです。

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