善でも悪でもない領域

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 カテゴリー:自己啓発

それで、私は今の時点では、上記のうち、

  • 単に「善」という領域が存在するだけ

という考え方を取るべきだと思っています。

言い換えれば、

「世の中には、善でも悪でもない、なんでもないことが存在する」

ということです。

いや、というより、はっきり言えば私は、むしろ世の中のほとんど大部分の物事や行為は善でも悪でもないので、一つひとつの個別のことに、いちいち善悪の基準を持ち込むこと自体がおかしいって言いたいわけです。

一応断っておきますが、物事には一般的な意味で

「こっちのほうが良い」
「それは、あんまり良くない」

というような判断はありますよ?

でもそれは、何が「善」で、何が「悪」という場合の「よい、わるい」というのとはぜんぜん意味が違います。

私は、物事について、その細かい差異についていちいち

「これは善と言えるか?」
「これは悪ではないのか?」

と問うことをやめると言っているんです。

当たり前ですか?

実はこれは多くの人にとって当たり前の考え方かもしれません。

しかし、たぶん、中には(過去の私もそうだったのですが……)これをはっきり言われると

「え? 本当? 何で?」

というふうに驚く人も意外にいらっしゃるような気がするのです。

……だって、私自身が自分で思い付いたときちょっとびっくりしたんですもん。

つまり、善悪というものを二元論的に、あるいは相対論的にとらえるべきだと前提的に思っている人って実はけっこういるんじゃないかと推測します。

特に意識していないかもしれませんが、当然そういうものであるはずだと思い込んでいませんか?

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