目標は思考を規定する

多くの人は、目標設定は行動の、あるいは成功するための第一前提だと考えています。

私たちは、そのように考えるように教えられてきたからです。

ですが、実はそれは「私の夢」を書きなさいと言われた子供の立場に似ています。

本当に夢がはっきり決まっている場合には、それはたいして何でもないことです。

ただ同じことを確認するという意味でしかないから。

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夢を尋ねることは、目標設定を強制する

しかし、無理に目標設定を急がないほうがよい場合もあるのです。

たとえ、最初は本心でなかった場合でも、一度書いてしまうと、あるいは一度想定してしまうと、それに沿って思考し行動しなければならないような気がしてきます。

つまり、それを起点に自らを規定してしまう可能性があるのです。

もちろん、長い目で見れば、たいていの場合いつか、それが本心ではなかったのだと気が付く日が来ます。しかし、それに縛られている間、人によってはかなり長期間がある意味でムダになります。

いい大人でもそうなのですから、まだ自意識や自我の確立していない子供さんの場合は余計に注意が必要ではないでしょうか?

本当は、ひとりの人の中にも多様な意思や欲求が同時にあります。

私自身だって、時には崇高な理想や美しい夢を思い描いてみたりするし、かと思うと今度はきわめて卑近な欲求や、下劣ともいえる欲望を抱いていることがあったりします。

自分でも本当は何を望んでいるのか、そうかんたんに自覚できるものではありません。というか、もともと人間の感情や意思というのはそれほど単純なものではないのです。

さらに、もちろん成功したいのは嘘ではないのだけれども、人はふつう成功のためだけに生きているのではありません。

ある特定の夢さえ叶えば、あとはどうなっても良いというわけでもありません。

むしろ人間はさまざまな現実の状況と折り合いながら、そして時には矛盾する欲求や願望と、理性や常識と折り合いながら生きているのです。

これは実は当たり前のことです。

なのに、

「目標設定しなさい」

と言われると、多くの人は、こんなことではいけないと考えるのです。

自分の夢を具体的にしなければならない。

期限を設け、それに集中しなければいけない。

夢、願望、ゴール、目標……呼び方は何でもいいのですが、最初にそれを明確にするというのは、多くの人にとってむしろきわめて不自然かつ不自由な行為であるにもかかわらず、唯一の正しい方法論だと思われているようです。

もちろん、ある特定の状況下では、目標を持つことが非常に有利である場面があるというのは事実でしょう。

逆に言うと、ある状況では無理に目標を設定しようと考えないほうが有利に働く場面もあるということです。

「将来の夢」を書くなら

もし、私がもし子供たちの前に立つ先生なら、

「私の夢」

というテーマよりもむしろ、

「今一番楽しいこと」

というようなテーマで書いてもらいたいです。

まあ、指導要領に沿ってないのかもしれませんけど。

これは、ある意味では、すでに心の中に自分の夢らしきものが芽生えている子にとっては、夢を書けと言われた場合と内容的に同じことになります。

自分の夢や目標を自覚しつつある子供たちの場合は、それで良いのです。

そして、夢とか目標などという言葉を突然言われると頭が真っ白になってしまうような子供にとっては、

「今一番楽しいこと」

を思い出すのは、夢を書くよりずっとかんたんなことです。

そして、基本的には

「今一番楽しいこと」

を書くのであれば、少なくとも、その子はウソを書く必要がありません。

また、今一番……というのは、意味としてはあくまで相対的に、ということです。つまり、

「楽しいことなんて、なんにもない」

というような子は、通常であればほとんどいません。

そして、それがいずれ「一番楽しいこと」でなくなったとしても一向に構いません。

ましてや、その子たちにとっては、それが将来につながるか、何らかの夢や目標に結びつくものかどうかなんて、まだ知ったこっちゃありません。

それで十分な気がします。

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