なぜ会社の給料はいつも少ないと感じるのか

会社というような組織には、人員調達のため特有の仕組み、いわば「しかけ」があります。前の記事で私はこれを

組織のすり替えメソッド

と呼び、

① 不安のすり替え
② 目的のすり替え

について書きました。

そして、もう一つ重要なのが

③ 対価のすり替え

です。

コイン

忍336



組織のすり替えメソッド ③ 対価のすり替え

雇用を前提とする組織では、対価についての問題はそもそも何に対して支払うかということです。

で、ふつう対価は

「時間に対して支払う」

というのが常識的かもしれません。

社内では時に

「時間を気にしながら仕事するな」

などと叱られることはありますが、そうは言ってもそもそも会社の給料はたいてい「時間あたり」で計算されます

働いている側の感覚で言っても、働いた時間分の賃金をもらうのは当たり前だと思っている人が多いのは現実を見れば明らかです。

もちろん、だからと言って出勤時間までに職場に到着し退勤時間になったら帰る……これだけで支払いが発生するなどと短絡的に考えている人はいないでしょう。

しかし、そうは言いながらも……たとえば今すでにやっている決まった繰り返し業務を退勤時刻まで遂行していれば、すでに契約した分の対価を得るに値する仕事をしているものと考えてしまいます。

「もっといろんな仕事を覚えろ」
「もっと生産性を上げろ」
「もっと全体を考えろ」

といったことは日常どこの職場でも言われることです。

もちろん、意味として理解はできますが……しかし多くの人は

「給料が変わらないのにそんな要求をされても困る」
「そんな命令はむしろ不当だ」

と感じると思います。

まさか自分がそんな義務を最初から負っているなどとは夢にも思っていないわけです。

あるいは、そんなことまで要求される、その分の「賃金はもらってないぞ」と。

ということは……これはやっぱり時間を売っているのです

一見、こういったサラリーマン体質は組織の側から見ると非常に不都合なものにも思われます。ですから、時間によらず個々人の成果に応じて支払ったほうが本来的だという気がしますよね?

第一、雇用契約というのは本当なら、被雇用者が何をすべきか、達成基準はどうかといった面でかなり厳密に規定することが可能なのです。

しかし、なぜかこういう話って……雇っている側、組織の側から積極的に語ることはあまりありません。

なぜかむしろ組織のほうも

「時間に対して支払う」

ことを積極的に歓迎しているように見えます

これはいったいなぜでしょう。

もちろん制度的、慣習的な問題もあります。

雇用している各自の提供物に即して待遇を決定するという建前を完全に正確に履行することは、まず技術的に現実には簡単ではありません

しかしもう一つ考えられる理由があって……それは端的に言えば組織は常に

「人員調達力を優先する」

という事情です。

この面ではむしろ対価に対する考え方について錯誤があったほうが人を集めやすいのです

つまり自分の組織に人員を所属させ拘束するには、対価に関する本来的な理屈がどうこうといった話はいったん後ろに隠しておいたほうがいいのです。

それよりも、会社にとってはなるべく多くの社員を確保し、組織のメソッドを叩き込み、忠誠心を十分に養うことのほうが先決なのです。

だとすると、極端にいえば

「入社した時点で無条件に対価は保証されている」

というイメージを前面に押し出したほうがいいのです。

必要なメソッドをしっかり叩き込んで十分に慣らしておいてから、後になって「成果主義だ」「結果が大切だ」などと言い出す……実はそのほうがうまくいくわけです。

雇用者側の本音

給料を支払う側の本音を考えてみると、各人員が達成した成果に対して厳密に正当に支払うことは結果的に「損」になるのではないかという心理もあります。

なぜなら、第一に成果に応じて支払うというのは、作業自体が大変だからです。

それぞれの人の対価をいちいちその成果に照らして算出する手続きに相当のコストがかかるのです。

だからある程度の不満が出てくるのは分かっていても、できるだけ単純に勤務時間とか、数値化しやすい統一した基準による能力評価といったものを用いてごく一元的に処理できるほうが割安です。

原則として、支払う側がいつも気にしているのは結局は人件費の総額であり、そのバロメータとなる労働分配率や人時生産性です。

その観点でいうと、時間や大まかな評価によってざっくりと対価を決定したほうが総額をコントロールしやすいです。

そればかりか、そのほうが結果が実質的に適性かどうかというのが被雇用者側から見えにくくなります。そのほうが批判を免れやすいです。

第二に、成果を厳密に検証し、査定するというような方法ではなく、上で述べたように統一的な基準でざっくりと対価を決定するやり方のほうが……要するに「ピンハネ」しやすいです。

ピンハネと言うと言い方は悪いかもしれませんが……もう少し経営者寄りの表現をするならば、雇う側には

「経営リスクを肩代わりする分、報酬を割り引かれても文句は言えないだろう」

というような気持ちがあります。

極端に言えば、雇い主が思い描いている理想のあり方とは、組織に属する全員が最大限の努力で組織の目的を達成し、それにもかかわらずその成果よりも低く見積もられた対価で満足してくれることなのです。

ひどいと思うかもしれませんが……実際に自分が人を雇う立場になると、これは想像するほど悪意のある考えではなく、むしろごく自然な発想に思えてくるものです。

もちろん私は、経営者側だけを擁護したいわけではありませんし、実際こういう経営者の方ばかりだということを言いたいのではありません。

これは人間的な感情などを別にして、あくまで組織に固有のメソッドだけを抽出すると事実そうだという話です。

そもそも組織には対価というものを所属する各個人の成果と厳密に結び付けて考えることを回避しがちになる土壌があるのです。

被雇用者側の本音

現実を見ると、多くの人が組織の持つこのような傾向をむしろ支持しているというふうにも見えます。

たとえ割り引かれていようが正当性がなかろうが、何でもいいから一定の収入を保障してもらえるほうがありがたいと考えている人は決して少なくないでしょう。

もし安定した一定の収入を望んでいるなら、一方で殊更に

「評価がおかしい」
「成果に見合っていない」

などと臆面もなく訴えることは自己矛盾ということすら可能です。

多くの人は感覚的にそれを理解しているので、自分の給与や待遇に関してあからさまに注文を付けることをタブーと考えています。

おそらくこの妥協点が

「原則時間に対して支払い、後は評価によって色を付ける」

というようなごくあいまいな形態なのです。

そして、組織はその方法によって個人を取り込んでゆくわけです。

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