自己啓発は洗脳か?

自己啓発というと、即座に

「ああいうのは洗脳なんだよ」

とか、

「マインドコントロールされてる」

と言い放つ人がいます。

それまでふつうに和気あいあいと話していたつもりだったのに、「自己啓発」という言葉を聞いたとたんに、気持ち悪いものを見るような冷たい視線に変わっているのに気が付くと、ちょっと傷付いちゃいます(笑)

でもね、まずとりあえず

「自己啓発=自己啓発セミナーじゃないから!」

と言いたい……けど、もう聞いてくれないのね。

気持ち悪い理由2つ

確かに外側から見るイメージでは、個人向けのセミナーや個別のカウンセリングといったものはしばしば、本人の通常の精神状態や思考を惑わせたり、お客を故意に依存させたりすることによって金を取ろうとしているように見えることがあります。

おそらく、事実そういうのもあるでしょう。

やってる側はそう思っていなくても、こちらから見るとそう見えるという場合もあるでしょう。

主催者側のことはさておき、それを受けている人に対して

「そういうものにハマってる、そういった被害にあってる、ということがもう恥ずかしいというか、ちょっと変っていうか?」

……という感覚は、私も正直あります。

あるいは、セミナーとかじゃなくても、自己啓発本が好きで大量に乱読している人などでも、そんな印象を受けることがあります。

話していることがほとんど明らかに本で読んだことの受け売りだったりすると、何となく気持ち悪いというか、居心地が悪い感じがするのです。

「それで、肝心のお前はどうなの?」

……と感じてしまいます。

よくある反論ですが、もし、本人が言っている通りだったら、

「おまえがすでに成功してるはずじゃない?」

という話になります。

どう見てもそうは見えないけど……っていうか、むしろ君、大丈夫?

というような印象になります。

理由① 自分の意思ではないような印象

そういう場合に、何が気持ち悪いって、本人が話している言葉がなぜか本人の意思で言ってるように思えないんですよね?

「何か別のものに憑りつかれてしゃべらされてるんじゃないか?」

……というような印象になります。

たとえ、いくら良いことを言ってても、というか言っている内容とかよりも先に、

「それって、君の本心なの?」

というような気持ち悪さがあります。

要するに、洗脳されたんだか、自分からハマってしまったのか分かりませんが、どちらにしても言っていることがその人自身の考えではなく、言わされている感があるんですよね?

しばしば自己啓発セミナーと一緒くたに語られますが、確かにこれは新興宗教の場合と共通です。

私は、この意味で「気持ち悪い」と言う相手には、あまり反感を抱きません。むしろ、

「ボクのこと心配してくれてるの? ありがとう」

という気持ちになるでしょう。

理由② 自分がふつうだと思っているから

つまり熱心に自己啓発関連の活動をしている人が「気持ち悪い」理由は、自分の意思じゃないような印象……に主な原因があります。

この意味では、そこに感じる気持ち悪さはある意味妥当な感じ方だと思います。

一方で、すぐに

「気持ち悪!」

という人の中には、単に

「ふつうの人と違う」「自分や、自分の身近にいる人の感じ方と違う」

という印象だけで言っている人もいるかもしれません。

そうなると、ちょっと注意が必要です。

単に自分の考え方や感じ方と違うというだけで彼らを気持ち悪がっている人がいるとすれば、そういう短絡的な物言いをする人を客観的に見ると、実はその人も気持ち悪いです

人は経験や背景のない事象に怖れを抱く

人間はふつう、たとえ科学的にははっきり確定していない事柄でも、長きに渡って多くの人々に信じられていることってあまり違和感なく受け入れられますよね?

世の中には、最近になって覆されたいわゆる「迷信」というのもたくさんあります。

でも、たとえそれが事実としては間違いであっても、ほとんどの人がそれに対して別段、

「気持ち悪い」
「怪しい」

といった強い拒絶を示すことがありません。

なぜかというと、おそらくそれがすでに長い歴史や伝統に支えられて人々の中に定着してきたものだからです。

しかし、自己啓発の情報というのはその性質上、むしろ過去多くの共感を得ているような知識や常識を否定するところにその価値があるものです。ある意味、そのことを「啓発」と言うわけですから。

自己啓発の情報は必然的に一般的な考えからすると非常識な主張になりがちだし、それまでの常識から見ると受け入れないものになる傾向を最初から持っています。

このことが、気持ち悪さや怖さの一因になっています。

つまり歴史や慣習、あるいは多数による共通認識とか、そういう地盤となるような前提がないことが、それを忌避する心理を生み、それを「気持ち悪い」と表現しているわけです。

もしこの場合であれば、これって結局は

「現状の認識が破壊される」

あるいは

「現状の身近な人間関係や枠組み」
「特定の身近な人の人格」

などが変化することへの怖れにすぎません。

その意味での気持ち悪さだとすれば、これは

「現状維持的思考」あるいは「自己保身的思考」

の吐露です。

要するに逸脱が怖いわけです。

しかし、このような意識、つまり現状を前提とする認識や論理というのは、個別にどうこうという問題ではなくてむしろ「自己啓発そのもの」と馴染まないもので、いわば的外れな指摘に見えます。