自己啓発とは「シフトする」ということ

自己啓発というのは、個人レベルにおけるパラダイムシフトのことです。

でも、そうすると定義の上で重要になるのは実は

「シフト」

の部分です。

「シフト」というのは、日本語で言えば「移行」「転換」というくらいの意味です。

もう少し詳しく言えば、目的や対象が変わったときに、その変化に合わせて今まであった配置や体制、枠組みやルールなどを組み替える、という感じです。

パラダイムシフトという場合にも、それはどんなパラダイムから、他のどんなパラダイムへとシフトしたのか、ということは定義上はあまり関係ないということになりますよね?

何であるにせよ、「何らかシフトした」というところが重要なわけです。

つまり、啓発というのはパラダイムの内容や種類を問題にしているのではなく、それが別のものに「シフトする」という現象に焦点を当てた概念なのだと私は理解しています。

すると、非常にイメージしやすいのではないでしょうか?

啓発の原因を特定することはできない

すると、では実際にそれが何によって引き起こされるか?

つまり、何をすれば自己啓発になるのか?

何が自分にとってのパラダイムシフトを引き起こすのか?

……ということがより重要で、それを知りたいと考えるわけですが、実は、これをあらかじめ予測することはほとんど不可能です。

啓発されるパラダイムは内容を問わないのです。同時に、シフトを引き起こす要因もまた、あらかじめ特定することは原理的には不可能なのです。

たとえば、学童期または学生時代、学校で習うことはある意味ではすべて自己の成長に役立つことです。

もちろん、クラブやサークルといった課外活動もそうですし、自由に遊んでいる中でも学んだことはたくさんありますよね?

それらはすべて、啓発の材料となる可能性があり、それをあらかじめ特定したうえで準備するなどということは、教育や指導を行う側にとっても相当難しいことであり、ましてや自分自身が自分についてそれをあらかじめ理解して準備するというのはほぼできません。

逆に言うと、たとえば過去に知ったこと、学んだことの中で、どれがあなたにとって決定的な啓発の要因となったのかを正確に言い当てることは不可能です。

もちろん、自分の記憶の中では非常に重要だと思う言葉やエピソードがいくつか特定できるかもしれません。

しかし、自覚できるのはおそらくごく一部でしょう。

また、それが本当にあなたにとって決定的なものだったのか?

自覚できない別の理由や背景が存在したのではないか?

それ以外にはなかったのか?

……となると、もはや意識の届く範囲ではなく、知る由もありません。

つまり、後から振り返ったとしてもその中でどれとどれがシフトを引き起こす原因になった、とか厳密に割り出すこともかなり困難なのです。となると、仮に過去に経験したとしても、それを活かしてもう一度繰り返す、というような扱い方は困難ということです。

要するに、「啓発」という行為は意識的に再現することが難しいのです。また、意識的にやるとしても実質上はかなり当てずっぽうにならざるを得ないものです。

あなたはおそらくこれからも、仕事を通して、人間関係をを通して、あるいは余暇や趣味を通して、そして世にあるたくさんの情報に触れることでも、何かしらの「気付き」や「学び」を得ることができるでしょう。

つまり広く取ろうと思えば自分が行ったことすべて、経験したことすべてが、あなたを啓発する可能性を含んでいるのです。

ですから、どんなことを覚えたから啓発だと言うこともできないし、知らないうちに啓発されたかもしれません。