「創造的思考」に関する素朴な疑問

「創造的思考が重要である」

しばしば言われることなので、だれでもできれば創造性豊かな人間になりたいと思うのですが……でも、どうしたら

「私は創造的である」

と自信を持って言うことができるのでしょうか?

ひらめき

逆に言うと、ある人が

「創造的でない」

と、どうしてあらかじめ判断することができるのでしょうか?

ここでは創造的思考について、私が感じている素朴な疑問を書き留めておきたいと思います。

創造的思考に関する疑問

① 創造的な人間かどうかなぜ分かる?

まず私は、たとえばある人間が創造的な人か、そうでないのか? とか、どの程度潜在的な創造力を持っているか……といったことを計測することができるのか?

……というのが疑問です。

もっと言えば、そもそも「創造性」という何かしら特性のようなものがあらかじめ存在するのかどうか?

実際には多くの場合、ある人が提出した作品とか発明品とか、あるいは革新的な技術とか発見……このような成果物を見て、結果的に

「あの人は創造的思考の持ち主であった」

というレッテルを貼っているだけなのではないでしょうか?

もっと根本的なことを言えば、創造性などというものは、人間に備わった「能力」と見るべきものなのでしょうか?

たとえば、学力とかIQ(知能指数)のように、客観的にその能力自体を測定できるような意味での、力なのでしょうか?

それとも、単にその人がその時点で持っている一種の「傾向」に過ぎないのではないでしょうか?

② まったくだれも想像もできないようなことを思い付くことは可能なのか?

一説には、人間が発明するものや、今までにない斬新なアイディア……というのは、すでに存在するものの変形か、その組み合わせに過ぎない、というような話を聞くこともあります。

自分で想像してみても……やはり、まったく何も無いところから、いきなりまったく新しいものを思い付いたり、作ったりできるかと考えると、そんなことは絶対不可能な気がします。

ということは、創造性とか創造力と名付けられた能力というのがあるとして、それは結局は

「他者より先に、その組み合わせ方や変化形に辿り着いた」

というだけのことなんじゃないかと思ってしまうわけです。

もちろん、それはそれで評価に値するでしょうし、すごいことではあります。

しかし、それは創造性と呼ぶべきものなんだろうか……と思うのです。

③ 創造的思考の手法に従って考えることは、創造的と言えるか?

創造的思考の方法論として、たとえば「ワラスの4段階説」とか、自由な発想を促進するための「ブレーンストーミング法」といった方法が紹介されることが多いと思うのですが、でも……そもそも、あらかじめ規定されているそれらの

「手法に従って思考を進めていく」

ということが、どうして創造的な思考と言えるのか? という疑問が生じます。

言ってみれば、それって一般に創造的と言われるような思考や発想を生み出す方法論を、知識として知っているだけ……のことではないのかなと。

むしろ、そのような思考作法や手順をまったく無視した時に出てくるもののほうこそ創造的なのではないかと。

④ 創造的思考を育む環境……どこまで影響するか?

創造的な思考や発想をするには、環境が大切だと言われています。

他者からの評価的な発言や、同調圧力などによって創造的思考が著しく損なわれることがある、特に幼少期~学童期の成長環境がその人の創造性を決定づける……というような議論を聞いたことがあります。

でも、それはどこまで相関性があるのでしょうか?

少なくとも、大人になったら自分の思考とか発想とかって、自分の考え方やモノの見方次第でけっこう自由に選べるような気もするのですが……つまり、その気になればだれでもある程度

「創造的になろうと自ら意図して、ある程度慣れればだれでも創造的な思考ができるはず」

なのでは?

⑤ 真の創造性を、他人が理解できるか?

最後に、真に創造的な考えであればあるほど、それは他者から見ると意味が分からないものになるはずでは?

逆に言えば、一般に「創造性豊かなもの」であると認識されているということは、実はそれは他者にも容易に理解できる範囲、程度のものだからこそ受け入れられているのであって、それほど創造的でないからこそ他人に理解可能なんじゃないかと……。

このような疑問が湧いてくるので……私は、創造性などという固有の能力みたいなものが存在するとは思えないのです