自己啓発本に正しさを求めることには意味がない

自己啓発本を読むことには意味がない……と考える人の中には、自己啓発的な情報は客観的な根拠や統計的なデータがないから正しさを証明できないという点を理由として挙げる人がいます。

でも私は個人的には、そのような意味での正しさを求めようとすること……そのことのほうが意味がない気がします。

……それは、そもそも人が信じることや、言葉にする事柄の大部分がそうだからです。

自己啓発的なノウハウは根拠が希薄だとします。

ただ、一つ言えることは、おそらくその反証を提出することもまた同じくらい難しいということです。

だからこそ成立しているんですよね?

よくある議論ですが、たとえば科学で証明できないものは、存在しない……とは言えません。

そもそも存在しないことを証明するのはむしろ何倍も難しいものです。

あるいは、まだ厚生労働省の認可が下りていない薬は、患者さんに投与しても効かない、と証明することもできません。

効果がない、のではなくて効果がはっきり確認できていないだけです。

自己啓発的な知見の有効性や妥当性を、たとえば数値やデータなどで明確に表すことはもちろん相当難しいでしょう。

しかし、有意な有効性がないことを証明することはおそらくもっと難しいのです。

言っていることが完全に間違っているということを立証することもできないのです。

もちろん、これだけでは自己啓発を擁護することにもなりませんが。

自己啓発で言われることは、基本的には体験談

そもそも、自己啓発的な話で引き合いに出される根拠というのはたいてい、言っている本人の成功体験か、過去のクライアントや受講者などの例です。

「私はこの結果、こんなに良くなりました」
「この方法でやったら、こんなにうまく行きました」

または、

「Aさんは、この方法でこんなに成功しました」
「Bさんは以前は皆さんと同じように……だったけど、今はこんなに改善しています」

というような言い方です。

これはつまり経験則を言っているに過ぎないと考えるべきでしょう。

仮に言っていることが本当だったとしても、どの程度再現性があるのか、たとえば同じ方法を100人が行った結果、その内の何人がうまく行ったのか……といったことをデータ化しているなどということはまずありません。

そもそも扱う分野の性質上仕方のない面もありますが、仮にだれかが細かい疑問や反対意見をぶつけた場合、それに反論できるような緻密な理論や、確立したデータなど持ち合わせていない場合が少なくありません。

ほとんどの場合、

「別に、信じないならいいです」
「信じる人だけついてきてください」

という話になります。

つまり、ある意味では、もう理屈なんて通用しない世界なんです。

ある程度歴史のある場合や、大規模に展開している場合などは、その事例のデータが膨大になっていきます。

すると、正しく計測しているとすれば一定の統計的な正しさが主張できるかもしれません。

ただ自己啓発業界で、そんな律義なことをしている人や団体がどれくらいあるのか、私は知りません。

やっているほうは、正当性など求めていない場合が多い

そもそも、こういうものは完全に正しいという根拠を示せと言われても困るのです。

また、言っているほうはそんな根拠なんて示そうと考えてもいないでしょう。

実際のところ、自己啓発的な話題で、正しさを追究する議論はいつも明確な決着を見ることなどありません。

ほとんどの場合互いの言葉と言葉がぶつかり合うだけで、そのことによってそれを完全に肯定することはできないし、当然、完全に否定することもまたできないのです。

これは、スピリチャル、宗教、オカルト、超能力、あるいは陰謀論や都市伝説……あと単純に言うと

「幽霊はいるか?」
「神様は存在するか?」

といった議論をする場合とまったく同じです。

こういったものに対して、このような方法で正しいかどうかを追究するというアプローチを試みても、おそらくどこまで行っても結論は出ません。

それはそれで楽しいですけどね。