才能があるかどうかは、他人に聞いても分かりません

「自分にはどんな面で才能があるのか?」
「将来やりたいことがあるけど、自分にその才能があるのか?」

というような悩みって、家族や友達、学校の先生とか、そういう周りの人に相談してもあまり解決しません。

まわりのだれも、あなたの才能について教えてくれないのです。

才能診断とか適性検査、あるいは自分の深層心理を診断できる心理テストといったものもありますが……興味本位で診断してみても、それをどの程度信頼できるのかと考えると、微妙ですよね?

だれも才能について言ってくれない

多くの人は、才能などというものについて、話したり考えたりすること自体が、まるでいけないことであるかのように振る舞うのです。

どうしてかというと、ほとんどの人は、

① 才能より努力を重視する価値観を信じているから

そもそも多くの人は才能よりも努力のほうに大きな比重を置く傾向があるので、すぐに努力の話をし始めます。

むしろ、自分の才能について問う人は、努力を放棄しようとしている人だ……などと頭から批判的に見てしまうこともあり得ます。

たとえば

「ボクって才能があると思う?」

って聞いているのに、すぐ

「才能なんて関係ない、努力すればなんだってできるんだ!」

といった答えが返ってくることが少なくありません。

こんな乱暴な言い方はしないかもしれませんが、でも、このようなイメージ、信念、あるいはそういう願望を持っている人は、そもそも「才能」というものについてはほとんど関心を持っていないのです。

② 才能=リスク、というイメージがあるから

多くの大人は、そもそも才能というものは目に見えるわけでもないし、数値で計測できるわけでもない曖昧なものでしかないと考えています。

だから、専ら才能に頼った職業や生き方はリスクが高く、成功する可能性もごく少ないというふうに考えています。

つまり、あなたにとって身近な人であればあるほど、あなたが才能なんてことを言い出すと、それだけで心配になるのです。それで、

「そんな、お前にそんな才能なんかあるわけないだろう」
「何をまた夢みたいなこと言って」
「バカなこと言ってないで勉強しなさい」

などと言い出します。

これはたいていは、あなたのためを思って言っているのですが、いずれにしろ質問には答えてくれません。

③ その分野について知らないから

あなたのまわりにいる人は、ほとんどの場合あなたがこれからしようとしていることについて深い見識も経験もありません。ですから、あなたにその才能があるかどうか問われても、それについて何の根拠も持ち合わせていないのです。

だから、何か始めたいときには、それをすでに十分知り尽くしている人に聞かなければならない、とよく言われます。

ただし、注意しなければならないことは……その人が知り尽くしているのは多くの場合

「成果が出やすい方法論=正しい努力の仕方」

です。

ですから、もちろん何も知らない人に聞くよりは格段に有意義なのですが、それは必ずしも

「あなたにその才能があるかどうか」

が分かるという意味ではありません。

才能に関する他人の評価はまったく当てにならない

周囲の人もそうですが、あなた自身も……多くの場合、人間は成長する過程で「才能」というものについてほとんど何も学ばずに大人になってしまうのです。

そして、今度は自分自身も才能について尋ねられたときには、

「才能なんて関係ない、努力すればなんだってできるんだ!」
「そんな、お前にそんな才能なんかあるわけないだろう」

と答えるしかないのです。

前の記事で書きましたが、私は、自分の発想の陳腐さや貧弱さについて絶望した後、それでもまだそれについて何かしらの発想が出てくることを「才能」と定義します

才能そのものの意味を教えて

この定義を前提にするなら、自分の才能というのはそもそも他人に聞いたところで分かりません

というか、本来これは他人に聞くまでもなく自覚できるものです。

ただし、そこで新たに浮かんだ考えや発想が、今度は前人未到の大発見だとか、だれも知らない斬新なアイディアかというと、もちろんほとんどの場合はそんなことありません。

別に、先人たちをも一発で圧倒しうるような素晴らしい発想でなくても良いのです。どんなものでもいいです。

「どうせまたゴミみたいな発想に決まってる。どうせ自分の考えたことなんて、たいしたことないんだ……」

いや、それでもいいんです。

……というか、たぶんどうせ、そうでしょうね(笑)

それでいいんです。

結局、その繰り返しになるんですから。

でも、そのような知識を得て、経験を積んでもなお発想や思考が尽きないというのであれば、おそらくあなたにはその分野についての

「才能がある」

そう考えて良いのです。

しかし、自分の才能を確認するために、自分の発想そのものを他人に話して聞かせたりして認めてもらおうとする必要もないわけです。

なぜなら、問題は唯一「発想があることそのもの」であって、その発想のレベルやクオリティは関係ないからです。

もちろん、おそらく発想の質を上げるのは努力によります。

しかし、そもそもどんな環境でも、どんな精神状態であっても発想が常に出てくるということ自体が大切なのであって、それこそ「才能」と呼ぶべきものなのです。

そして、繰り返しますが、そうだとしてもやはり

「成果=才能+努力」

という公式は変わりません。

他人が評価するのは成果のみ

「才能だけがある」

というのは恋愛で言えば、とっても大好きな異性がいるけど付き合いたくはないと言ってるようなものです。

稀にそういう人いますけど……それだけでは脳内満足に過ぎません。

「特定の異性を好きになる」ことは、才能みたいなものです。しかし「実際にその異性と付き合う」には多かれ少なかれ行動と努力を要します。

ついでに書きますが、他人のことを見て

「あいつは才能がない」
「才能が感じられない」

という人ってけっこうたくさんいますが、その指摘や意見が正確であることはほとんどありません

他人が知ることができるのは

「成果」

のみだからです。

ほとんどの他人は、あなたの才能そのものを見ることはできません。

もともとあなたにどんな才能がどの程度あるのか?

それに、あなたが表した成果の、どれくらいが才能によるもので、どれくらいが努力であるとか……そんなことは見えるはずがありません。

ですから、基本的に他人の才能について語る人は、単に言葉の使い方が間違っているか、そうでなければ単にイメージや自分の固定観念から言っているにすぎません。

まったく当てにはならないのです。

「自分にその才能があるか?」

その質問は、本来他人に投げかけるべきものではなく、

「自分の内から湧き起こる発想」

に向かって問いかけるしかないのです。