「気付き」の何割かは思考遊戯に至る

思考というものを、結果として

① 何らかの行動
② 内面的な変化

の少なくともどちらかを生み出すための活動と位置付ける。

ならば、仮にいったん問題意識を持ったとしても、それが実際の行動または内面的な変化のために

「役に立つ」

という自覚がない限りは思考の要件を備えていないものとみなす。

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思考遊戯とは

すると、たとえばテレビのクイズ番組を見るときのように娯楽として問題を解くというような場合や、興味に任せて某かのテーマや情報について思いを巡らせたりする場合などは厳密には思考とは呼べない。

このように一見思考と同じ流れをたどりながらも、結果としてその結果に実用性が見られない類のもの。

これを

「思考遊戯」

と呼ぶことにする。

すると、日常一般的に

「気付き」

と呼ばれるものの中には、結果的に思考遊戯にいたるだけのものが多く含まれていることが分かる。

(気付きというのを、「啓発」という語に置き換えても良い。)

とにかく、今確認しておきたいことはすべての気付きが思考に至るわけではないということである。

思考遊戯の功罪

だからと言って思考遊戯はまったく無価値だというわけではない。それは、学校の勉強と同じようなもので、いわば実践的な思考のシミュレーションのような機能がある。

たとえば、今の論旨に合わせて言うならば、子供の頃、興味に任せていろいろな思考や思索の機会が与えられるけれども……それらのほとんどは思考遊戯である。

それはたいていの場合、後から振り返ってみれば何らかの決定的な結論を導くためというよりも、

「単に思考に慣れる」

ことのほうに重点が置かれていたのである。

また、思考遊戯には単純に娯楽的な要素もある。

思考の定義

実は、思考を

① 認知(何が問われているのか、または問うべきかを知る)
② 分析(一定の根拠や推測から導かれる選択肢を挙げる)
③ 選択(どれかを選ぶ)

という作業過程のことだと定義するならば……この定義には思考遊戯も含まれてしまう

ただ、思考遊戯と本来的な意味での思考とは、感情などの精神活動をも考慮する場合特に厳密に絶縁したほうが明確である。

ともあれ、とにかくここでは、一般に「気付き」と呼ばれているものの中には思考に至るものと思考遊戯に終わるものが混在しているという点を強調したい。

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