「友情」症候群

私自身の若い頃(特に思春期~青年期)を思い出してみてもそうなのですが、人によっては、たとえば関係するすべての相手を

「友達かそうでないか」

というごく単純な二分法によって区別しがちではないでしょうか。

仲間

そして、たとえば

「自分が友達だと思っている相手」
「自分がいつもつるんでいる仲間内」

だけを極端に重要視し、それ以外の人間関係を頑なに拒絶したり、あまり理由もなく敵対視したりする……という傾向が見られる場合もよくあります。

ある場合には、親とか学校の先生など、周囲の大人たち、あるいはそのように自分よりも上の世代の人全般に対して。

また、周囲の同世代の人についても常に相手が「友達かどうか」を気にして、対応のしかたや態度を変えようとしたりする傾向があると思います。

極端に言うと

「友達、さもなくば他人」

なのです。

私はこれを

「友情症候群」

と呼んでいます。

もちろん、友達というのはとても大切な関係であることは間違いありません。

ですが世の中にはそれだけでは規定できないさまざまな枠組みや、個別の人間関係が存在しています。これは自明のことです。

当然、私たち各個人を取り巻く人間関係、その環境はたとえば「親子」たとえば「先生と生徒」というように、友達ではない多くの関係者が関わって成り立っています。

それらは、どれもそれなりの必然性を持って受け入れなければなりません。

まるで親父の説教みたいですが(笑)

でも、すでに述べたように実は私自身が一時期、内面でいつもそういう気分を持っていたのです。

友達という夢と、現実の友達

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友達しかないという感覚

そのいわゆる

「友達」
「仲間内」

というのが安定した居心地のよいものだったらまだよいのですが、場合によっては、そのようにして限られた(あえて自ら限っている)ごく少数の「友達」との関係……それ自体が、それこそ緊張に満ちた、きわめて心理的ストレスを増幅するような閉塞感や圧迫感を伴うものになってしまっていることもあります。

ある人たちにとっては、友達との関係はむしろ取引関係か、さもなくば自分の人生に課せられた役務のようなものとさえ感じられているのです。

その理由のひとつは、友達とか友情とかいう名のもとに

「限られたごく少数の相手に、たくさんのことを求め過ぎている

という傾向です。

もっとはっきり言うと、限られた人に対して

「すべての面で完全な関係者であること」

を要求し過ぎるわけです。

それが、たとえば極端な友情の押し付けや、ストイック過ぎる恋愛観といったものにも結び付いている気がします。

そのような極端に理想化された関係性を求めることが

「友情症候群」

なのです。

考え方を整理すれば、人間関係も楽になる

「友情症候群」

これは、私が想定するPNWに照らして言うと、自分を取り巻く人間関係を全部

「フレンドシップ」

というグループのみに依存したような状態ということができます。

つまり、自分を取り巻く人間関係が、あるいは人間関係についての考え方、捉え方がいびつで窮屈な形になっているのです。

もちろん、日常的にはそれ以外の関係構築の手法を持たないとしても、それほど意識もしませんし、人間関係を積極的に構築してゆく必要性など感じないかもしれません。

しかし、友情症候群に陥っていると、それぞれの人との関係を具体的に区別できない状態になります。それは、いざ協力者を探そうというときには致命的なデメリットとなります。

友達なんだからという感覚

逆に、たとえばこういう人が身近にいませんか。

「いいじゃん! 友達じゃ~ん!」

とか言って、こちらの意向はお構いなしに、友達であるということを権利のように振りかざして自分に協力させようとする人です。

このタイプの人も、方向は違いますが、すべての人をフレンドシップに位置付けようとしています。

そして友情というのは、頼みごとをしたり協力を求めたりする際の万能薬であるかのように信じているのです。

他の言い方をすると、そもそも対人関係についてグルーピングしていない人です。

つまり周囲のすべての人が友情の名において、自分のあらゆる希望を叶えてくれることを当然のことのように考えているのです。

関係する他人が、常に自分の意向に沿った振る舞いを演じてくれることを望んでいるのです。

ところが、そのようなタイプの人というのは……ではその人自身が常に周囲の人に自らすすんで何か貢献をしようとか、まさに友情を証明するような行動をするかといえばそんなことはまったく期待できないのです。

要するに、しばしば見られる押し付けがましい厄介な人です。

そこまで極端ではないにせよ、相手との関係を明確に整理してくれない人というのはむしろ付き合いにくい面があります。

私は、むしろ相手に対する配慮という面から言ってもPNWに沿って考えることは無意味ではないと感じているのです。

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