自分にとって意義のある目標

前の記事までを少しまとめますと、パーキンソンの法則によれば、人間は自然な状態では

「低すぎる目標」

が与えられると、それに合わせて自分の意欲や能力を出し惜しみする方向に行動します。

よって、自分にとってある程度「高い目標」を設置する必要があります。

ただし「目標設定理論」に沿えば、目標の高さ(難易度や期限)は、それを実行する本人が積極的にコミットできる限度までであればより高い成果が期待できますが、それを超えた著しく高すぎる目標を設定しても、それを受け入れることができないため高い達成意欲は生まれず、成果も期待できません。

さて、この原則に従えば、たとえば会社の業績とか、部署全体での到達目標といった観点で言えば、全体としては平均実績よりも少しだけ高い目標を設定したときに、おそらく全体の、つまり総計としての成果や仕事量は高くなることが期待されます。

つまり全体として見ればそれが最も生産性の上がりやすい、良い目標設定と言えるはずです。

あなた自身の成果のために

しかし、たとえばあなたという一個人だけに注目した場合にはどうでしょう。

実はまず、たとえば客観的な平均を取ったような目標設定だと、それによって個別に「あなた」の生産性が最も上がるという保証は必ずしもないことになります。

つまり、あなたがその目標を達成する確率が上がるかどうかは分からないということです。

仮にあなた自身がむしろその目標のせいで意欲をなくし、本来可能だった成果よりも低い結果しか出せなかったとしても……それを補って余りある成果を他のだれかが積み上げることによって、全体としての成果はより大きくなるから、全体としては妥当なのです。

ただし、それはあなた個人の成果を最大化するという意味ではないのです。

なので、ひとつの考え方としては、現実的には、あなたに対してはあくまで「あなた用」の、あなたが少し頑張れば手の届きそうな目標を設定することが最も効果的だということになるでしょう。

……あなたが平均的な、典型的な行動パターンをすると仮定すればですけど。

人間には自由意志がある

一方で、先に述べた「目標設定理論」で名高いエドウィンAロック博士は他にも多くの分野で研究成果を発表していますが、その中には、いわゆる「決定論」の誤りを指摘し、人間の自由意志の存在を強調しているものが見られます。

また、博士は巨大なビジネスの創業者や経済的成功者が持つ心理的特徴として

「エゴイスティックな情熱」

あるいは

「利己的な愛」

といった観点を否定的な意味ではなく、むしろ一種の美徳として挙げたりもしています。

私が思うのは……全体として、平均値として語る場合と、あなたという個別の欲求や価値観や心理を持った一人の個性が目標達成に関して語る場合とではその前提が大きく変わってくる可能性がないだろうか? ……という点です。

まず私はむしろおそらく、そもそもその個人にとって

「ちょうど良い目標の高さ」

というのは、原則的にはその人の業務の実績やスキル、過去の経験などによってある意味客観的な「ちょうど良さ」が決定されるように思われますが、それと同時に、たとえばその個人が

「今は調子が良いと感じているかどうか」
「自分はツキに恵まれていると感じているか」
「目標未達成をどれくらい嫌っているか」
「周囲の他人と比較したり、競い争う気持ちが強いかどうか」

……といった内面的、精神的な特徴によっても大きく変化するのではないかと感じます。

あるいは、そもそも目標を設定し、自ら主体的に達成に向けて努力するという

「思考パターン」
「行動パターン」

慣れているかどうかという点もかなり影響するはずです。

一般的な目標設定、目標達成に関する理論は

「高い目標を設定したほうが、パフォーマンスも高くなる」

という全体的な傾向を示唆してはいますが……あなたや私という個人にとっては、そもそもそれ以前の前提としていわば

「高く明確な目標を掲げることのできるような人間になる」

あるいは

「高い目標を課すに値する人物になる」

ことのほうが重要で、それが高い成果を実現する前提なのではないでしょうか?

その達成を信じられるような目標が必要

自分自身に関する個人的な目標達成を前提とした場合、いわゆる「スマートの法則」について、私は個人的に少しだけ改変したいところがあります。

少なくとも、自分が設定する自分のための目標に限って言えば

「その目標が今の自分にとって高い目標なのか、低い目標なのか」

がほとんど主観によることになります。

言い換えれば、その目標が

「達成可能(Achievable)かどうか?」

本人の考え方、感じ方によるところが大きいのです

たとえば、代表的な成功哲学書のひとつである ナポレオンヒルの「思考は現実化する」の中では、そもそも

「自分の目標や願望を明確にし、それを絶対に実現できるという信念を固く持つこと」

が必要だという趣旨のことが述べられています。

……当たり前ですけど、実現できると予想される程度の目標を持ちなさいなどと言っているのではありません。

これは多くの代表的な成功哲学、成功法則において広く共通する基本的な考え方です。

仮にこれを認めるならば

「Achievableである」

というのは、あなた自身が

「これはAchievableであるに違いない

と信じることができると言うのとほとんど変わらないですよね。

「Achievableである」

というのは

「Bilievable:達成できると信じられる」

と同義なのです。

個人にとって重要なもう一つの要素

もう一つ、個人がその目標を達成する意欲を最大限に引き出し、その成果を最大化するのに必要だと思われる条件があると思います。

それは、本人が

「それを達成することには自分自身にとって大きな価値がある」

と思っているということではないでしょうか?

……この点では、会社などで課される目標というのは(建前はどうあれ)十分とは言えない場合も少なくありません。

たぶん、であるからこそ「SMARTの法則」に含まれていないのかもしれませんね。

しかし、自分自身に関しては違います。

人の意欲とか期待できる成果というものは、実施する本人がその行為にどれほど

「価値」
「意義」
「やりがい」

などを感じているかによって決定的に変わってくるはずです。

「Worthwhile」

という語は、やりがいがある、自分にとってふさわしいといった意味の言葉です。

自分にとっての目標は

「Worthwhile:自分に合った、自分にとって意義のある、やりがいのある」

ものでなければならないのです。

ですから、この場合は「SMARTの法則」じゃなくて

① S(Specific):具体的かどうか?
② M(Mensurable):測定可能かどうか?
③ B(Bilievable):達成できると信じられるか?
④ W(Worthwhile):十分な意義があるか?
⑤ R(Result-based):成果に基いているか?
⑥ T(Time-line):いつまでにやるのか?

……とするべきです。

つまり

「SMBWRTの法則」

になります。どうやって読むんじゃ?

……スマートじゃなくてごめんなさい。

【スマートの法則】―目標設定は達成可能Achievableであるべきか?

スマートの法則とは、一般に

① S(Specific):具体的かどうか?
② M(Mensurable):測定可能かどうか?
③ A(Achievable):達成可能かどうか?
④ R(Result-based):成果に基いているか?
⑤ T(Time-line):いつまでにやるのか?

―これだけ! SMART(倉持淳子 著)より

という5つの基準によって、目標設定の妥当性を判断するものです。

5つの条件の一つひとつを見ると、それぞれは実はどれほど目新しい要素ではなく、ビジネスやコンサルティングの現場でしばしば指摘されるようなことばかりに見えます。

ただ、スマートの法則そのものはジョージ・T・ドラン(George T. Doran)によってこのような

「SMART」

な形にまとめられたことで広く一般に普及しました。現在はより応用的な適用の仕方もいろいろ紹介されており、個々の表現にも多くのバリエーションがあります。

達成可能であること?

スマートの法則によれば、目標というのは

「Achievableであること」

つまり、それを達成できるということがあらかじめはっきりしている必要があるのですが、では実際に私たちが立てる目標は常にその条件を満たしているでしょうか?

……実は、とてもじゃないですが、そんなことは断言できないのではないでしょうか?

目標の出どころ

想像してみることにします。

もし、あなたが会社などに勤めているとして、もしも一見して絶対達成できそうもない営業ノルマや必達目標みたいなものが決まってしまったら、あなたはどのような反応をするでしょうか?

そうですね……もし私だったら、建前としては

「達成できるように最大限努力しまーす!」

と一応言うかもしれませんが、内心では

「こんなの、できるわけないだろ!」

と悪態の一つも吐きたい気分になるでしょう。

その日は同僚を誘って飲みにでも行きますか……。

「あんなムチャな目標、どうやって達成しろって言うんだよ、なあ?」

と同僚に同意を求めます。同僚が

「だよなあ。会社はぜんぜん分かってないよなあ」

と同調してくれれば一安心、といったところですね。

つまり、この場合には私は

「Achievableであること」

は目標設定の必須条件であって、それを満たしていないような目標を強要する会社のほうに当然問題があると考えているというわけでしょう。

自ら立てた目標は、Achievableであるべきか?

でもですね……自分自身が自らに課そうとする目標についてはどうなんでしょうか?

逆の面から言うと、自分で立てた目標が

「Achievableである」

ということは、今の自分でも十分できるような程度のことだという意味になります。

しかし、もしそうならばその目標をあえて設定した意味は?

たとえば、多くの人が毎年のお正月に「今年の目標」を考えると思いますが、それがすでに

「Achievableである」

ようなものである必要性はあるでしょうか?

極端に言えば、そうなるとそれはもう「目標」ではなくて単なる「予定」にすぎないということにならないでしょうか

多くの人は、なぜ目標設定を自らしようとするのかと言えば

「現状をより良い方向に変えたいから」
「将来的に実現したい夢や願望があるから」
「今の自分をもっと成長させたいから」
「自分の可能性を今より広げたいから」

……です。

そうでなければ、目標など基本的に必要なくなってしまいます。

単に計画や予定を立て、それに沿って着々とできる範囲のことを実行していけばいいだけなのですから。

繰り返しますが、スマートの法則は

① S(Specific):具体的かどうか?
② M(Mensurable):測定可能かどうか?
③ A(Achievable):達成可能かどうか?
④ R(Result-based):成果に基いているか?
⑤ T(Time-line):いつまでにやるのか?

の5つの基準です。このうち、

③ A(Achievable):達成可能かどうか?

という条件を除けば、これらはほぼどんな意味での目標に対する場合でも均しく当てはまるでしょう。

目標はいかなるものであれ

「具体的で」「測定可能で」「成果に結び付くもので」「期限が明確である」

べきであるというのは基本的にその通りです。

……ただし、唯一

③ A(Achievable):達成可能かどうか?

という点に関してだけは、私たちはその意味をよくよく吟味する必要があるのではないでしょうか?

【目標設定理論】できるだけ高い目標のほうがいい?

目標設定に関する基本的な考え方として

「できるだけ高い目標を設定したほうがいいか?」
「実現可能な程度の目標を設定したほうがいいか?」

……という2つのうち、どちらがより有効かという問題があります。

エドウィンAロックの目標設定理論とは

エドウィンAロック博士(Edwin A Locke)は、リーダーシップやモチベーション論の権威で、博士がレイサム (Gary Latham)らとともに著した

「目標設定理論」

は現在の目標設定に関する研究の基礎となるものと言えるでしょう。

ロックの目標設定理論では実験の結果から

「できるだけ高い目標を設定したほうがいい」

という見解が採られています。

エドウィンロックの目標設定理論の骨子

① より高い目標(困難さや、期限の短さ)のほうがパフォーマンスは高くなる
② より明確な目標(数値化、基準)のほうが達成率は高まる
③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)でなければ効果はない
④ 適切なフィードバック(進捗のチェックやペースメイキング)によって達成率は高まる

参考:https://edwinlocke.com/

これが目標設定に関する考え方として主流となっています。

低すぎる目標の問題点

自然に考えても、あえて低い目標を設定したら、それに合わせて時間や労力が非効率に用いられることになりそうだという想像は付きますね?

ゆえに、目標はできるだけ高く設定したほうが良いという結論は妥当に感じられます。

しかし、当然このように感じる人もいるはずです。

「あまりに高すぎる目標を設定したら、モチベーションが下がってしまうのではないか?」

と。

たしかに、実感としてその意見にも一理あるように感じられます。

そこで重要なポイントとして挙げられるのが

③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)でなければ効果はない

という点です。

つまり、ある程度高い目標であっても、実行する本人がそれに自ら納得して、主体的に取り組む意思がある場合には、それは効果的であるということです。

逆に言うと、仮に客観的に見て、あるいは周囲との比較で相対的に見てそれほど高い目標とは言えないような場合でも、本人がそれに積極的にコミットしなければ、達成率は著しく低下するということです。

……これも、自然な実感と一致しているように思えますよね?

ストレッチ目標とは?

そこで、今ふつう多くの企業などで、社員の目標管理の手法として見られるのは

「本人がコミットしやすく、かつ低すぎない程度の目標」

を設定することです。

「ストレッチ目標」
「チャレンジ目標」

と呼ばれたりしますが、要するに、努力すれば十分届きそうな「少し高い目標」を設定するわけです。

エドウィンAロック博士の実験

ここで、ロック博士が行った典型的な実験のひとつは
被験者(たとえばある企業の従業員など)を

「高い目標を設定したグループ」
「低い目標を設定したグループ」

に分けて、それぞれが出した結果を比較検証するというものです。

この前提で実験したとすると、結果としてより高いパフォーマンスを発揮した人が「高い目標を設定したグループ」の側に偏るのは、ある意味当たり前かもしれません。

だって、もしその目標を本人が自分で設定したのなら、そこには初めからその人の能力や、過去の実績や、自己効力感の高さといったものがすでに織り込まれているに違いないからです。

……これだと

「もともと高い能力を有する人は」

「相対的に高い目標を設定することが多いから」

「結果として、相対的により高いパフォーマンスを発揮する」

と言っているにすぎないというようにも思えますよね?

では、各自が自分で目標設定するのではなく

「全員に一律の目標を与えた」

とすればどうなるでしょうか?

たとえば、

「今月の契約件数の目標は10件」
「成約100万円以上必達」

このような一律の目標を全員に与えた場合、実際の状況を想像すると……おそらく、もともとそれくらいの目標なら余裕で達成できるという意識の人は、当然それくらいの達成率を示すでしょう。

ただし、この場合には、それ以上に余計に達成しようというインセンティブが働かない可能性があります

「それくらいでいいのなら、それくらいにしておこう」

とするわけですね。

一方で、初めからこんなに高い目標は達成不可能だと考えて、早々に諦めてしまう人も出てきます。この人にとっては、この高い目標は

「コミットできない非現実的な目標」

にしか見えません。だから、そもそも達成しようとは思わないでしょう。

そして、両者の中間に位置する、もう少し頑張れば達成できるかもしれない人たちは、個別に言えば、すごく頑張るかもしれないし、少しは頑張るかもしれないし、頑張らないかもしれない……。

こんな状況が予測されます。

となるとこの場合、この目標には第一のデメリットとして

「目標より高い達成が期待できる人の成果が制限される」

という問題があります。一方で、それなりに

「頑張ろうとする人も出てくる」

というメリットがあります。

大まかに言って、このプラスとマイナスの効果のバランスが全体の達成率やパフォーマンスの高さを決定します。

で、全体により高い目標を設定した場合、上のデメリットがそれだけ減少します。たとえば、今までにだれも達成したことのないほどの異常に高い目標を全員に与えたとすれば、余裕すぎるので成果を制限しようとする人は皆無となるでしょう。

しかし、一方では早々にあきらめてしまう人の割合も増えるでしょう。つまり、コミットできる人自体が少なくなります。

ロック博士の実験では、明らかに非現実的であるような「一定限度を超えたレベル」に達しない範囲では、できるだけ高い目標を設定するほど有効という結果が導かれました。

この結論は上のような推論とも合致していますね。

よって現実的には、より多くの人がコミット可能で、かつ成果を制限しようとする心理が働かない程度の

「妥当に高い目標」

を個々人に対してそれぞれに与えるならば、全体としては最も有効という話になります。

それが、いわゆる

「ストレッチ目標」
「チャレンジ目標」

ということですね。

個人のコミットメントの前提

さて……会社自体の業績とか、経営上の問題とは別に、私たちがここで考えたいことは、今設定しようとするその目標というのが

「会社など、他者から与えられた目標」

である場合と

「自分に関して、自分で設定する目標」

の場合で、どう違うかという点です。

単純に考えると、自分事の範囲で自ら目標を設定するのだから、その場合には当たり前に

③ 本人が納得して受け入れた目標(コミットメント)

になると決まっていると思うかもしれませんが……実際のところはそう簡単には割り切れないもので、私たちは現実には自分で設定しておきながら

「まったくモチベーションが上がらなかったり」
「途中でやめたくなったり」
「なぜこんな無理な目標を立てたのか、と自分で思ったり」

します。

これが常に私たちの悩みの種なのです。

自分で設定したとしてもそれを達成しようという気持ちが湧かないのであれば、事実上コミットメントが成立しているとは言えませんよね?

コミットメント(commitment)というのは、ふつうに言えば「誓約」とか「責任を持つこと」といったような意味ですが、私たちはたとえ自分で言ったことだとしても、必ずしもその通りに実行するとはとても言えません。

その場合、それは自分のコミット力(たとえば能力とかスキル、知識、やる気や精神力……)に問題があるという面もあり得ますが、同時に

「そもそも目標設定の仕方に問題があった」

とも考えられます。

すると、自分で設定した場合でも、自分が思うより少しだけ高めの目標を設定するのが最も効果が高いということは原則として同じように言えるでしょう。

しかし、たとえば成功哲学書などでは

「実現できるような程度の目標では、効果がない」
「今の自分とかけ離れた目標を決めなさい」

……と勧めているものも多いです。

ロック博士の研究による目標設定理論ですが、この面から考えてみるとどうなるのでしょうか?

多くの成功哲学書が支持しているように、むしろ一見不可能と思えるような、現実感のない単なる空想のような目標をただ作ったとします。

しかし、目標設定理論によれば、それに自らコミットし現実に達成するのは困難であるという話になってしまいます。

ここで思慮が必要になるでしょう。

会社でのノルマや期初に掲げられるコミットメントのような、他人から課された目標と、自分自身が望むものを得るために想定するもっぱら自分のためだけの目標との大きな違いは何でしょう?

パーキンソンの法則とは?

パーキンソンの法則とは、端的に言うと

「ムダは起こるべくして起こる」

ということです。

パーキンソンの法則とは


「パーキンソンの法則:進歩の追求(シリルノースコートパーキンソン著)」によって提唱されたパーキンソンの法則の原型は

第一法則
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
第二法則
「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」

の2つの法則で、パーキンソン博士は1950年代当時のイギリスにおける官僚制に対する批判的考察としてこれを提唱しました。

官僚制……今で言えば

「公務員の数」

の問題ですね。当時のイギリスは戦後の軍備縮小や植民地政策の転換などが目下の課題でした。

つまりパーキンソンの法則は、不必要に拡大を続ける官僚機構とその人員、予算の膨張に警鐘を鳴らすものだったわけです。

パーキンソンの第一法則

第一法則は

「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」

というものですが、おそらくだれもが感覚的にも理解できるものと思います。

典型的な例として、ひとつには

「夏休みの宿題」

のような場合が考えられます。

振り返ってみればあなたもそうだったかもしれません……多くの子供たちは、夏休みの宿題を 「最後の一週間」 くらいでやっつけて間に合わせるのです。

中には、たいていクラスに一人くらい……最終日、一日だけで全部やったという強者もいたでしょう。

原因 ① モラトリアム(猶予)

このようなことが起こってしまう原因のひとつは……それは当然

「夏休みの間にやればいい」

という(実際にはずいぶん余裕のある)締め切りが決まっているからです

学校の先生からするとそれは決してほめられたことではないでしょうが、子供たちはたいてい

「これ以上着手を遅延させると、締め切りに間に合わなくなる」

と感じるギリギリのところまでモラトリアムします。

しかし、このことは、逆に考えると夏休みの宿題を終わらせるのに夏休み期間の全部が必要なわけではない……ということを表しているとも言えますよね。

「締め切り」効果

一般に、締め切りを明確に設けることで、それに間に合わせようとする心理が働くので効率的になり、作業時間が短縮できると言われます。

いわゆる「締め切り効果」です。

パーキンソンの第一法則は、いわばこれを逆の面から言っているものと考えることができます。

締め切りが(必要以上に十分な長さで)設定されているとき、人はその締め切りに合わせて着手を遅らせるのです

同じ内容と量の作業でも、期限が3日後と指示されたら3日で終わらせます。しかし、

「来週まででいいよ」

と言われれば丸々一週間かかってしまうことになるわけです。

原因 ② クオリティの追求(善意の)

しかし、パーキンソンの第一法則はなにも、モラトリアムだけが原因ではありません。

本人はまったく怠けているわけではなく、むしろ精いっぱい真剣に取り組もうとしているときでさえ、第一法則が働いてしまうのです。

それは基本的な方針として、今しなければならない作業について、本人が

「自分にでき得る限りの最高のクオリティ(品質)を提供しよう」

という意思、つまりむしろ善意から起こるのです

要するに、むしろある程度「ちゃっちゃと」やっつけで作業してしまうなら時間はかからないのです。

しかし、自分なりにその作業の細かい点まで配慮して、たとえば資料作成などの書類を提出するにしても

「より分かりやすく明確な構成にできないか?」
「テキストの表現は最良か?」
「図表をさらに加える必要はないか?」
「データのミス、誤字脱字はもうないか?」
「だれかに、他人の目からチェックしてもらう必要はないか?」

……というふうに、こだわり始めればより多くの改善点や、より良いアイディアがいくらでも出てくる可能性があります。

つまり

「より時間をかければ、より良い、より完成度の高いものができ得る」

という単純な公式が成り立ちます。

この側面から言えば……必然的に

「完成のために与えられた時間をすべて満たすまで、その仕事に費やしたほうが良い」

ことになります。これはむしろ、この側面から言えば正しい判断ということにもなるわけです。

「自転車置き場の議論」

ただし、上記のことはたとえば業務の効率化や生産性の向上、あるいは全体最適化や目標達成といった側面から見るとデメリットに見えます。

これに関連して

「自転車置き場の議論」

という示唆的なエピソードがあります。

たとえば、あなたが住んでいるマンションかアパートかの、自転車置き場が雨ざらしなので屋根を建てようという話になったとします。それに関して、住人たちの管理理事会が開かれました。

すると、理事会に出席した住人たちは口々に

屋根の素材はどんなものがいいか?
どのメーカーのものが最適か?
屋根の色はどうするか?
形は?
鍵は必要か?
費用は利用者のみが負担するべきか?
とりまとめはだれが行うか?
工事業者の手配と進捗管理はだれがするのか?

……などなど、延々と議論が出てくることになるでしょう。

「今回はまとまらなかったので、また次回……」

となる可能性もけっこうあります。

ところが……ここで、もちろん上の議題についてはそれなりに重要だと思う意見も出るかもしれませんが、たとえば

「屋根の色を何色にするのがいい?」

という点について多くの時間をかけて議論する意味はあるでしょうか?

一方で、そもそも

「本当に屋根を付けたほうがいいのか?」

については話し合われたでしょうか?

……このように、本題から考えるとあまり重要性が高くない点のほうにむしろ議論が集中してしまい、そちらに多くの時間やコストがとられてしまう現象のことを

「自転車置き場の議論」
「自転車置き場の色問題」

などと呼びます。

この例は、実はシリルノースコートパーキンソン自身によって(上記の本とは別のよりカジュアルな風刺本の中で)語られた、いわばパーキンソンの法則の派生形で、

「パーキンソンの凡俗法則」

と呼ばれることもあります。

パーキンソンはこの例との比較として

「原子炉の建設計画」

の場合について述べています。

これだけ問題が表面化している現代ではこの例は適切とは言えなくなっている面もあるのですが、基本的な考え方としては、こういう、費用が莫大で判断責任の大きい問題については、多くの人は自分の意見を言いたがらないという点では的を射ています。

だってよく分からないし、自分の意見や判断がもし間違っていたら、重大な責任を問われるかもしれないから。

その結果、一部の権威者や専門家の意見がそのまま通りやすくなり、結果としてその審議に必要な時間は短縮されます。誰も大した意見を言わない、いや、言えないのですから。

パーキンソンの凡俗法則
「会議の長さは、議題となる計画の予算規模に反比例する」
あるいは
「組織は些細な物事に対して、不釣り合いなほど重点を置く」

そして、この凡俗法則から当然の帰結として、もともとの

第一法則
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」

ことの意味も問われることになります。

パーキンソンの第二法則

さて、第二法則は

「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」

ですが、たとえば官僚制における公務員の数で言えば、パーキンソンの第一法則が働くことによって現場の人員、そしてその管理に要する人員についても、それはいつも

「手いっぱい」

の状態になります。第一法則によって、各自が使える時間がすべて使われてしまうのですから当然ですよね。

すると、公務員の数というのは、その内部からの声に従えば結局、国家予算が許す限り膨れ上がるのが自然ということになるわけです。

仕事はいくらでも出てくるものです。
時間はいくらあっても足りないのです。

そしてこれは……本当は民間企業でも、また、あなたという個人の範囲だけで考えても同様に働く法則と言えます。

一方で生産性とかコスト削減という要請が強制力を発揮しなければ、人間は常に時間も費用もすべて

「必要なものとして」

ある意味適切に(?)使い切ってしまうのです。

「逆算せよ」の考え方が成り立つ前提

成功したいなら、夢や願望、あるいは目標を「先に」明確にした上で、

「逆算」

するべきだと言われます。

たとえば「7つの習慣」という本でも

「終わりを思い描くことから始める(Begin with the End in Mind)」

という習慣の重要性が挙げられていますね。

逆算思考とは、いわば目標達成の王道と言ってよいでしょう。

逆算思考は目標達成の王道

ディテールはそれぞれ異なるかもしれませんが、目標を達成する成功法則としては、次のような考え方が一般的でしょう。

① 自分の夢や願望を明確にする

まず、自分が望むものや、思い描いているものを明確にする作業が必要です。

それがあなたの目的地であり、終着点となり、それがはっきり決まらなければ、あなたはどっちに向かって進めばいいのか分からないでしょう。

② 目標を決め、紙に書く

イメージすることも大切ですが、それを明確に言葉にすることによって「目標」となります。

夢や願望というと、漠然と広がったイメージのようにも感じられますが、少なくとも「目標」というのは、明確に一定の具体的な形や状態を表すものでなければなりません。

逆に言うと、その「目標」以外のものをいったん排除するというような確固とした、はっきりした意思を自分の中で定めるということですね。

また多くの成功本では、それを紙に書けと指摘しています。

③ 達成へのSTEPを考え、期限を決める

目標が明確に決まったら、それを達成するために必要な手順や過程を思考し、その各STEPについて期限を入れます。

しばしば、

「期限のない目標は、目標ではない」

といった言われかたをしますね。

④ 具体的な方法を考え、実行する

自分で想定した各STEPを期限通りに実行する具体的な方法を考え、実行します。

期限が定まっていることで「締め切り効果」が生まれ、実行力が高まると言われています。

また、目標を明確に紙に書くことで、それに必要な情報を意識的に優先して拾うようになる(選択的注意、カクテルパーティー効果)とも言われます。

⑤ 上記の手順を繰り返し確認し、思考する

多くの成功本でも、一度だけでなく何度も読み返すことが奨励されています。

人間は一度自分で決めたことだとしても時間の経過とともに忘却してしまいます。

また、繰り返し思考することでさらなる情報処理や思索が行われ、より理解が深まっていきます。すると最初には見えていなかった観点に気が付いたり、新しい考えや発想がひらめいたりもします。

逆算思考とは?

上のような考え方を進めていくには、

「目標が先にあって」

「それに至るためには今から何をするべきか?」

という順序で物事を考える必要があります。

つまり、通常は私たちは自然に

「過去→未来」

という流れを前提に物事を把握していることが多いですが、ここでは

「未来←現在」

というように、時間の流れを逆にしたような考え方をするわけで、これを

「逆算思考」

と言っているわけです。

逆算思考が成り立つ条件

ところが……。

実際には、多くの人が上記のような流れで思考しようとしてもうまく行かなかったり、自分では逆算的な考え方できちんと目標設定したつもりでも、その通りに進めることが困難だったりします

なぜでしょうか?

……おそらくそれは、逆算思考が実質的に成り立つには、次のような条件を満たさなければならないからです

① 夢や願望をすでに自覚していなければならない

まず、自分の夢とか願望というのがいったい何なのか?

また、それは他の物事とどういう関係にあり、どんな優先順位で自覚されているか?

……といったことが、明確に自分で分かっている必要がありますよね?

② 自分の決めた目標に疑念が生じてはならない

そして、それを「目標」という、かっちりした形のものにしなければなりません。

自分のことだから言われるまでもなく分かっているというふうにイメージしがちですが、実際には、多くの人にとって案外これが難しいのです。

逆算思考するには、先に「目的地」が決まっている必要があると言いましたが……たいていの人は、そこへ向かおうと歩き出してからも、

「自分が生きたいのは本当にそこなのか?」

……と迷ってしまいがちです。

目標がはっきりしていないのに、そこから逆算するというのは無理です。矛盾しています。

③ 達成に至る手順が分かっていなければならない

また、逆算が成り立つためには、そこに至る道筋があらかじめ分かっていなければなりません

もちろん、実際には偶然の要素とか想定外の事態というのは起こり得るにしても……少なくともだいたいの道筋くらいは知っていないと、たどり着けるかどうかも分からないでしょう。

それには、あなたが今からやろうとしている

「達成に至る手順」

というのが、おおよそでもいいから先に見えていなければなりません。

④ 期限に間に合わせるスキル、実行力が必要

そうしなければ、たとえ自分で「期限」を決めたところで、そもそもその期限の設定が妥当なのか、あるいはムダに長いのか、それとも初めから無理なのか?

……判断のしようがありませんよね?

仕事や、自分にとって当たり前になっている慣れた行為の場合には、人はそれに妥当な期限を設けることはいとも簡単にできます。

しかし、ほとんど経験のないことを行うときには、期限を設けたとしてもそれは

「当てずっぽう」

でしかありません。

ビジネスにおいて、納期が遅れることは日常茶飯事だということも私たちは体感として知っているはずです。その時、私たちは何と言うでしょう?

「こんな無理な納期、守れるわけないじゃん」

……とか言います。未知の課題に期限を入れるというのは、そもそもそういう状態とほとんど変わらないとも言えます。

⑤ 当初の目的を忘れてはならない

人は日常生活の些末な事柄にもすぐ気を取られてしまいます。

何か緊急の用件や、問題が発生するかもしれません。

すでに慣れ親しんだ範囲のことであれば、もしそのような時でも、すぐにもとの思考に戻れるでしょう。

しかし、たいてい人の夢や願望というのは、自分自身にとって未知であり、私たちはそれについてほとんど無知であることが多いのです。

……今まで上げた、目標、期限、手順や過程、細かい方法論といったものは、現実には少し目を離すとすぐにあいまいになってしまうのです。

逆算が成り立つ段階に至るには

上のように考えるならば、そもそも逆算思考を成り立たせるためにはある種の

「前提条件」

が存在することが分かります。

端的に、その条件というのはたとえば以下のようなものでしょう。

① ある程度そのことに精通している必要がある
② すでに具体的な作業が習慣になっている必要がある
③ 大枠、大局観として方向性に疑いがない
④ 情報源やツールが入手可能であること

さらに縮めて一言で言うと、逆算思考するためには少なくともそれを相当程度

「すでにやっている必要があり」
「知っている必要がある」

ということです。

逆算する前に必要なこと

夢や願望はもっと先にあるもので当然だとしても、もし、そちらを起点として逆算せよと言うならば、私たちは少なくともそれを逆算するための経験と情報を持っていなければならない。

……そうであって初めて

① 妥当な期限を設定する力
② 典型的な障害をかわす力
③ 目標に対する距離感
④ 具体的な作業のボリューム感

が得られるはずです。

そうでなければ逆算思考とは、単なる机上の空論、まさにそれ自体が単なる夢、願望といっしょになってしまいます。

……まずこの地点に立って初めて、逆算思考が実質的な意味を持つはずです

しかし、そもそも多くの人はまだこの地点に至っていないのです。至っていないのに、空論だけで逆算しようとするから、その通りに事が運ぶはずがないのです。

まず行うべき「逆算」とは?

さて、このような場合、あなたが行うべき「逆算」というのは、実はあなたが今までもそうしてきたように、形だけを真似て想像だけで作り出した空論的な逆算ではなくて……。

まさに

「上記のような条件を揃えるために、今自分に足りていない部分はどこか?」

……ということを自己発見することです。

上記のような条件下でしか、逆算思考は有効に機能しない。

……ということは、これらの条件がすべて揃っている状態というのがまさに今の段階でたどり着くべき「ゴール」です。

つまり、逆算思考によって目標達成するには、まず

「逆算思考が機能する条件」

から逆算すれば良いわけです。

「成功できない理由」― 7つの結論

「成功できない理由は何だと思いますか?」

と、もし聞かれたら何と答えますか?

……おそらく、あなたも何かしらすぐに思い浮かびますよね

たとえば……

すぐ思い付く4つの理由

「あなたに夢の仕事ができない理由」

私たちがふつう「成功できない理由」を思い浮かべる時、それは大きく分けるとたいて以下の4つの側面のうちどれかに偏っており、その表現はほぼ無限です。

① マインドのせい

マインドセットができてない
目標が不明確
ひとつの考えにこだわっている
変な思い込みがある
言い訳が多い
自己流でやろうとする
感情を優先してしまう
流されやすい
悲観的
自分自身について誤解している
収入以上に支出が多い
お金に対する嫌悪感がある
浪費癖がある
近道をしようとする
自分に甘い
失敗を認めない
やる気が出ない
悪習慣が抜けない
苦労を避ける
怠惰
飽き性
情熱がない
モチベーションが維持できない
行動が足りない
先送りにする
リスクを取らない
試行回数が足りない
我慢強くない
手を打たない
自信がない
向上心がない
安全志向になっている

② 資質、能力のせい

能力がないから
頭が良くない
やり方が分からない
考え方が分からない
反省しない
アイディアを具現化する方法がない
結果が出るのが怖い
自分との約束を守れない
勉強が嫌い
考えるのが嫌い
続かない

経験が足りない
仕事が遅い
スピード感がない
人間関係が下手だから
人付き合いが悪い
考えすぎる性格
他人の意見に耳を貸さない
良い人ぶってしまう
他人の目を気にする
臆病
真面目過ぎる
他人と比べるクセ
我慢強すぎる
もっと大切なものがある
目立ちたくない
孤独を怖れる
自己イメージが低い
運が悪い

③ 環境のせい

仲間がいない
メンターがいない
相談できる人がいない
環境が悪い
育てられ方が悪かった
良い仕事がない
目移りする
他に役割がある
忙しい
時間がない
刺激がない
恵まれていない
正しい情報がない
タイミングが悪い
チャンスがない

④ 仕組みのせい

教育が悪い
社会が悪い
世の中が不公平
世の中は一部の人に有利にできている
何か巨大な力が働いている自分は絶対成功できないようになっている
成功など夢物語にすぎない
成功を望むのは間違っている
本当の成功などどこにもない
真に成功した人間などいない
成功したら地獄に落ちる

見落としがちな3つの理由

⑤ 「成功できない理由」をよく考えないから

さて、もちろん挙げようと思えばもっといろいろ言うことができるでしょう。表現の仕方もいろいろあるでしょう。

……でも、もしかするとあなたは今こう思ったかもしれません。

「こんなにたくさん並べたところで、それに何の意味がある?」

あるいは、

「いろいろ言い方を変えているけど、要するにこういうことでしょ?」

……って。

そもそも多くの人は、自分が成功できない理由を「ごく安直に」考えています。

たとえば、その理由を何か一つ思い浮かべただけで、

「じゃあ、それさえ解消できれば成功できるはず」

と半ば自動的に考えてしまうのです。

でも、実際には単に自分の欠点をひとつ克服しても、あるいは周囲の問題のひとつを解決しても、それだけで即成功できるはずはありません

それは冷静に考えればすぐに分かることなのですが、人はしばしばこの分かりやすい思考の罠にかかってしまうのです。

⑥ 「成功できない理由」を少しずつ潰していこうとするから

あるいは、あなたは今こう考えたかもしれません。

「問題や、要因が多くあるのは分かっている!」
「でも、一気に解決することなどできないのだから、少しずつ潰していくしかないじゃないか」

……って。

たしかに、一見それは確実なやり方に思えるかもしれません。

焦ってもうまく行かないという考えも一理あります。

ただし、そのように成功できない理由を一つひとつ潰していこうとすれば、それはこのようにほぼ無限に出てくるわけですから、いつまでたっても潰し切ることはできないでしょう。

多くの人がこの罠にはまっています。

私が思うに、実は

「自分が成功できないのはなぜか?」

……と、そこから考え始めることがすでに問題を増幅させているのではないでしょうか?

成功できない理由を探し出して、その解消方法を調べたり考えたりして

「対処する」

という、その思考にハマっている限り無限ループなのではないでしょうか?

なので、いちおう結論として言えば、実は成功できないのは

⑥ 無限ループしているから

ということになります。

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「成功法則」は嘘ではないのか?

成功法則なんて、この世に存在するはずがない。
嘘に決まってる。

……という人はたくさんいます。

たぶん、そっちのほうが多数派と言えるかもしれません。

しかし、それは本当でしょうか?

「成功法則の嘘」という言い方がウソの場合がある

最初に確認です。

一般的に

「成功法則の嘘」

といった言い方をする場合、その中にはしばしば、こういうものも含まれますよね?

「よく知られている、その方法はウソで……本当はこうやる」

という展開になっているものです。

言い方としては他に

「あなたのそのやり方では成功できない。なぜなら本当はこうだから」
「それは間違い。あなたはこの点を分かっていない」

……というのも同じです。

それぞれの内容が正しいか間違っているかは別として、こういう話で出てくる場合の

「成功法則は嘘」

という表現っていうのは、

「成功法則なんてこの世に存在しない」
「世の中にあるすべての成功法則は全部ウソです」

……と言っている場合とは明らかに違いますよね?

だって、別のやり方があるって言ってるわけですから。

全否定する人は実は少ない

ここで話題にしたいのは、そもそも

「成功法則などというものは、存在しないんだ!」
「全部ウソだ!」

という主張についてです。

「成功法則は嘘だ」

というのを、そのまま文字通りに受け取ればそういうことになりますよね?

……実は、真正面からこう言われると、それはそれで自信を持って賛成できる人は少ないのではないかと思います。

実際のところは、多くの人は何となく

「半信半疑」

という感じのまま、付かず離れずという感じで「成功法則」と付き合っているのではないでしょうか?

成功法則は「実証」が難しい

これは、ある意味で「占い」を信じるか信じないか、と似ているように思うかもしれません。

けど違います。

占いの場合は、たいてい、当たったか外れたかがすぐに分かります。つまり結果がはっきりします。だから、その結果を見て判断するということが可能です。

しかし、成功法則については、結果をすぐに見ることはできません。また、ずっと先になって仮に結果と言えるようなものが出たとしてもそれが成功法則に沿っていたからなのか、それともぜんぜん別の要素によって起こったのかも判然としません。

つまり、成功法則というのは、そういう方法論ではウソとも本当とも言い難い代物なのです。

となると……もし、それでも「ウソだ」「いや本当だ」と言いたい場合には、どうしても

「その具体的な内容をある程度理解し、吟味しなければ」

言いようがないわけです。

「成功法則は嘘だ!」という人のタイプ

さて、だからふつうに考えれば成功法則というのは、かんたんに

「ウソだ」

と言うのは難しいものです。

言っときますけど、もちろん逆に言えば

「本当だ」

と言い切るのも同じように難しいのですが。

ただ、それにしては、けっこうかんたんに

「成功法則はウソだ!」

と言い切っている人が多くないでしょうか?

私は、それは次のようなタイプの人が含まれているからだと思います。

① 実はあんまり知らない

まず、けっこう多くあると思うのが、上で書いたように

「成功法則のウソ」

みたいな本とか、ネットやYouTubeなどの情報を見て、そのまま何となく

「ウソなんだろうな~」

と思っている場合です。

そもそもよく知らないのであれば、実は嘘とも本当とも言えないわけですが、おそらく、もう先に「ウソだ」という情報(というより、単なるフレーズというか、そういう言い方)に触れてしまっているために、初めからそういう視点で見てしまうという傾向はあるように感じます。

② 逆にいろいろ知り過ぎて混乱している

逆に、たくさんの違った意見や情報を知り過ぎて、判断が付かなくなっているという場合もあり得ます。

たいてい、成功法則というのは多くのパターンを知れば知るほど、互いに矛盾するような主張とか、あるいは既出の知識や情報を否定するような立場の主張などがたくさん存在することが分かります。

あるいは、どれかを少し試してみて、すぐに目立った成果が感じられないからと言ってすぐにやめたり、別の方法に変えたりします。

こうしていると、だんだん何を信じていいのか分からないという状態に置かれます。

すると、全体として

「これはもう、全部ウソなのではないか?」
「そもそも、全部間違っているのではないか?」

という心配が頭をもたげてくるのです。

先ほど言ったのと同じで、成功法則というのは自分で実際にやってみて、実証したり検証したりするのがそもそも難しいのです。

ただ、たとえば

「一部に偽物が含まれてしまっている」

ことから

「全部が偽物である」

という結論には結びつきません。この推理は理屈としては明らかにおかしいはずですが、でも人はそういうふうに思いこんでしまう傾向があります。

③ 100%再現性のある「完全な成功法則」があると信じている

これは私の個人的な持論ですが……どんな条件下であっても絶対に成功できる完全無比の成功法則というものは、たぶんどこにもありません。

でも、どこかに(少なくとも理論上でも)そういう意味での成功法則が存在するはずだというイメージを持っている人もいるでしょう。

すると、現実に紹介されているようなものは、すべて

「そんな意味で完全なのではない」

ので、(その意味では)すべてがウソであるという言い方はできます。

でもこの考え方は、一見すると理屈は通っているようにも思えますが、実はほとんど意味がありません。

もともとあり得ないものを想定して、そうじゃないから全部ウソと言っているに等しいのですから。

④ 自分が成功できない理由を求めている

最後に、理屈を逆から思考して、

「成功法則など嘘だ」

と結論付けている場合があります。

つまり、現在自分自身が成功できていないという事実からスタートして考えると、その原因のひとつの可能性として

「成功法則というのが、そもそも間違っている」

という考えが出てくるわけです。

これは少し感情的な問題も含んでいます。

要するに、自分が成功したいのにできない……という不満を、何かのせいにしたいわけですよね?

でも、実はこの考え方もあまり意味がありません。

だって、もしそれが事実だとして……では、その場合あなたはどうやったら実際に成功できるわけですか?

成功法則というものを一切使わないで、ですよ?

あなたが成功すると、成功法則を証明することになる

仮に、あなたが

「成功法則なんて、全部ウソだ!」

と完全に信じてですね……世の中にある成功法則を一切使わないで、何かぜんぜん別のやり方で実際に成功できたとします。

でも、そうするとどういうことになるでしょうか?

それは結果的に、あなたが

「もう一つ別の成功法則を発見しただけ」

ということにならないでしょうか?

それとですね……その場合、あなたは意識的に今ある成功法則的なものを使わないように注意しながら成功したとしてもですよ?

私の想像ですけど、それってたぶん、実際に説明しようとすると、非常に多くの部分が今ある「成功法則」とカブっちゃうと思います。

おそらく、説明を抽象的にすればするほど、それは結果的に今あるものとほとんど見分けがつかないようなものになるでしょう。

つまり、私が思っているのは、そもそも

「成功法則を信じて、それを忠実に実践した」

と、あなたが思おうと

「成功法則なんて無視して、それに頼らず自力で実践した」

と、あなたが感じていようと、実質的には、成功する人は、だいたい成功法則の通りに行動を積み重ねたから成功したという事実は変わらないんじゃないかということです。

だから私自身は(そのような意味での)成功法則というのは、確かに存在すると思っているわけです。