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人はなぜ組織に属するのか
多くの人が学校を卒業すると半ば自動的に就職します。
就職というのは企業という組織に自ら属するということで、私たちはある意味でそのために涙ぐましい努力をします。
でも、それはいったいどんな動機からでしょうか?
3A(安心・安全・安定)の渇望
私たちは実際、物心つく頃から今に至るまで数の論理とか集団の力というものを体感的に理解して育ちます。
そうでなくてもひとりぼっちは何となく不安です。何をするにしても集団に属したほうが安全だという心理になりやすいし、それは間違いともいえません。
このようなごく自然な心理を所属欲求などと呼びます。
しかし、単なる集団に属するのと、会社など明確な目的を持った
「組織」
に属するということは厳密には意味が異なります。
また実際には何も会社などの組織に属することだけが唯一の選択肢であるというわけではありません。
きちんと選択した?
それを踏まえて、でも理性的に主体的に選択した結果として組織に属するのであればよいのかもしれません。
しかし、実際には私たちは、そんなことよりもたいてい人はいつも潜在的な、感情的な理由で行動を選びます。
つまり多くの場合……私たちはじっくりと考える以前に、自分でも自覚できない不安あるいは欲求に衝き動かされて自分の道を選んでしまうことになります。
そしてたいてい「組織」は某かの安心感を実際に与えてくれるのです。ただしその代償として
「すり替え」
に目をつぶりさえすれば……です。
① 不安のすり替え
私がそうだったように、他人に対する原初的な警戒感が強い人や、初対面の人に会うことに過度の不安を抱く傾向を持つような人にとっては特に、組織の傘の下にいる状態はむしろとても過ごしやすく居心地のいい状況ということもできます。
まさに安心、安全、安定なのです。
毎日ほとんど同じ顔ぶれに囲まれた自分の居場所があります。
新しい人に出会う機会も減るし、自ら顧客を探したり新しい取引先を開拓したりしなくても収入を得ることができます。
たとえ営業職だとしてもです。少なくとも相手は「私という個人」ではなく「私が属している会社」と関係しているので自分にかかる負荷が違います。
組織という枠組みが背景にあるから思い切って相手にぶつかっていけるということもあります。
そしてたとえ致命的な失敗をしても一個人が直接全責任を取ることはまずありません。
だって会社のためにやってるんですから。
会社のために
「会社のために」という理由付けはとても便利で有効です。
私などにとっては、それが自分の弱点を抑圧するのにちょうど良かったわけです。
それに、この言い方は……反論されにくいです。
むしろ多くの人に共通の、否定しようがない正論ですから。
もちろん仕事にプロ意識を持ちベストを尽くそうとする態度は本当にすばらしいことでしょう。それを否定する必要はありませんが、ただ本来を言えば、それは組織に属しているかどうかとは本来関係ありません。
さらに典型的な問題は、自分にとって都合が悪くなると「会社のために」という言い方は
「これは自分自身の主体的な行動ではない」
「私はやらされているだけなんだ」
というような意味にすぐ流用してしまいがちだという点です。
また……私の場合は心の中で葛藤を生むような自分の弱さ、打算、感安、恐怖といったものを感じたくない場面になると、いつもそれを転嫁するために
「仕事の場では自分の好き嫌い云々は関係ない」
「会社のためにベストを尽くすのは前提だ」
「これはだれかがやらなければならないことである」
というような厳しい仕事観を自分に課すようにしてきました。
おそらく……私一個人の感覚だけだったら、そこまでストイックなことを考えなかったかもしれませんし、たとえそう思っていたとしても実際に周囲の人たちにそんなことをはっきり言う勇気も出なかったかもしれません。
つまり組織を背景にしている場合と、そうでない場合とで
「実際の行動は異なる」
ということでしょう。
振り返って考えると、私の場合はまさに
「会社のため」「組織のため」
というのが自分のよりどころとなっていたわけです。それによって自らの行動を正当化し、美化していたのではないか?
多くの人がこのような気持ちを抱えながら「会社のために」という理由にすがって毎日をやり過ごしています。
またむしろバリバリの仕事人間と見える人たちに特にこういう傾向がある気がするのです。
その根本的な背景になっているのが、組織によって担保されている(と私たちが信じている)
「安心、安全、安定」
という神話です。
他人を動かす根拠
自分の内面でこういった論理が固定してくると今度はそれを当然に正しいものとして他人にも押し付けたくなります。
考えてみると私自身いつも部下に対してはそのようにふるまっていたと思うのです。
組織についての違和感や嫌悪感といったものは、仮に当初は意識していたとしてもだんだん薄れていきます。
それどころか組織の中である程度の地位を占めた暁には、むしろ「仕事だから」とか「会社のために」というような理屈は最も使い勝手のよい理由付けになっていました。
もちろん私は単純にそれだけでは人は動かないということは知っていました。
それに配下の社員たちの雇用とそれぞれの成長や待遇の向上といった問題についてある種の責任も感じていたのです。
自分は案外部下思いのよい上司であり、よい指導者だとさえ思っていました。
相手が望もうと望むまいと……自分さえこの気持ちを忘れなければ
「人の上に立つことができる」
などと、大胆にも私は心からそう信じ込んでいたのです。
しかし今考えると……私が思い描いていた部下の成長や向上というのはまさに
「組織のすり替えを受け入れろ」
と言っているのと同じ意味だったような気がするのです。
そして、それゆえに部下は当然に私の指示命令に服し私の意見を取り入れる義務があると感じていました。
もっと言えば、私の期待に忠実にふるまうのが一番正しいというような不敵な思い入れさえあったと思います。
私は組織の求めるものを理解できないのは、つまり彼らが未成熟だからだと思っていました。
そう思い込むと、そもそも持っていた人間関係に対する苦手意識が薄れていった気がします。
新たに生まれる不安
おそらく、たいてい人は組織に属することで精神的な安心感、安全、安定感を得ることができます。
ただし……その代わりごく自然に心を捉えている唯一の不安。
それは自分自身がその組織から排除される不安です。
それだけが増幅されてゆくようになります。
「不安のすり替え」
とはこういう心理のことです。
② 目的のすり替え
ところで、企業の目的とは何でしょう?
そこで働くあなたに永遠の「安心・安全・安定」を保障することでしょうか?
もちろん……それも目的に含まれているということもできます。
「企業の目的は、利潤の追求」
「企業の目的は顧客創造である」
「ゴーイングコンサーン(永遠に継続すること)」
「創業者の夢の実現」
「みんなを豊かに、幸せにすること……」
他にもいろいろに表現できるでしょう。どれも理念としては素晴らしい、輝かしい「目的」ではないでしょうか?
で、それは良いのですが……たとえあなたの勤める会社の目的がどう表現されようと、それは本来は、もともとを言えば
「あなた自身の目的」
じゃないですよね?
企業の目的は「あなた」の目的じゃない
組織の目的そのものはたいてい非常に単純化した形で示されます。
社是、スローガン、今季の目標……どんな形であれ。
ところで、それと比較して、たとえばあなたとか私という一個人にとっては、たとえば
「自分の人生の目的」
とか、あるいは仮に
「仕事の目的」
と限定してみたとしても……それって実はなかなか単純に明確に言い切れるものではありませんよね?
だれもが常に明確な目的意識を持って暮らしていると考えるのは非現実的です。
それが一生に渡ってずっと明確であり続けると考えるのはもっと非現実的でしょう?
ただ、そのように仮にそもそもの自分の目的や目標というものがはっきりしない人でもひとたび組織の一員となれば、組織はあなたの意志とは無関係に非常に単純でもっともらしい、受け入れられやすい目的をはっきり示してくれます。
これは必ずしも悪いことではなくて、むしろ多くの人にとって実はありがたいことです。
いわゆる「やりがい」ですね?
組織にとっての目的というのはそこに所属する個人から見れば「やりがい」です。
そして、企業などが掲げる目的は仮にどんなに壮大なものであっても……その目的を別にあなたが一人で自主的に統合的に、自分ひとりで達成しようと背負う必要もありません。
みんなでやればいいから。
会社は目標や計画を明確に掲げるだけでなく、その達成のためのディテールを幾重にも細分化して、所属する各自にかなり具体的に割り振って明示してくれます。
指令系統が明確に存在し、指示や命令も比較的はっきり与えられます。蓄積されたノウハウを用いることを許され、個別に指導や助言や協力を仰ぐこともできます。
こういった環境というのは、自分で目的を初めから考えて自分ひとりで行動を起こして達成しようとする場合に比べて非常に有利ですし、実際に行うべき内容も簡単になります。
つまり、組織の中で業務を遂行するのは、あなたがひとりで自分の目的を実現しようとする場合に比べて格段にたやすいのです。
実際には細分化された上で与えられたごく限定的な業務をつつがなくこなすことが、まさに組織の大目的に貢献するということと同じ意味になります。ですから望むなら大きな達成感、満足感を得ることも可能です。
ある意味ではこんなに楽しいことはありません。
しかしこれらはそれぞれの個人から見れば
「目的のすり替え」
です。
もしかすると、就職とかする時点ではあなた自身はそれは生活の糧を得るためとか、キャリアを手に入れるためとか……つまり自分では手段だと思っていたかもしれません。
でもいつの間にかそこに所属して業務を行うことが目的となっているわけです。
組織から受ける評価
組織内部にいる各人にあっては、昇給や出世などを通して組織内でより高く評価されることが是とされます。
あえてこれに理屈を付けるとすれば、その組織の内部では、指令系統上より上位にある人は組織の目的の達成についてより直接的に影響を及ぼす立場とみなされるから「偉い」のです。
また、組織の内部で「偉くなる」ということは、自分の安心感、安全性、安定性をさらに盤石のものにするために最も有効であるようにも見えます。
すると組織に所属している各自にとっては、今度はそれが目的化していきます。
これも別に必ずしも悪いことだと言いたいわけではないです。
むしろこれは組織というものの非常に価値のある、喜ばしい特徴だとも言えるわけですが……しかし、現象として言えば
「目的がすり替わっていること」
は明白です。
個人と組織の軋轢
ところで、一方では
「組織に甘えたくない」
「自分に何ができるか試したい」
「自分自身の実力を高めたい」
とか考える人も多くいると思います。
組織に頼らない生き方とかアントレプレナーシップとか……また、最近は年代を問わず自立心、独立心を是とする価値観も浸透してきています。
もちろん、そうであってもやはり企業に就職する道を選ぶ人は少なくないわけですが……。
特に、あらかじめ自分なりの目標や目的意識を持って組織に属することを選んだ人は、その、そもそも自分が持っている動機や意思と、組織から与えられる目的との間に常にインテグリティ(整合性)を考慮しなければなりません。
もしそこにうまく整合性を見い出すことが難しい場合は……たとえば組織の目的に合わせて自分の目的を変更するか、組織の目的を本心から受け入ることなく建前を演じるか、またはあくまでも暫定的なものと割り切って期限付きで組織の目的遂行に徹するか、といった何らかの回避策が必要になるわけです。
もちろん、実際にそこでの仕事や活動を通して当初の考えが変わってくることも十分あり得ます。
それが良いのか悪いのかは個別の問題ですが、いずれにしろ、ダブルスタンダードの状態を長期に自覚的に継続することは非常に難しいです。
人間はふつう、単純に一つの目的を想定してそれに集中して行動するほうが容易だから、そういう状態は人間の自然な心理に反しているわけです。
また組織は個人の自己実現についてのモチベーションを必ずしも促進しません。
昨今はそういった面に配慮してくれる企業も増えているとは感じますが、しかしそもそも論で言うと、そんなことは組織の側にとっては目的ではないからです。
仕事の目的を探す
当初はたいした目的意識も何もなく入ってきた人が、仕事の進め方や特定の業務に精通するにつれて自分自身の目的らしきものが見え始めるというような変化の仕方もあり得ます。
自分のパフォーマンスを向上するために自ら積極的にスキルアップを目指したり、より自分の可能性を広げるために自己啓発に取り組んだりするというような気概も出てきます。
ただし、組織に属していれば内部的には常に組織の目的を優先するような圧力下に置かれていますから、そこから逸脱するような個人的な目的を優先させるという方向に変化することは原則難しいです。
また、組織の中で経験的に学べることは常に組織に有利なように一種のフィルターがかかっています。
本人さえ気がつかないまま組織の目的がまるで自分自身の目的であるかのように思い込んでしまうことが往々にしてあり得ます。
これは避けようとしたところで実際にはかなり難しいことです。
また本来組織に属しているのだから、それを避けようとすることのほうが間違っているという理屈も成り立ちます。組織中にいる間は組織の目的達成を中心に考えることを避けてはならないというほうが正論なわけです。
自分の目的らしきものが見え始めたと思ったときにはこんな点をよく考え直してみる必要があるではないかと思います。
自分で考えられる社員とは?
入社時に
「自分で考える社員になってほしい」
「むしろ独立精神を養ってほしい」
というような訓示を聞かされる人も多いでしょう。
意気込みとしては理解できますが、たとえばそもそも3A(安心・安全・安定)の充足を求めて入社してきた人から見れば、意図に相反する命令に聞こえます。
ただ、実のところを言うと、多くの組織や経営者などが言うところの
「自分で考える」
とは、事実上
「組織の目的を最も効率的に達成するために、その手段を自分でも考えてほしい」
という意味にすぎません。
組織の目的とまったく関係ないことを自由に考えろというのではないのです。
もちろん例外的な環境に恵まれることもあり得ます。
あるいは、組織自体の雰囲気や環境とは無関係にたまたま本当に親身に一人ひとりの成長や自己実現を優先してくれるような気構えとそのための正しい技術を持っている上司や先輩に出会うかもしれません。
しかし全体としてそれはごく少数です。
逆に言うと、企業理念として個人を尊重するような経営理念を掲げている会社であっても、中にいる全員がその意思を正しく認識し、十分に尊重しているかというと……あまり期待しないほうがいいかもしれませんよね?
いずれにしろ、基本的には組織から見れば、自分の望みや目的などというものは脇に置いてひたすら組織の目的達成に邁進してもらったほうが好ましいのは自明のことです。
ですから上から下から真ん中から……結局は常にそういうバイアス、同調圧力がいつも働いているという前提で考えなければならないということは覚悟しておかなければなりません。
そこで、何とか自分が働く動機や目的との整合性を保とうとしたり、ある程度妥協したり表裏を使い分けたり……と自分なりに試行錯誤することになるわけです。
独立、起業の欲求
しかし……何%かの人は、結局は組織に依存していることの不合理を悟ることになります。
組織に属している間に、自分の目的との乖離が明確になってくると強い不満や反発を感じて組織と決別したいという欲求が募ることがあります。
また、もちろん最初からそのつもりで組織に属している人も多数います。
しかし、その中で実際に自分自身の本来の目的のために行動を起こせるのは全員ではありません。
何割かの人は
「いつかは独立して事業でも起こしたいなあ」
とか言いながら具体的には何もしないまま現状維持します。
実は自分でも分かっているのです……実際に組織を捨てて独立したり、または自分を頂点とする新たな組織を作ろうとしたりする意思などないことを。
こういう人たちにとって組織に属していることはいわば
「永遠の暫定」
なのです。
当然、その背景には
「組織に属していたほうが安心・安全・安定」
という思想というか、信念があります。
組織の人員調達力
ところで、組織にとって調達可能な人員というのは次の3つのタイプがあるということにが分かります。
つまり
① 自ら組織に依存しようとする人
② 組織を積極的に活用し、しかる後去ってゆく人
③ 永遠の暫定にとどまる人
ということになります。