もちろん、単に身だしなみばかりを意識したところで、その他の面がおろそかでは意味はありませんが……でも、しばしば
「実力さえあれば見た目は関係ない」
「本当に仕事ができる人は、外見なんか気にしないものだ」
というような価値観を持ち続けている人もいるでしょう。
私が思うには……そのような価値観は、ほとんどの場合現実には容易に受け入れられません。
少なくとも、その人が言う
「実力」
「本当に仕事ができる」
というのが、稀代の天才とか歴史上の偉人と肩を並べるくらい突出したレベルなら別かもしれませんが……通常私たちの大多数にとっては、やはり基本的に見た目、外観というのは社会的に成功するかどうかと極めて密接な関係があります。
身だしなみを整える一般的な理由
まず、ふつう私たちが身だしなみを気にする一般的な理由としては、次のようなものがすぐに思い浮かびます。
① 変な目で見られないように
これは仕事上においてもプライベートにおいても共通ですが、まず自分のことを
「おかしな人」
「変な人」
だと思われないようにする……というのは当然ですが身だしなみを整える大きな理由になります。
要するに、
「私はふつうである」
というアピールの意味があります。
「ふつう」
というのは、端的に言って自分はいわゆる社会通念や常識をわきまえている人物だという意味です。
これは、よく言われるような身だしなみのチェックポイントとか以前に、まずどういう服装を選んでいるかというところから始まります。
そもそも、たとえば今だったらふつうは社会人なら男女ともスーツ姿であれば違和感はないですよね?
それは現在の常識とか社会通念がおおよそそうなっているという共通の認識があるからです。
いくらきれいに正しく着こなしていても……会社にいきなり紋付き袴や留袖を着てきたら絶対おかしいわけですよね。
ところが逆に言って、たとえばお子さんの運動会の応援に行くのにスーツ姿だったらかなり違和感があります。
……関連しますが、次に
② 自分の役割を明確に表明する
という意味が挙げられます。
その職業にふさわしい外観をする必要があります。第一、その時に選んでいる服装そのものが、あなたが一体何の仕事をする人か、どんな役割の人かを表すわけです。
同時に、その職業に求められる資質と能力をあなたが十分に獲得しているということを示す材料にもなります。
職業によりますが、たとえば
「正確さ」
「几帳面さ」
「穏やかさ」
「親しみやすさ」
とか
「独創性」
「情熱」
「意欲」
「徹底度」
とか、個別にはいろいろ考えられますが、要するにあなたが何を主に重要と考えているかを示すことになります。
③ 信用度を維持する
さらに、身だしなみを意識的に整えることは、あなたという人間の信用度を上げます。
上げます、というか……むしろ信用を損なわないように維持すると言ったほうがいいかもしれません。
身だしなみの不備は、あなたがこれからする行為や活動にも不備が発生するのではないか……という不安につながります。
実際にはそれほど関係ない場合であっても、少なくとも見ている相手は容易にそれを連想してしまいます。
「身だしなみ」はどちらかというと守備
……というふうに、一般的には当然、身だしなみというのは第一義的に
「相手に対する配慮」
を示すために意識するものだという認識が一般的です。
それは別に間違いというわけでもないのですが……しかし、あえて言えば上のような例では身だしなみというのはむしろ外観によって不要なマイナスイメージを持たれないようにするという面に意識が行っています。
言い方を変えると、身だしなみというのはいわば無難に及第点を取るためのもので
「とりあえず、マイナスな印象を持たれなければよい」
という考え方が一般的かもしれません。
ただし、もししれだけに終始するなら、もちろん無難ではあるけれども、逆にこれといってプラスでもありません。
つまり、一定程度に身だしなみを整えるということが、何か特に著しく高い評価や他人との差別化の材料になるわけでもないですよね?
身だしなみを「武器」にするには?
もしそれ以上の効果を狙おうという気持ちがあるのならば、身だしなみ自体を
「単なる配慮」
ではなく
「より積極的なアピール」
となり得るレベルまで高めなければなりません。
身だしなみというものをただ常識とか礼儀といった括りだけで考えるのではなくて、自分の武器と言えるくらいに追求し、洗練するとしたらどうでしょう。
そもそも「服装」「外観」「身だしなみ」についてそこまで意識している人はそう多くないはずです。
もしビジネスなど不特定の他人を相手にするような活動によって大きく成功しようという意図があるなら、そのように意識するだけでも他者より大きく抜きん出ることが可能です。
自分なりのスタイルを作り上げるために
ふつう「身だしなみ」と言えば多くの場合、いわゆる
「身だしなみチェックリスト」
みたいなものを使って自己チェックを試みる……と言ったことを思いつくでしょうけれども、実はそれは良く言っても
「最初のきっかけ」
程度の意味しかないと思います。
それより、私はもう少し根本的なところから自分でよく考え直してみる、そして試行錯誤してみる……という感覚を持つほうが最終的には効果が高いと感じます。
……根本的、と言ってもそんな難しい話ではありません。(もちろん実行するのはけっこう大変かもしれませんが)……私が身だしなみと言ったときに考える道順は次の通りです。
「清潔さにこだわる」
↓
「多くの場面を想像する」
↓
「地道にセンスを磨く」
別に何も特別なことはありません。だれもがだいたいこんな点を気にするはずですから。
でも、単に一般的なチェック項目を漠然と当てはめるのではなくて、このような、いわゆる「身だしなみ」と言った場合の典型的な要素そのものを一から自分なりに熟慮することから始めたらどうでしょう。
「清潔さにこだわる」
よく言われることですが、身だしなみというとたいてい、最も重要なポイントは
「清潔感」
であるという話になります。
もちろんこれは間違ってはいないわけですが、実際にはそれに対する感覚とか取り組み方というのは人によってかなり差があるものです。
単に
「あまりにも汚いとか、臭いとか言われない程度に」
しておけば十分というふうにしか考えていない人(男性に多いか)もいますし、逆に神経質すぎて潔癖症なのでは? ……と感じさせるような人まで、さまざまです。
当たり前みたいなことを書くかもしれませんけど、苦手意識のある人のために、ごく基本的なことかもしれませんが……清潔感というのは「感」と言いますので、イメージとして
「なんとなく清潔な感じ」
にしておけばいい、とか考えていると実際には清潔感なんてぜんぜん出ません。
なので意識としては、あなたを見る他人の目をくらますというか、ごまかすとかいう程度のことを考えるのはやめて、自分が
「実際に十分清潔である」
と自信を持って言えるように心がけることが有効です。
そして、清潔さというのは一つひとつの方法論よりも直接的には
「頻度」
が問題だと私は思っています。
要するに……
「着替える頻度」
「選択の頻度」
「風呂の頻度」
「散髪の頻度」
あるいは
「エステやサロンに通う頻度」
「新しい服などを購入する頻度」
……とか、何でもそうなのですが、結局はそれらをどれくらいの頻度で行うのが適切だと考えるかということです。
これらの頻度が不十分だと清潔さは保てませんし、逆に過剰になりすぎると神経質さや過敏さと言った面が表出してしまいがちです。
「多くの場面を想像する」
清潔さ、清潔感というのはいわば身だしなみのベース、下地と言えます。
その上で、自分が現実のいろいろな場面でどんな服装、どんな身だしなみでいられたら理想だと思うかを想像することをおすすめします。
ネットや雑誌のファッション情報を見たり、身近にいる「コーディネートセンスの良い人」を観察してみたりするのも悪くはないのですが……それだけだと往々にして客観性を欠いたイメージだけが先行してしまいがちだからです。
別に、今現在すぐに現実に起こりそうな場面でなくても構いません。
「もし自分がそういう場に立つことになったら」
……と遊び感覚でイメージングしてみましょう。
たとえば、あなたは今の時点でも
「自分だって、実際にそういう状況になったら、それなりに場をわきまえた身だしなみくらい整えられる」
というふうに、ある意味でタカをくくっているかもしれません。
しかし、こうして自分自身がその場にいるときの姿をイメージングしてみると……案外うまくできないのであれば、もしそれが現実になった場合には、たぶん
「ちぐはぐなコーディネート」
「自分でも納得いかない服装」
あるいは
「結局だれかに人任せにするしかない」
……ということです。
と言っても別に悲観することはありません。おそらく……最初はだれでもうまく想像できないと思います。
情報のインプットと、このイメージングを相乗的に繰り返すことが有効です。
「地道にセンスを磨く」
現状の自分の
「ファッションセンス」
「コーディネート力」
のレベルを自覚したところで、これをいかにより向上させていくか……ということですが、当然いろんな情報に触れることは有効です。
ここで私の意見なのですが、しばしば会社などでは
「身だしなみとおしゃれとは意味が違う」
といった注意が聞かれると思います。
……が、それは上で述べたように
「あくまで一般的なレベルで身だしなみと言う場合」
の話であって、もし自分の外観を
「自分にとって武器になるレベル」
に引き上げようと意識しているならば、当然いわゆる
「おしゃれ」
「ファッションセンス」
といった範疇の問題にも踏み込まざるを得ないでしょう。
こういった面は概して女性のほうが経験値が高いものです。
逆に多くの男性は、そもそも自分にはファッションとかおしゃれなどという言葉はまったく関係ない……とか思っている方も少なくないのではないでしょうか?
そこでひとつ提案なのですが……服装に関する雑誌やネットの画像を漠然と眺めていても、おそらく最初は何のイメージも浮かんでこないと思います。
……そういう方の場合、私がおすすめするのは
「まずお店を探す」
ということです。
自分なりにめぼしいと思った服屋さんを特定して、定期的に通うようにしてみましょう。
別に何を買うとか決めなくても良いのです。まず始めはお店自体に慣れることです。
店員さんが話しかけてくるかもしれませんが、そそくさと退散せずに、できるならば正直にアドバイスを求めてみるのも手です。
「今までは無頓着だったのだが……自分も少しおしゃれに気を使ってみようと思いまして」
とストレートに告げれば、たいていの店員さんは喜んで協力してくれるはずです。
……というか、そういう店員さんがいるようなお店を探すことが大事です。
身だしなみを追求し続ける理由
最初のほうに挙げた一般的に言われる
「身だしなみが大切である理由」
を超えて、長期的に自分の身だしなみについて積極的に追求し続ける理由というか、そのメリットをさらに挙げるならば、たとえば
「自己イメージを限りなく向上することができる」
「自分自身の身体や体調に関心が高まり、セルフコンパッションに通じる」
「いわゆる成功者の持つ覇気、才気を身にまとうことができる」
……というようなものが想起されます。
つまり、こうなると身だしなみというのはもはや他人に見せるためのものというよりも、限りなく自分自身のためのものという話になってきます。
そして、これらの内面的な変化が起こるということは、
④ 身だしなみのレベルに見合った環境やステータスへと移行するインセンティブが働く
ということとほとんど同義であり、ここまでくるともちろん
「身だしなみは社会的成功と関係ある」
ということになります。
だれもが当然のこととして、しかし漠然と
「身だしなみが大切」
とは思っているでしょうけれども、あなたがもしそこを突き抜けて考え始めるならば予想以上に大きな変化があるはずです。