私は仕事を通してある程度自分の思い通りに人を雇い入れ、訓練したり育てたり評価したり、あるときには解雇してきました。
本当を言えば……私だって決して心が痛まなかったわけではありません。
現場のごく若い社員から、自分より年上の社員まで……何人と出会い別れたでしょうか。
仕事を通じて出会う人たち
社会人になって以降、私が仕事を通して出会った方々の中で……現在に至るまで仕事上の付き合いをこえて今でも懇意にしている人を数えると、私の場合それは非常に限られた数になってしまいます。
さらにその中で、友達と呼んで違和感のない人というのは、正直言って片手でも余ります。
(もし、知り合いの方でこのブログ見てる人がいたらごめんなさい)
ただし、私は今までそんな現実、つまり私自身を取り囲むあまりに乏しい人間関係……それを嘆いたこともありませんでした。
これは決して強がりを言っているわけではありません。
それどころか私は、自分自身が組織を離れるまでそのことについてほとんど何の不都合も感じていなかったのですから。
私はどちらかというと
「仕事上の付き合いというのはそもそも限定的なものであるべきだ」
というような考えをもともと持っていたように思います。
ビジネスライクという正義
私がずっと信じていたのはこうです……。
「仕事の場に個人的な感情や自分の都合、事情といったものを持ち込むこと自体が非常に不愉快な、不真面目な行為だ」
ですから、職場で関わる人たちはみな自らそのようにある程度距離を置いておく。距離というか、時間的に……つまり、仕事を通じて関係する人というのは、上司や部下、同僚といったものであれ、取引先や顧客であれ、いつか絶対に離れていくということが初めから決定している関係なんです。
初めからそう覚悟しておくことが正しいと思っていたのです。
今私は組織について考える機会も多いのですが、先に結論的にいえばやはり組織には組織特有の理屈と大きな力があることは否定できません。
すると、他人からの協力を得るためには、組織の力を駆使した手法もまったく無意味だとは思いません。
また別に組織に属していることが悪いとも思っていません。
組織に依存した人間関係
実際、組織というのはある面では非常に有意義な部分もあります。
しかし、知らず知らずのうちに組織の力に依存していると危険だということも実感しています。
実は組織の力よって得られる協力というのは……少なくとも、私が本来求めている
「頼りになる人」
「協力を求めることができる人」
とはいくつかの重要な違いがあります。
違いというよりはっきりいうと難点です。
ですから、本当に必要な協力者を得るためには、やはり人と人との直接的なつながりを前提とした関係を目指すことが必須だと感じたのです。