事柄や概念を関係付けるというのは、いわば頭の中で一つひとつ点をつなげてゆくような作業だと言えます。

Why思考は連鎖がポイント

「なぜ?」

という設問に対して自らそれに答えようとすると、その答えからさらにその理由を問う文が現れることがあります。

理由となる事柄を順々につないでゆくことからこの思考の進めかたを

「鎖の論法」

と呼ぶことにします。

この方法は

「問い→理由」

によって一単位を成すつながりを連鎖させてゆく方法論で、典型的な

「線の思考」

です。

この方法はごく汎用的であり日常的でもあります。

ところで鎖の論法というのは理屈で言えば無限につなげてゆくことができます

だから、とにかくどんどんつなげてゆくとその分だけより理想的な思考に近付いてゆくのではないかと推測するかもしれません。

けれども残念ながらそんなことはありません。

よく子供が

「どうして?」
「じゃあそれはどうして?」

としつこく質問を繰り返すことがあるでしょう。

これ自体は一種の遊びのような行為とも言えますが、その質問攻めを可能にしているのはたいてい

「理由」

なのです。

仮に子供に向かって

「理由を問う以外の質問だったらいくらでも聞いてあげる」

と条件を付けたとします。

するとおそらくその子は今までのように次から次へと質問を思い浮かべることができなくなるでしょう。

アンカー(いかり)を打つ

実は無限に問い続けることは意味がありません。

むしろそれは思考をあやふやにするだけです。

やみくもに理由を問い続けることは不毛な作業であり問題はむしろ

「どこでその鎖を打ち切るか」

ということです。

そこで鎖の論法では

「アンカー」

というものを想定します。

アンカーとはこれ以上鎖をつながないというルールのことです。

鎖の論法におけるアンカーの種類

たとえば仮に

「なぜ転職したいと思ったのか」

という問いを設定したとします。

まずこれに答える理由付けを探しましょう。

そこで

「今の職場では昇給の見込みがないから」

と理由をつけたとします。とすると次には

「なぜ昇給の見込みがないのか」

という問いが発生します。

その理由を自分なりに考えます。

仮にそれは

「仕事に新しい要素が入ってこないから」

だとします。

鎖の論法では、このように理由を探しながら鎖をつないでいきます。

以下同じようにどんどん考えていきます。

たとえば

Q「なぜ新しい要素が発生しないのか」
A「人手不足が慢性化しみんなが手一杯だから」

Q「なぜ人手不足が慢性化しているのか」
A「職場が求人に力を入れていないから」

Q「なぜ求人に力を入れないのか」
A「経費をかけて求人しても良い応募者が来ないから」

Q「なぜ良い人材が来ないのか」
A「あまり魅力のある業種とは言えず夢がないから」

Q「なぜ魅力がないのか」
A「業務内容がきつくその割に待遇が悪いから」

Q「なぜきつい割に待遇が悪いのか」
A「利幅の大きい仕事ではなく売上も低迷しているから」

Q「なぜ利幅が小さく売上も伸びないのか」
A「不景気だから」

というふうに。

さてここで次に

「なぜ不景気なのか」

という問いが発生するのですが……ここでちょっと検討する必要があると思います。

この問いは設問としてどうでしょう

不景気といった問題は分析対象としてあいまいすぎるし、あなたという個人がどうこう関与できる問題ではない……という気がしないでしょうか?

つまりこの時、理由付けの対象が拡散しすぎているのです

もし反射的にこのような理由付けを頭に浮かべてしまった場合鎖はそれ以上つないではいけません。

なぜならそこから先は不毛な作業になる場合が多いからです。

このようにそれ以上理由の鎖をつなぐことができない場合を

「アンカー」

と呼ぶのです。

拡散的アンカー

この例のように、もはや思考の対象として大きすぎる概念や、漠然としすぎている問いが現れた場合のものを

「拡散的アンカー」

としましょう。

拡散的アンカーとして現れるものには

① あまりに抽象的な理由

「愛は何よりも大切だから」‌
「それが人間の本能だから」

② 一般論に過ぎる理由

「不景気だから」
「国際化しているから」

③ 理由として意味が薄いと思われる表現

「そんなもんだから」
「昔からそうだから」

などが挙げられます。

このような文が出てしまったときには、おそらく考え直せば他の理由を探して置き直すこともできるかもしれません。

ただ実はそれ自体あまり有効ではありません。

なぜなら反射的に頭に浮かんでくる理由というのは実は自分自身の思考の偏りや内面の傾向を表していることが多いからです。

だからそこを無理に進めても結局自分にとって違和感のある鎖をつなぎ続けるだけになることが多いのです。

もちろんそれによって別の面で何か新しい気付きがあるかもしれません。

けれども、それはおそらく今考えようとしている問題自体とは別のことになる可能性が高く、むしろ区別すべきです。

拡散的アンカーを回避してそれ以上掘り下げると思考遊戯に陥ることが多いです。

前提的アンカー

次に

「なぜ今転職する人が増えているんだろう」

という問いについて同じように試してみます。

Q「なぜ今転職する人が増えているんだろう」
A「長く勤めるメリットがなくなったから」

Q「なぜ長く勤めるメリットがないのか」
A「年功序列がくずれて評価制度が変わったから」

Q「なぜ評価制度が変化したのか」
A「生産性の低い人員をリストラしたいから」

Q「なぜリストラしたいのか」
A「利益を出したいから」

Q「なぜ利益を出したいのか」
A「企業は利益追求だから」

Q「なぜ企業は利益追求なのか」
A「利益追求するのが企業だから」

とこのように進めたとします。

この場合だと、ここがアンカーとなります。

ここで仮に次に問いを発すると

「なぜ企業は利益追求するのか」

というように、ひとつ前の問いと同じことを繰り返すことになるわけです

こういう場合を前提的アンカーと呼ぶわけです。

つまり無限ループになってしまう形のものを指します。

思考がループしてしまうとき、ある面ではそこにあなた自身の思考がいつも行き詰まっている要因が潜んでいる場合があります。

その周辺にはあなたにとって大きな気付きをもたらす何かが隠されているかもしれません。

ただし、そこを通過してさらに鎖をつないでもあまり意味を成しません。

集約的アンカー

少々煩雑になりますが他の問いについて試してみましょう。

たとえば

「なぜあいつは転職できたのだろう」

について鎖の論法を用いたとします。

Q 「なぜあいつは転職できたのだろう」
A「あいつは目標があって実力もあったから」

Q「なぜ目標や実力が得られたのか」
A「前々から準備していたようだから」

Q「なぜ前々から準備していたのか」
A「急に転職するのはリスクが高いから」

Q「なぜ急に転職するとリスクが高いのか」
A「じっくり考えたり調べたりする余裕がないから」

Q「なぜ余裕がないのか」
A「今の仕事が忙しすぎるから」

Q「なぜ忙しいのか」
A「人手不足が慢性化しみんなが手一杯だから」

Q「……」

もちろん必ずしもこのように進むとは限りませんが、自然な流れでこうなったとすると、ここで得られた

「人手不足が慢性化しみんなが手一杯だから」

という分は、上のほうで別の鎖につないだものとまったく同じになっています

すると、ここから先は同じ展開になるはずなので続ける必要がありません。

このような場合を

「集約的アンカー」

と呼びます。

主観的アンカー

実は「理由」という言いかたは非常に意味の広い言葉です。

ほとんどどんなものを持ってきても当てはまると言えます。

だから人によってはきわめて妥当な理由として納得できるものが、別の人にとっては理由としてまったく認められないというようなことがひんぱんに起こります。

たとえば

「~したいから」

という言い方は自分の動機を表しています。

動機というものを理由として認めるかどうかは人によってまたはテーマやTPOによって違ってくるでしょう。

また

「~すべきだから」

というのはいわば倫理や規範を理由として挙げている表現です。

表現としては強いですが、よく考えると倫理や規範というようなものはそれを妥当とするかどうか積極的に受け入れるかどうかが人によって異なります。

つまりこれはかなり主観的な言いかたであり言い換えれば

「~すべきであるという見方を私が支持しているから」

と言っているのと同じことです。

つまり、倫理や規範を提示することは自分の動機を提示することと意味的には同じだと見ることもできますね。

そこである人はより客観的なたとえば証明が可能なデータや事実を示すことこそ理由として認められる唯一のものだというように考えます。

いわゆる根拠や証拠といったものを求めます。

たとえば

「赤字だから社内システムを刷新すべきだ」

というような言いかたをします。

これの場合

「事業が赤字である」

という事実をその後に来る命題の根拠に据えようとしています。

もちろんその蓋然性、妥当性はまちまちだけれども少なくとも表面上は主観が排除されています。

もうひとつこれは厳密には理由と言えないが経緯があります。

たとえば

「試験が終わったので遊びに行く」‌
「さっきあなたが使ったから次は私の番だ」

という類のものです。

この場合には表現は理由と似ているが実際には単に時系列的に事柄を並べただけです

この場合、たいてい実際には他に補うべき別の理由が隠れています。

その多くは日常的に自明のことであったり、本人が自分でそれを自覚していないときは表面に出てこないのです。

ところで、いわゆる理論的とはどういうことでしょうか?

それは理由を表示しながら論述を進めてゆくことだと思うかもしれません。

ところが大まかに言って理由というのは今述べた通り「動機」「根拠」「経緯」の3つに分類されます。

そして一般には

「客観的な根拠のみが正当な理由として認められる」

……というように理解している人もいるかもしれません。

けれども、今

「鎖の論法において妥当な理由付けはどれか?」

という観点から見ると、鎖の論法によって設問を掘り下げてゆく過程では「動機」「根拠」「経緯」が分類されずに次々に現れているのは明らかですね。

自分が一人で思考を進めているという前提ならば、それはそれでよいと思います。

なぜなら私たちが今鎖の論法を用いて目指しているものは客観的な事実関係や論理的な整合性というよりも、

「思考している自分自身が何をどういうふうに関連付けているか?」

ということを顕在化することだからです。

ただしパッケージ・タスクを対象とする場合は注意が必要です。パッケージ・タスクに関する限り恣意性はきわめて軽視されます。

……と言っても、単に形式上「鎖の論法」を成立させようとして、本当は動機や規範が現れたのに表面上それを回避して何かそれに対応する客観的な根拠を見つけようとしたり……する必要はありません。

実は、それこそいわゆる

「タテマエ論」

なのです。

……話が逸れてしまいましたが、鎖の論法においてそれ以上

「理由らしき理由が思いつかない」

という場合、これを

「主観的アンカー」

とします。

その場合その鎖はそこで途切れたと考えておくほうが妥当です。

たとえば

「とにかくそうしたいから」

などと言ってしまえばそれ以上理由を求める必要性はないのでそこがアンカーとなります。

また、たとえば

「これがうまく行ったら次に~ができるから」

というような表現が出てきたときなどは意識的にアンカーを打ったほうがよいでしょう。

特に認知の段階ではしばしば起こるのですが

「次に~ができる」

ということが自分にとって重要性が高い場合、それを結び付けようとすると思考すべき事柄が混在したような形になってしまい、今ある問題から離れてしまうからです。

鎖の全貌

鎖の論法は最も基礎的なある意味では原始的な方法論です。

けれどもそれは自分なりの物事の関連性の捉えかたを如実に反映しています。

実際私たちは日常あらゆる場面で「なぜ」という問いを発することによってさまざまな問題を把握し対処しています。

ただし多くの場合それはアンカーに達するほど深められることはなく、途中で切れたような不完全な格好で終わっていることが多いです。

また逆に、いつの間にかアンカーを通り過ぎて混乱を招くことも多いです。

鎖の論法から根本問題を探し出す

鎖の論法は非常に汎用的……というより私たちにとってむしろきわめて日常的な方法なので多くの場面で使います。

で、ある対象について想定すべき最も重要な問題というのは、まずはこの鎖のつながりの中のどこかにあるはずです

要するに問題を特定するときに特に有効です。

同時に、そこにつながれた命題には、結果的にはまったく無視してよいとみなせる重要度の低い事柄も多く含まれているはずです。

それは今それを思考する上では必要だったけれども、専ら関連性を顕在化するための知識や情報であって、それ自体は問題として重要ではないというような種類のものです。

ところが、人間は短期記憶の容量が限られているので頭の中だけで考えているうちはこれらをはっきりと切り分けることがなかなかできません。

それによって思考の混乱が繰り返されることが多いのです。

そこで、ある程度大きな問題や、整理が必要な対象について考える時には面倒でも鎖の論法によって発生するすべてのことを書き出すことが有力な方法となります。

それによって自分の思考の全貌が見えてくるでしょう。

自然に想起したいくつかの問いをそれぞれにアンカーが発生するところまで掘り下げてゆくと、イメージとしては何本かの鎖が並んでぶら下がったような形になりますね。

これをあらためて眺めれば自分自身が何をどういうふうに考えているのかということがかなり明らかになります。

ただし、ここで自分が何を重要とするかという判断もまた容易ではありません。

よく見られるのはそもそも初めに思いついた問いから心が離れないことです

よく見渡さずにすぐに最初の問いに戻りたくなってしまうのです。

いったん「根本問題」を決定した後では、それを安易に手放すと思考の混乱が懸念されるのですが……単に最初の思い付きをそのまま起点とし続けたいという心理は、これと違って

「耽りに戻ってしまっている」

だけです。

また、案外陥りがちな失敗はなるべく全体を含んだような部分、または最もメタ的な部分を重要だと思ってしまうということです

前にも言ったと思いますが、そうではなく、むしろ実際に思考するときに重要になるものとは、なるべく細分化されたものでしかも

「これこそ問題の核心に迫るような具体的な問いだ」

と自分が感じるような

「明確な一点」

であることのほうが多いです。

実は鎖の論法によって次々に掘り下げてゆく過程では、それ自体が楽しくなるのか何なのか分かりませんが、そうしているうちに最も有用な点を素通りしまうことも少なくないのです

だからむしろ

「アンカーを打つ」

ことに意識を傾けることが重要で、それが鎖の論法のコツになります。