あなたが仕事をする理由についてもう一度考えてみましょう。

あるいは、あなたがすでにその仕事を長い間続けているその理由について、です。

もちろん、人間がある行為を選択するからには、そこには必ず何らかの

「動機」

が存在するはずです。

仕事をする動機を見つめ直す

もちろん、ほとんどの人にとって仕事をする実際的な理由といえば

「経済的な理由」

というのが大きいでしょう。

ただ、仮に最初はそれしか思い浮かばないとしても……だからと言って長期間その考えのままでいてよいということには実はなりません

別の記事でも書いたように、自分の「動機」というのはどちらかというと

「勝手に沸き起こってくるのを待つ」

ものではなくて

「自ら積極的に育ててゆく、作り上げていく」

ものだからです。

自己成長の重要な一側面

自己成長とは、単にスキルや能力が向上することではありません

私は、自己成長とは本質的に言えば

「自分自身の動機が進化してゆく過程」

のことだと言えると思っています。

そして、その進化というのは自然に起こるものではなくて、自ら進化しようという自覚的で継続的な意思によって初めてもたらされるものなのです

MustとWill

ところで、動機といった場合に人が思い浮かべるものは具体的にはさまざまですが、大きく分けると

「やらなければならない理由(Must)」
「やりたい理由(Will)」

この2つのどちらかです。

それで、仕事を始めるとき、就職するときには現実にはほとんどの人は最初

「Must」

で頭がいっぱいになっていると思います。

もちろん、就職面接のときや、エントリーシートに志望動機を書くときにその感じ方をそのまま伝える人はいないでしょうけど。

でも、本当のことを言うと……たぶんあなたもそうでしたよね?

それは別に問題ではありません。

自然なことです。

ただし、本当の問題はその後にあります。

問題はその中の多くの人が

「いつまでたってもその気持ちのままでいる」

ということです。

つまり最初はそうでも、それを何も対処しないでそのままにしておくのは本当に問題があるのです

一見「Must」ではないもの

「やらなければならない理由(Must)」

というと典型的には次のようなものを思い起こすでしょう。

「生活するにはお金が必要だから」
「学校を卒業したのに就職しないとマズいから」
「家族や世間の目があるから」

……だから私は仕事をしなければならない。

少しでも良い就職先に入らなければならない。

しかし、実はそれだけに限らず、いわゆる社会規範とか常識というのも「Must]に含まれます。

たとえば

「早く自立すべきだから」
「大人になったら働くものと決まっているから」
「自分の生活のために必要なお金は、自分で稼ぐべきだから」

こういうタイプの動機は一般に

「べき論」

とか言いますが……これは一見、自分の正しい意思を表現しているようにも思えます。

あるいは客観的な根拠を述べているようにも見えますが……実はそうとも限りません。

よく考えるとこれは

「そうすべきだ(と決まっている)から、そうしなければならない」

という考えを表しているとも受け取れます。もしそうであれば結局は

「Must」

に含まれます。

さらに言えば。

たとえば

「社会に貢献できる人間になりたいから」

といった動機や

「将来お金持ちになりたいから」
「経済的に成功したいから」

……というような言い方はどうでしょう。

こういう言い方をすれば、それは一見

「自分の気持ちや意思」

を表しているように見えます。

しかし、それが本当に自分の「Will」であるという保証も実はありません

本人が決して建前ではなく本心だと感じている場合であってさえ、です。

たとえば、仮にそれを言っているあなた自身は本心だと感じているとしても

「私はとにかくお金持ちになりたい」

という願望だけを自分の中で絶対化しようとしているなら結果どうなるでしょう。

言い換えれば、あなたがあえて強く

「お金持ちにならなければ意味がない」
「お金持ちになれないのであれば、私がやっている仕事なんて自分にとっては何の価値もないのだ」

とか感じてしまっているとすれば。

または、無理にそのように思い込もうとしている場合は

それは、自分で自分を束縛しているような状態ということになります。

ある事柄のみを絶対化し、自らの意思や行動をそれに向かって「集中」しようとする考え方は、目標達成の手法として有効な場合ももちろんありますが……自分では

「集中」

と思っているのが実際には自分の思考や発想、意欲などを心理的に

「束縛」

し、

「制限」

しているだけ、という結果になってしまう危険性もあるのです。

つまり言葉や表現がどうあれ、そのような方向に心理的に追い込まれた場合、それはいわば自分自身に対して自分で「Must」を課したのと同じことになります。

よく、こう人がいます。

「もっと稼がなければ、やってる意味がない」

これは気持ちとして

「私はもっと稼げる人間になるべきだ

と言っているのと同じであり

「私はもっと稼げる人間にならなければならない

という心理からくるものでしょう。

たとえばこのように、実は内面的な目的意識の硬直化も「Must」に分類されることになります。

多くの人は、知らず知らずのうちに自分自身を

「こうあるべきだ」
「私はこういう人間でなければならない」

とか言って自分で自分を縛ってしまいます。

環境の中でそのように追い込まれてしまう場合もありますが、自分で無意識にそのように導いてしまう場合もあるのです。

Must(ねばならない)は悪魔のささやき

ひとつ知っておくべきなのは、すべての人間にとって

「Must」

に縛られている状態というのは案外居心地の良い状態だということです

ある意味では、仕事とか、自分が行っている活動に自分の「Will」を持ち込むことのほうが精神的に負荷がかかるのです

よって、それを自分のしたいように前向きで実のあるものにするには、もちろん外部の環境と戦う必要も生じますが、一方では自分自身の内面とも戦う必要があります

むしろ長期的な視野で言えばこちらのほうが強敵なのかもしれません。

いずれにしろ、動機と呼ばれるものの中には

「やらなければならない理由(Must)」
「やりたい理由(Will)」

の2つがあると明確に区別して意識すること。

ただし、これは今の時点で自分の真の「Will」を明確に自覚していなければならないということではありません。

さっき書いたように、そのように性急に

「固定してしまおう」

という心理に傾くから結果的にそれが自分自身の思考や精神を束縛してしまうのです。

それよりも、長い目で見て「Will」と呼べるものを作り上げようとすること。

常に「Will」を置き去りにしないで、その実現を中心に仕事に取り組むこと。

具体的に今見えている目的や望みというものがあろうがなかろうが、それを見出し常にもっとよいものに練り上げていきます

自分のスキルとか能力の向上とともに、自分の「Will」もまた自覚的に高めていく……それが自己成長という意味だと思うのです。

「Will」なき「Skill」の末路

このことを置き去りにしてしまうと、どうあれいつの間にか「Must」に埋もれて仕事せざるを得ない状況に追い込まれることになるでしょう。

いえ、実際には、自分で自分を「Must」の中に安住させてしまうのです。

この気持ちから逃げなければ、仮にあなたの収入がどれだけ上がっても、どれだけ大きな権限や高い地位を得ても……おそらくあなた自身はきっと満足することができないでしょう。

はっきり言って、この気持ちなしには、どんなノウハウもどんな戦術も最終的には無意味です。

私はこのことを絶対に忘れてはならないと思っています。

「Will」のもとに「Must]を従える

もちろんお金は必要です。

前提です。

ただ、もし今後一生お金のためだけに働き続けるとしたら、もちろん

「それはイヤだ」

と感じるのではないでしょうか?

純粋にお金だけを追って生きてゆける人なんて実はほとんどいないのです。

だれでも、いつかお金を追うことに疲れてきます。

それで、ある人は

「こうあるべきだ」
「これをしなければならない」
「こうあらねばならない」

と、自らを「Must」の鎖でつなぐことによって、そこに何某かの意味や価値があるのだと自分に言い聞かせるのです。

また、ある人は結局はいつかこう言うのです。

「ああ、もっと有意義な仕事がしたい」
「もっと人生を豊かにしたい」

って。

もちろん私は、お金など初めから度外視してやりたいことだけを追求すればいい、とか単純に言いたいわけでもありません。

むしろ、自分の「Will」を最大限に実現するためには当然それ以前にお金や時間の問題を解決しなければなりません。

言い換えれば、それは典型的な「成功状態」のひとつであって、もしそれを実現したいと思うのならばその前にあなたは「成功」しなければならないわけです。

しかし逆に言って、仮にあなたが経済的に成功しても、自由になっても……その時点であなたが自身が何ら「Will」と呼べるようなものを持たず、気付けば

「Mustの檻の中にいる」

ことに気が付いたとき……その成功はなんとむなしいものなのでしょう。

「Will」があって、そのもとに「Must」があるべきなのです

「Must]は放っておいても次々に目の前に現れます。問題は、それらを支配し、収めるための「Will」をあなた自身の手で君臨させることができるか……ということなのです。