引き寄せの法則を、量子力学などの理論を用いて「科学的に証明しようとする」人もいます。
もちろん反証を示そうとする側の人も。
だが、少なくとも私などにとってはそれは不毛なことに見えます。なぜなら、端的に言って科学的な知識が足りないからです。
なので、私にとってはこのような議論は結局
「著名な学者や専門家の人がこう言ってる」
「科学とか学んでいる理系の人がそう言ってる」
というのを
「信じるか、信じないか?」
という問題と同じことなのです。
信じる者は救われる可能性
また、引き寄せの法則は古代の錬金術と同じで、根拠のない嘘であるとか、キリスト教の異端的な思想である、または、悪魔信仰である……といった説明をする人もいます。
ですが、そもそも史実や資料の収集、分析などもぜんぜん不足している私にとっては、このような議論も結局
「歴史家や研究家が、こう言ってる」
「宗教とか哲学、思想に詳しい人がそう言ってる」
というのを
「信じるか、信じないか?」
という問題と同じことなのです。
唯一の方法は、自分で「やってみる」こと
……となると、もしそれが嘘なのか本当なのかを知る方法として、私にできることは結局これくらいしかないのです。
「自分で実際にやってみること」
もし試そうと思うなら、理屈の部分を追求しようとするよりは、ただ単に実践するほうが早いということになります。
それしかない。
一応言っておきますが……私自身は、
「別に引き寄せなんて嘘だ!」
と思っているわけでもありません。むしろ、100%ではないが、ある程度の効果はあり得るのではないかと考えています。
「できると思っても、できないと思っても、いずれも正しい」
-ヘンリーフォード
とは言え、実際には引き寄せを実践してみたけど出来なかったという報告は非常に多いです。
すると結局は
「それは潜在意識がどうでこうで……」
という話に入っていくしかないわけですが、それは論点を先送りにしているだけ、みたいなことで、最初に言った通り、私は心理学とかの知識は不十分だし、特殊な霊的才能を駆使できるわけでもないから、このような議論も結局
「心理学の専門家がこう言ってる」
「著名なメンターがそう言ってた」
それを信じるか、信じないかという選択でしかあり得ないということになってしまうのです。
思考は現実化するとしても、まず「思考」って何?
引き寄せの法則でも他の法則でも同じことですが、私たちの思考が現実化するというのが、文字通り本当だと仮定します。
でもそうすると、
① そもそも私たちがやっている「思考」というのはいったい何か?
② 私たちの精神的活動のうち、どの範囲までを「思考」というのか?
という疑問が生じますよね?
ごくふつうに考えて、私たちがふつう「思考」と呼んでいるのは、どういう行為でしょうか?
何らかの事実や命題、あるいは経験といったものを結び付けたり、鎖のようにどんどん繋げたりして、何らかの新たな結論や、より大きな概念を創り出したりすること。
あるいは、状況や条件を自分なりに分析して、複数ある可能性のうちどれかを選択すること。
……たとえば、こういう感じのものを「思考」と呼んでいるのかな、と思います。
ところがですね。
すると、ある人が行った「思考」というのは、多くの場合、だれが見ても自明な、あきらかに理路整然とした、確実に正しいと言えるようなものとは言えないです。
ここで「正しい」というのは、倫理的に、良心的にとかではなくて、単に理屈として整合性があるか、とか、その思考の要素になっている一つひとつの情報や知識そのものが間違っていないか、という意味です。
そもそも、一連の思考が完全に「真」であることを保証するなんていうのは非常に難しい注文です。
あるいは、そのような思考を完成させることが。
実はそれ自体がかなり難しいことで、ふつう、私たちの思考は常に一定量の間違いや、誤謬を含むとみておいた方が妥当な気がします。
……というか、ほとんどの人はそもそもそんなこと気にしながら思考していませんからね。
で、そんな状態であるにもかかわらず、それが現実になっちゃうっていう現象が、うまくイメージできません……なんか最初から理屈としておかしいような気持になりません?
誤謬が含まれ得ないような「単純な思考」を試してみる
「あ、じゃあ、それほど複雑でない……ごく単純な願望だけを思考していれば叶うんじゃないかな?」
……と考えて、たとえば
「お金持ちになりたいわ」
と、それだけを「考えて」みようとする。
「私は金持ちになる。金持ちになる。金持ち、金持ち……」
仮にそう試みたとき、でもそれって
① それは「思考」と言えるのか?
② それ以外の面をまったく考慮しないで実現してもいいのか?
というように、また別の問題を生じます。
金持ちになりさえすれば、今ある人間関係を全部失っても構わない?
お金はたくさん手に入れば、他はどうなろうと構わない?
……もちろん「構います」よね?
で、その「構う」ってことはですね……つまり、同時にそういうことも思考しているはず。
または、それも同時に思考せざるを得ないという意味じゃないでしょうか?
私たちは自分の「思考」を支配できない?
ザ・シークレットの中でも示唆されていることですが、
「あなたが望んでいる、そのことだけを考え続けてください」
というのは、願っていることを上手に引き寄せるコツのようです。
ちなみに、
「それだけを考えろ」
というのは、ひとつには
① それと逆の対象について考えるな
という意味であって、つまりマイナス思考、ネガティブ思考をやめろというような指示と言えますね。
世界から戦争をなくしたいのなら、
「戦争に反対する」
と考えるのではなくて
「平和のことを考える」
ようにしなければならないと。
もう一つ、より広い意味で言えば
「それだけを考えろ」
というのは
② そもそも、自分が信じた目標達成や願望実現のことと関係ない思考は全部排除しろ
という意味です。
つまり、関係ない事柄について思考するのは一切やめる。
なるべく継続して、そのことだけに思考を集中し続けるのです。そのような生活態度、思考の意識的な集中ですね……これを心がけると有効な気はしますね。
で、やれと言うのなら、頑張ればある程度はできそうな気もします。……ただ、それは
「意識的に思考するという範囲だけなら」
です。
人間の思考というのは厄介なことに、自分が特に何も意識していない状態でも、勝手に始まって、勝手に進んで、いつの間にかその考えが張りめぐらされてしまう……というところがあります。
私はこういうタイプの思考を
「自動思考」
と呼ぶことにしていますが、人によっては「反芻思考」とか、あるいは「半意識」とか言う場合もあります。
または、それを「無意識」とか「潜在意識」だと定義している場合もあります。
いずれにしても、この自動思考というのは、自分がボーっとしているときや、眠っているときや、特に何もしていないときや……そういうときでもいつも勝手に働いています。
だから、常識的に考えれば完全にコントロールするなんてほとんど不可能に見えます。
もちろん、たとえば
「潜在意識を意のままに操って願望実現する!」
というような自己啓発分野もありまして、それはつまり、これを実際にやろうとしているわけなので……絶対不可能とも言い切れないのですが。
ただこれもまた
「信じるか、信じないか?」
という問題の繰り返しになってしまうという……。
最後に
……皮肉を言うみたいですが。
もし自分自身の自動思考を完全にコントロールできるような人がいたらですね、