「今を生きる」

とはどういう意味でしょうか?

流されて楽に生きてない?

たとえば、学生の方なら

「あなたはなぜ勉強しているのか?」

と多少なりとも考えたことがあるでしょう。

「少しでも良い高校、大学に進学するため」

ですか?

「目指す仕事に就くため?」
「人間として成長するため?」
「生きる力を養うため?」

それとも、単に親や先生がうるさいから。

周りの友達にバカにされたくないから?

また社会人の方なら

「あなたはなぜその仕事をしているのでしょう?」

「給料をもらうため?」
「無職では世間体が悪い?」

それとも

「自分の夢を実現するため」

と答えるでしょうか?

もしかすると、ただ何となく学校を卒業し、何となくそういうもんだと決まっているからとりあえず就職しただけだ……という人もいるかもしれません。

まあ私は別に、それが悪いと言いたいわけではありません。

特に今はいろいろな価値観が錯綜して、すべての世代の方が迷いの中にいるような時代です。

ある意味、むしろ今は迷っているほうが正解なんだとも思えます。

ただ、ここで考えたいのは

「今を生きる」

ということの意味です。

ここで、まず一つの考え方として

① 今を生きるとは、ただ流されてその日その日を生きること

だという考えも成り立つということです。

つまり、極端に言えば何の目的も希望も持たない。

先の心配もしない。

その場その場の感情だけで生きる。

「今日が楽しければ最高」
「今が満足なら十分」

……とかね。

あるいは、その日その時自分が得をすればいい。

後々の影響とか、周りの人への迷惑とか、なんて関係なく自分にとって有利だと思う選択をし続けるだけ。

または、人によっては損得すら考えず、ひたすら他人の意向や命令に従って生きる。

なぜならそれが一番楽だから。

……こう言うと一見非常にいけない考え方のようにも思えますが、しかし、いわゆる

「無為自然」

あるいは、ある意味で

「悟りを開いたような」

生き方だとも言えます。

一面では、避難されるどころか称賛されても不思議でない……という面もあります。

それは少なくとも

「過去に縛られて生きている人」
「過去の失敗にいつまでもこだわっている人」

よりは明らかに数段良いではないですか?

ここで、言い方として

② 今を生きるとは、過去にこだわらないで生きること

だという考えも成り立ちますね。

たしかに、いつまでも考えていても仕方のない済んだことにくよくよしているのは

「ムダなこと」

です。それよりは、今から先のこと、これからどうやって生きるかに視点を向けたほうが良い。

……というか、少なくとも、もう考えてもどうにもならない過去のことばかり気にして生きているくらいなら、むしろ

「今時点のことだけ、今日のことだけ考えてたほうがマシ」

とさえ言えるでしょう。

「ムダ」というのはだれが決めたのか?

……これは一見常識的な、前向きで正しい考えに見えますね。

でも……そこで言っている

「ムダ」

というのは、いったい何を基準に置いてムダだとか有効だとか言っているのでしょう

よく考えると、過去にこだわることをムダだと言い切るには、そこにはすでに何らかの前提が置かれています。

たとえば

「自分にとって得になることをすべきだ」
「少しでも多く結果を出さなければならない」
「人は全員、努力しなければならない」
「自分が幸せになるように行動しなければならない」

……とか。

いろいろに表現できますが、ここでのテーマに即して言うと、そこに前提としてあるのは

③ 今を生きるとは、将来より良くなるように生きることだ

という価値観です。

これはおそらく現代人にとって最も受け入れやすい考え方と言えるかもしれません。

おそらく多くの人が、すでに自明のこととして、あえて意識するまでもなくこの考えをすべての判断の前提に置いて考えたり、話したりしているでしょう。

話を戻しますが、要するに、ほとんどの人が当然のように信じているその基準からすると

「過去にこだわることはムダだ」

ということになるわけです。それはその前提からすれば当然の帰結だというだけです。

たとえば単純に言って

「いつまでも過去のことばかりこだわっている」
「過去の記憶ばかり辿っている」

人がいるとして、でもその本人はそうやっていることが最も快く幸福であるならば、それを他人が否定して考えを改めさせることに必ずしも正当性があるとは言えません。

仮に

「本人の主観的な幸福感」

を基準に置くとすれば、むしろそれはぜんぜんムダではありません。

「未来志向」に対する否定論

一方では、常に将来のことを心配する傾向、先行き不安で今現在を楽しめないとか、あるいは、前向きな意味で言っても

「常に将来のために、今頑張る」

という考えにあまりに比重を置きすぎることに警鐘を鳴らす論も多くあります。

なぜなら、大まかに言って、いつも先のこと、つまり

「将来に備える」
「老後に備える」
「時代の変化に乗り遅れない」

とか、あるいは

「目標を達成する」
「願望をかなえる」
「自己実現する」

というようなものも含まれると思いますが、そういう考え方というのは、ある面では

「そのために今現在という時間を犠牲にする

というのとセットになっているからです。

明日のために今日があり。
来年のために今年があり。
大人になってから困らないために子供時代があり。
老後に安心するために現役世代があり。

……と、こんな具合です。

つまり将来の見込みと、現在の幸福感や充実感というのがトレードオフの関係になっていて、

「今は苦しくても、将来のためだから」

と言って頑張る。

「今しっかりやらないと、後で苦労するから」

と言って、本当はやりたくもないことを延々と我慢する。

いわゆる「未来志向」というのが、こういう意味になってしまうと本末転倒です。

……というか、本末転倒なのかどうかは本人の価値観次第ですが、少なくともこういう考え方を否定する意見も少なくはない、ということです。

これを端的に言うと、さっきと真逆で

④ 今を生きるとは、未来をコントロールしようとしない生き方のこと

とでも言えばしっくりくるでしょうか。

つまり、どっちみちあくまで予測でしかない未来のことを心配したり、未来が自分の努力とか気持ちの持ち方とかで決まると信じたりせずに、

「なるようになる」
「未来は未来になってから考えればいい」

というような考え方ですね。

極端に言えば。

本当に未来を心配しなくていいのか?

でも……もし上のように考えると、最初に言った

① 今を生きるとは、ただ流されてその日その日を生きること

というのが結論として正しいのか?

……という話になってしまいますね。

たしかに

「明日は明日の風が吹く」

とかね。それが正しいと思わせるような言い方もありますが……。

何か間違っているような気もする……。

だって、それなら

「嫌な勉強なんてする必要ないじゃない」
「毎日嫌々会社に通わなくてもいいなじゃい」

……ってことになってしまう。

そうなのか?
本当にそうなのか?

それはそれで楽しいとは思うけど、でもそんなんでいいのか?

そんな考え方では、将来いったいどうなってしまうの?

(……と思うのは、未来をコントロールしようとしているからなのか?)

「今生きる」を定義付けようとしない生き方

上記のように考えてくると、実はそれらの考え方には結局一長一短があり、少なくとも

「どれかひとつが正しい考え方だ」

というふうにはっきり割り切れないのです。

むしろ、そのうちのどれかに

「今を生きる」

ということの意味を絞ろうとすると、必ずどこかに瑕疵が見つかります。

そうなると、ある意味ひとつ抽象度を上げるというか、いわばこれらを包括するような、もっと抽象的な言い方しかできないということになると思います。

つまり、私の考えでは端的に言うと

⑤ 今を生きるとは、今一番正しいと思った生き方をすること

ということになります。

……というか、そういうふうにしか言えないのではないか、と感じます。

目標より「決断」

仕事に限定して考えても、実際に何かの職業についてとにかく一生けんめい目の前のことをこなしているうちに、だんだんはっきりわかってくるものがあります。

実は、目標らしきものを見つけるには、その前提として一定の努力や経験を避けて通ることはできません。

頭の中だけで答えを見つけようとしていた時には決して気付かなかった「実感」があり、厳然たる「事実」があります。

時には葛藤することもあるでしょう。いやむしろ、葛藤すべきでしょう。

葛藤すら経験になるのですから。

あなたはまだ自分の可能性についてよく知ません。

や知らなくていいのです。

あなたにはいろんな可能性がある。その可能性を自ら狭めるような考え方をしないことです。

だから今は

「知らなくてラッキー」

なのです。

業界の成長度とか適職診断なんて信じるな。

自分で勝手に枠を作らずに何でも知りたい、できるようになりたいという欲求を膨らませ、目を開いて今そこにあるものを見ること。

「今を生きる」

というのは、本当はそういう内的経験を通して少しずつ見えてくるものなんじゃないでしょうか?

単に概念として、頭の中だけで定義しただけでは決して見えてこない。

なぜなら

「今現在」

とは、思考でも概念でもないからです。

それは結局のところ体験であり、実感であり、クオリアだからです。

そして、未来について、あるいは過去についても扱い方が変わってくる。

未来というのが、単なる夢やあこがれ、想像や感情的願望だけで決めた目的意識とは少し違ったものになるはずです。

目標とは頭上の鳥かごの中にあるものではません。

それは、いつも手のひらに乗っているものです。

過去や未来について

すでに相当の実力を付けた人なら、自分の強みや優れた戦略を活かしてやるべきこと、やってはいけないことを的確に見きわめることもできるでしょう。

変幻自在にスタンスを修正する技も力も持っているでしょう。

しかし、もちろん最初からそれを望んではいけません。それだって経験や葛藤を通して得られるものなのだから。

いきなり現時点での視野で「まあこういうことだな」と思ってしまうのはやめたほうがいい。

仕事や人生の目標なんて、そんな短期間で理解できるはずがないと思っておけばよいのです。

将来の目標?

長期的視野?

そんなもの、焦って手に入れようとしなくていい。

……別に夢を見るなと言っているわけではません。夢はあってもいいが、なくてもいい。つまり、今それは大きな問題ではないということです。

「夢がある人は素敵だ」
「夢のある人は目が輝いている」

なんて言葉を信じる必要もありません。

たとえば、今現在の等身大の自分をどこかに置き去りにしたまま、非現実的な、空虚な夢を語る人のどこが輝いているというのでしょう。

今を真摯に生きている人こそ輝く

進むべき道は、常に今を真剣に生きていれば自ずと見えてくるし、そうして見えてくるものは、本当にすばらしい。

短絡的に答えを求めようとしても、今分かる範囲でしか考えられません。

今見えていることだけで早々に答えを出してしまうのは 自分で自分の本当の気持ちをゆがめようとする行為です。

すると、それに合わせた行動しか選ばなくなる。自分で限界を作り、損得で道を決めるようになる。実はこれが最も危険なワナなのです。