自己啓発という言葉もそうですが、その周辺でしばしば使われる言葉で、ともすると区別があいまいな言葉があります。

「成功法」「成功法則」「成功哲学」

といったものです。

あと、

「自己実現」「願望成就」「目標達成」

なども意味の区別が曖昧です。

……ていうか、こういう言葉はどれもほとんど同じ意味だと解釈している人も多いかもしれません。

これらの言葉はよく混同されて使われます。確かに重複してる部分があるのは間違いないんですけど。

ただし、私は意識的にこれらの言葉を使い分けるようにしています。

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「成功法」とは?

まず、これはそのままですが「成功法」というのは、何かに成功する方法のことです。

ただ、一般には広い意味で「成功法則」と同じように使われることも多いですが、

「〇〇成功法」

というように特定の具体的な目的を達成するための方法を指す場合が多いです。

私の解釈では、成功法という言葉は特定の目的を対象とした「ノウハウ」あるいは「ハウツー」と同義、もしくはそれを体系的に整理したもの、とみなします。

つまり、一部は精神論を含んでも良いのですが、基本的に「実際にそれをやる方法」のことです。

「成功法則」とは?

「法則」という言葉だけで見ると、語義としては

「法則」

一定の条件下で常に成立する関係。

……ということなので、成功法則という場合には

「こういうことをすれば必ず成功する」

という意味になります。

ここで使っている「成功」という言葉は、特定の目的をうまく達成することではなくて、一般概念化した「成功」という現象、あるいは状態を指していると見るべきですね。

逆に言って、常に成立する関係なのですから、厳密に言えば本当は

「それを欠いた場合必ず成功しない」

という関係性がなければなりません。

つまり「法則」と主張するためには少なくとも一応の相関性というか、成功する場合に常に必要な条件をすべて抽出して提示したものでないと

「成功法則」

と呼ぶことはできないはずなのです。

あるいは別の言い方をすれば、「成功法則」とは、少なくとも理念的には「成功する」という目的に対して常に必須の条件となるもので、かつ、それ以外には条件はないというふうに完結しているもの、と言えます。

実際には、ほとんどの成功法則は言語で伝えられますので、科学的、物理的な法則の場合のような厳密さが担保されるとは言えないでしょう。

また、現実にそこまで完成度の高い成功法則が存在するのか? そもそもそんなもの成立し得るのか? ……という議論はもちろんありますが、本来の言葉の意味としてはそういうものを指すということです。

「成功法則」と「成功法」の違い

上記の繰り返しになりますが、「成功法則」における「成功」という語は、上の成功法という場合に使っている「成功」よりも抽象的な意味になっています。

実際には成功法則という場合の「成功」というものが何を指すか、という部分が常に議論になります。

しかし言葉としての成り立ちからすると、本来ならすでに確定した「成功」という概念があるという前提でなければ法則は成り立たないのです。

これに対して「成功法」という場合の成功という意味は、特定の目的をうまく達成するという意味にしか理解できません。

つまり、ある目的を達成することをそのまま成功と表現しているので、もちろん

「経済的に成功する方法」
「幸せになる方法」

でも、

「英語を身に付ける方法」
「彼氏、彼女を作る方法」

でも一種の成功法と呼ぶことができます。

また、成功法という場合には、ひとつの目的に対してたったそれがたった一つしかないというようには限定されません。

同じことを達成するために、複数の(ときには無数の)成功法があってもぜんぜんおかしくはありません。いろんな人がいろんな成功法を挙げても理論的には矛盾しないということになります。

しかし、成功法則といった場合にはそれは理屈から言えば通用しないわけです。本来的に言えば、つまり理屈の上では、もし「成功」という概念が一つに定めれているとすれば、この世に

「成功本則はひとつしかあり得ない」

ということになります。

(あくまで言葉の上で、ですよ?)

「成功哲学」とは?

次に、「成功哲学」という言葉ですけど。

見たところ成功哲学という言葉も、ほとんど成功法則と同じ意味で使われている場合が多いように感じますが、私個人の中では、これは明確に区別しています。

上で述べたように、理念的には

「成功法則における成功とは何か」

というのは、すでに完全な合意ができ上がっていると話はかんたんなのですが、もちろん、現実にはそんなことはぜんぜんありません。

それで、その

「成功とは何か?」

という問題について論じるものこそ、本来「成功哲学」と呼ぶべきものではないかと考えます。

「成功哲学」というのは、単に成功する方法について模索したり、吟味したりするということではなくて、成功という概念そのものについて哲学する、という意味でないと言葉そのものが成り立たないような印象を受けるのです。

字義のみを考えた場合の話ですが、このように整理できます。

「成功哲学」

とは、自分にとっての成功というのは何なのかを概念として特定すること。

「成功法則」

とは、その成功哲学が規定した成功の必要十分条件をすべて挙げ、体系化したもの。

「成功法」

とは、特定の目的に対応する個別の方法論のことで、複数存在し得る。

ついでに、というか、実は私は

「自己実現」「願望成就」「目標達成」

についても、同じような構造で言葉を使い分けることができると考えています。

同じく実態は別として、語義を考えた場合の話ですが、

「自己実現」

とは、実現すべき自己の状態を規定した上で、それをまさに実現すること。

「願望成就」

とは、自己実現に必要な条件をすべて挙げた場合に、その一つひとつを満たすこと。

「目標達成」

とは、特定の願望を「目標」として絶対化した上で、それを優先的に達成すること。

……といった感じです。

まあ、言葉遊びだと言えばそれまでなんですけど……これが何かの示唆にでもなるかと思いましてご紹介しました。

前の記事では「成功哲学」とは何か、とか「成功法則」とは何か……ということを書いたのですが、それは言葉の意味を整理するためで、あくまで理念的な区別です。

……というのは、現実にはそのような「理念通りに」物事は運ばないからです。

なので、今度は現実的な流れとして書いてみます。

現実には「成功」って何なの?

むしろ、たいていはこうなります。

まず、人間はふつう自分の体験や外界から得た情報を通して、またはさまざまな思考や想像によって具体的な行為や目的の達成を目指し、そのつど成功したり失敗したりします。

それによって知識や知恵、経験則といったものを蓄積していきます。

それが蓄積されるとともに帰納的に整理され集約されて

「こういうことをすれば、こういう結果になるのだ」

という抽象的な、つまり「ノウハウ」あるいは「成功法」と言えるような個別のパターンを体感し会得していくのです。

そして、ある程度の量の成功体験、失敗体験を通して、自分がすでに得た「ノウハウ」「コツ」「成功法」に含まれる共通性や類似性などを収斂し、また言語化していきます。

それらについての解釈や、それによって得られた結果に対する評価や、それに伴う感情の現れ方などからそれらを一般化し、法則化します。

それと同時に「成功というもの」自体を本質として定義しようとします。主観的なものではあるけれども、

「つまり成功というのは、こういうものなのだ」

というきわめて抽象度の高い概念が自分の内面にでき上がるのです。

この時、その「成功」という概念はたいてい「人生」とか「人間」とか「社会」「世界」といった概念と深い関連性をもって認識されます。多くの場合、そこに至ると当初は重要と思われた個別の目標や目的などは次第に重要性を失い、捨象されていきます。

……これが、実際ふつうの流れですね。現実の人生では、おそらくこのほうが自然です。

その意味では、人生ではふつう

「成功法 →成功法則 →成功哲学」

という順番で認識し、経験するということになります。この順番で概念を固めていくことになるわけです。

こう考えると、たとえば本などを読んで先に

「成功とは、こういうものである」

と言われても、人間は自然な流れではこれをいきなり体得することは困難なのです。

あるいは、そんなことを先に言われても、現実の自分の状態に当てはめることがなかなかできません。

ですから、初めから

「成功とは、お金じゃない」
「結局は、幸福に生きられるかどうかが問題」
「人生の目的は競争に勝つことじゃない」
「人として成長することが人生の目的だ」

といった言葉を聞いても、その人の状況によっては実際的な面で意味がないという場面が起こり得るわけです。

成功法則と成功哲学の違いは、例として言ってみれば、あなたが小学校に入る前に「学校」というものに対して持っていたイメージと、学生時代を終えて社会に出た後に振り返って感じる「学生時代」に対するイメージがぜんぜん違う……ということに似ているかもしれません。

たとえば、小学校に入る前のあなたは

「小学校に行ったらそこは勉強するところで、先生という人がいて、よく言いつけを守らないと叱られることもあるし、もう赤ちゃんじゃないんだからしっかりしないとダメで……」というような点を気にしていたかもしれません。まあ人によりますが、たとえば。

しかし、後から振り返ったら、そういったことが学生時代の本質ではないということは当然のように体得できるものでしょう。

とすると、仮にあなたが今の時点で抱いている成功のイメージがどんなであれ、自分が「成功を追い求めているときに成功というものに対して抱いていたイメージや解釈」が、後から振り返ればぜんぜん違うものになっているということは、あり得るどころかむしろごく自然なことだと言えます。

そして、だからと言って、それを先に言われたところで理解しろというほうが本当は無理な話なのです