最近、インテグリティ教育の必要性が叫ばれていますが、
「インテグリティ(Integrity)」
という言葉そのもの腑に落ちていない人が多いのではないでしょうか?
「Integrity」は日本語で直訳するのは難しい言葉ですが、ふつうは
「誠実さ」「高潔さ」「真摯さ」
というふうに訳されていることが多いです。
……間違ってはいないのですが、実はこれではちょっと掴み切れていない感じがしますよね?
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インティグリティとは、単なる「気まじめさ」ではない
「誠実さ」「高潔さ」「真摯さ」
と言うと、私たちはちょっと違うイメージを持ってしまう場合があります。
たとえば
「中途半端な、いいかげんな仕事をしない」
「細かいことでも律義に守る」
というような、ある意味几帳面な感じ。あるいは
「ふざけたり、態度を崩したりしない」
「だれにたいしても礼儀正しい」
ようなイメージ。つまり、他の言い方をすればちょっと堅苦しい感じ。
……などです。
こういう面に注目してしまうと、そもそもの「インティグリティ」という概念から離れてしまっているように感じます。
なので、これは私の経験と体感から得た定義ですが、
「インティグリティとは、目的が一致している状態のこと」
と表現するのが一番しっくりくるのではないかと思っています。
目的の一致とは、どういうことか
一方で、インティグリティという語は
「整合性」「一貫性」
というように訳されることもあります。
その観点から言えば、
「インテグリティというのは、目的に整合性があるということ」
と表現することもできます。
実際の状況に即してイメージしてみましょう。
たとえば仕事の場であれば、どの程度自覚的であるかは別として、必ず
「その仕事を通してあなたが追い求めるもの」
があるはずです。つまりあなたという個人が
「仕事をする目的」
です。
あなたの目的というのは、言い換えれば
「動機」
です。
一方で、あなたがする仕事がどんな仕事であれ、実は、あなたの動機や都合にはお構いなしに、そもそも
「その仕事に本来備わっている目的」
というのが存在します。
あなたがその仕事をする目的……ではなくて、その仕事そのものの目的のことです。
その仕事がだれかに提供しようとするもの……すなわち、区別のために別の言葉を使うとすれば、その仕事そのものの
「価値」
です。
第一義的に仕事というものには、すべてその仕事によって満たそうとする価値が存在しており、その価値を提供するために人は仕事をするわけです。
そのこと自体が仕事の目的です。
あらためて言うと当たり前ですよね?
で、ここではいったん
① 自分がその仕事をする目的、つまり動機
と、
② その仕事そのものが提供しようとする目的、つまり価値
とは、別のものと考えます。
……と言うか、多くの場合最初は別であるほうが自然です。
たいてい、特にその仕事を選んで始めた当初は、①も不明確だったり見当外れだったりする可能性が高いですし、同時に②についても未知の部分が多く理解も不十分です。これは、始めたばかりのことですからある意味当然です。
確認しておきますと、あなたがどれだけ誠実な人だったとしても、どれだけ真剣に、真摯に頑張っても、この時点では、インティグリティは存在しません。
でも、次第にその仕事に慣れて、その意味や方法が分かってくるに従って、先ほど言った①「動機」と②「価値」の両方ともが次第に自覚できるようになっていくでしょう。
仕事の価値を理解すると、自分の動機も変化する
自分の動機と、仕事そのものの価値は、極端な場合最初はまったく関係ないようにさえ思われます。
しかし、実は不思議なことに、仕事というものに熟達して、その意味を深く深く追求してゆくほど、仕事そのものの価値を提供することが、自分の動機に含まれてくるようになります。
あるいは、だんだん入り込んでくるように感じられる……と言いますか。
これは一例ですが、極端に言うと、最初その職業に就いた段階では、本人はその仕事自体にはまったく興味も魅力も感じておらず、生活のために仕方なくやっていただけだったとします。
しかし、仕事を覚えて自力でこなせるようになり、その提供先(お客様)のことを知れば知るほどに
「もっと上手くできるようになりたい」
「もっと顧客の期待に応えたい」
などといった、当初はまったく予想していなかった気持ちが芽生えていることもあります。
これは自然です。ある意味必然ですが。
多くの人は、それを頭で考えたわけではなくて、長年培った経験から体感的に理解しているに過ぎないのですが、そうなるといつの間にかその仕事を好きになっていたり、もっとスキルを高めたいと願うようになったりします。
それは、自分の動機が大きく変化しているということです。
自分が提供できる価値も変化する
また、一方では自分の能力や知識、技術が向上することによって、今までより大きな価値や提供物を生み出すことも可能になってきます。
つまり、仕事そのものの価値もそのレベルが高まったり、他の方向への展開なども含めてより大きく発展したりする可能性が広がります。
すると、
① 自分がその仕事をする目的、つまり動機
と、
② その仕事そのものが提供しようとする目的、つまり価値
というのは、互いに常に変化するものだと考えられます。そのほうが自然なのです。
動機と、提供する価値の区別
自分の「動機」と、仕事が生み出す「価値」は上記のようにともに変化するのが自然ですが、するとそれは互いに広がりつつ重複してきます。
仮に最初は別のものと認識していたとしても、長くやっているうちに、あるいは、さまざまな経験や葛藤を積み重ねる中で、互いが次第に接近して重なる部分が増えてくるのです。
ある場合には、もはや本人にとっても区別できない、あるいは、もはや区別する意味がなくなってくることもあります。
しばしば人は自分の仕事を「天職」だと感じたり、それを仕事として選んだことに幸福を感じたり、その仕事を通して自己実現できているという感覚に気が付いたりします。
もし、その時点で
「あなたはなぜ、その仕事をしているのか?」
とその人に尋ねたなら、その人はおそらく
「私は、この仕事がしたいからしているだけだ」
と答えるでしょう。
もう少し説明的に言うとすれば、それは
「私はこの仕事が生み出す価値を、私が生み出したいと思っているから、する」
という意味ですね。
このように、多くの思索や経験を通して①と②がいつの間にか一致してくる現象のことを
「インティグリティ(Integrity)」
と呼ぶのです。
「誠実さ」「高潔さ」「真摯さ」は、その結果として現れるもの
これは実は、別に「仕事」に限ったものではありません。
人生の中で、あなたが行うすべての行為、活動について同様に当てはまることです。
たとえば、あなたが好きな歴史上の偉人、大きな成功を収めた人物などを思い浮かべてください。
そのように語り継がれる人は、例外なく「インティグリティ」を備えているでしょう?
インテグリティ(Integrity)という言葉は
「誠実さ」「高潔さ」「真摯さ」
と訳されることが多いです。
しかし、それは結果として表面に現れる特質に過ぎません。
あるいは仕事に対する
「責任感」「使命感」「情熱」
そして、
「達成感」「満足感」「影響力」「支配力」などなど。
……こういったさまざまな現象や感情というのは、あえて言えば「インティグリティそのもの」ではなくて、
「インテグリティを獲得した結果として現れるもの」
です。
単なる資質としての「気まじめさ」「几帳面さ」といったものが、インテグリティを保証してくれるわけでもないし、たとえば自分の本音は本音として押し殺したまま、
「仕事だから」
「義務だから」
「それは私の役割だから」
……という意識だけでそれを続けるなら、おそらくいつまでたっても「インテグリティ」の獲得には近づかないでしょう。
もちろん、そうであっても単に周囲から見て
「誠実だ」「高潔だ」「真摯だ」
という評価を得ることは可能かもしれません。
……だとしてもです。
それが本当に「インテグリティ」に基くものかどうかは……それは自分の内面に問い質してみるしかないのです。
