依存という言葉は、意味を混同しやすい言葉だと思うんです。
依存っていう言葉は、こういう時にも使いますよね?
つまり、
「BによってAが決定する」
「BがAをあり方を規定している」
「Bが変化するとAも変化する」
というような意味で
「AはBに依存する」
と言うことができますよね?
たとえば
「個別の語意は文脈に依存する」
「論証の妥当性はその形式に依存する」
「実際の通信速度は使用する端末に依存する」
とか。
このような意味で言うところの「依存」は、同じ語でも、実は今言っている「依存」とは関係ないことですよね?
だって、人が自立することと関係ないですから。
たとえば、人間は生きてゆく上で、空気や水とか、他の生物とか自然とかに依存してますよね?
時間とか精神というような概念に依存してますよね?
……という時の「依存」とは、人間が生存するための条件、言い換えれば、そもそも人間はそれらに規定される存在であるということを言っているにすぎません。
これらのものを必要とするのは当たり前であって、それを排除するなどという考え自体が成り立ちません。
人間が、空気や水から自立する……って意味分かんないし。
だから、こういうものについて「依存」と呼んでみたところで、今問題にしている話とはそもそも関係なかったわけです。
同じ「依存」という言葉を使っているから混同していただけです。
では、依存とは?
すると、じゃあここで言ってる依存というのは何なんだ?
と考えて次に私が思ったのは
「依存って、心理的なものじゃないの?」
ってことです。
すなわち、依存というのはその対象が何であろうと、結局はその動機、精神状態、価値観……要するに、
「結局、心の持ちようなんじゃないの?」
って。
それですぐに想起するのは、いわゆる「依存症」という病名です。
これっていわゆる心の病ですよね。
やっぱり、依存というのは本人の心理状態が原因であると……これは一見受け入れやすいようにも思ったのでした。
もちろん、たとえばアルコール依存症、薬物依存症というようなものは特定の物質が対象なので肉体的な依存としても考えられますが、専ら肉体的な依存のみであるとも言えません。
多くは同時に精神的に、心理的にもその対象に依存しているはずです。
また、
「ギャンブル依存症」
「買い物依存症」
「スマホ依存症」
と言いますよね?
これらは、対象となっているものが薬物のように直接的に脳や神経に作用するものとは言えません。主に精神的な依存の典型例と見ることができます。
ちなみに、
「依存性パーソナリティ障害」
という病名があります。その定義を見てみると……。
「過剰に面倒をみてもらいたい(かまってもらいたい)欲求」
「まとわり付く行動を取り、分離することを恐れる」
といったものが含まれます。
続いて診断基準を挙げてみますと、
- 他者からの過剰のアドバイスがなければ、物事を決定できない
- 責任を負うために、他者を必要とする
- 他者の賛同を失うことを恐れ、反対意見を述べることができない
- 自ら物事を開始することができない
- 他人の保護を得るために、不愉快なことまでを行う
- 自らを保護することができないという肥大化した恐怖により、精神不安または無力感を覚える
- 他者との密接な関係が終わると過剰に不安になり、保護を得られる新しい者を探しだす
- 保護してもらえなくなるという非現実的な恐怖に囚われている
【以上Wikipedia】
……どうですか?
もちろん、病気と診断される場合とは区別しなければならないと思いますが、これって、いわゆる「依存している人」のイメージに割と合ってますよね?
このような心理的な傾向を持っているということが、今言っている「依存体質」「依存的な価値観」というものに近いように思えます。
依存=状態?
ただ、私はちょっと引っかかっていることがあります。
仮に、本人にはそんな意識がまったくない場合はどうなるんだろうと。
つまり、本人はだれかに依存してるというような自覚はまったくなくて、たとえば、むしろ本人の価値観や思考の傾向は「自立型」であって……でも、ハタから見たらどう考えても事実上何かに依存してるということもあり得るのではないかと思ったのです。
「俺は自分の力を信じて、自分一人で頑張って生きてるぜ!」
とか思っている人は、少なくとも心理的には依存的じゃないですよね?
でも、そう言ってる本人が、たとえば生活費や暮らしの面倒をだれかに見てもらっていたり?
個人的にすごく支えてくれる人や応援してくれる人がいて、それを当然のように受け取って何も思っていないという場合は?
……もしそういう場合、この人は依存体質ではないのですかと。
疑問として、むしろ本人が内心どう思っているかということよりも、事実上の状態のほうが問題なのではないか……とも思えたりするわけです。