- 「それは在る」を読んで思ったこと
- 「思考停止という病」を読んだときに思ったこと
- 「超雑談力」を読んだとき思ったこと
- 「苫米地英人の金持ち脳」を読んだとき思ったこと
- 「リフレクション-内省の技術」 を読んだとき思ったこと
- 『理想の人生をつくる習慣化大全』を読んで思ったこと
「自分で考える」ということ
上司などに
「自分で考えろ」
と叱られることがあります。
先生から
「少し自分で考えてみて」
と、たしなめられることがあります。
……ただ、一方では
「勝手なことをするな!」
「なぜ、先に相談しないんだ!」
と叱られることもあります。
すると、そもそも「自分で考える」というのはどういう意味なのか、分からなくなってしまうという人も出てきます。
また、だれかに言われたわけではなくても、自発的に
「自分でものを考えることの必要性」
を自覚する場面もあります。
たくさんの情報に触れたりして、特に、たとえばたくさんの自己啓発本なんかを読み漁っていると……いつの間にか自分自身の意見や考えがあやふやになっていることに気が付くことがあります。
「他人の意見に追随して、流されて生きてきた」
「現れては消えてゆく、情報にただ踊らされていたような気がする」
……そんなことを感じる瞬間があるのです。
「自分で考える」の種類
ところが、この
「自分で考える」
というのが苦手、あるいは、自分で考えるということが何を意味するのかピンとこない……という人もいると思います。
この点について私がまず思うことは、この言い方自体がかなり幅広過ぎて、いろんな意味に解釈できる……という点です。
だから、今「自分で考える」というのをどういう意味で言っているのか、そういっている相手や自分の問題意識が主にどういう範囲にあるのかをまず特定しなければなりません。
それで、かなり一般化した言い方になってしまいますが
「自分で考える」
と言ったときに、それが事実上何を指す場合があるかを仮に挙げてみると、以下のようなある種類分けができるのではないかと思うのです。
① 与えられた問題を自分の力で解決する
まず、会社などでしばしば注意されるような場合の
「それくらい自分で考えろ!」
という言葉は、実際はほとんどこれを指しています。
誤解しやすいのですが……この場合の「自分で考える」というのは、下の②以降で出てくる場合の「自分で考える」こととはぜんぜん違う意味です。
ここを混ぜこぜに考えてしまうと、冒頭書いたように今度は逆に
「勝手なことをするな!」
「なぜ、先に相談しないんだ!」
という話になってしまうのです。
「与えられた問題を自分の力で解決する」
ということは、まず問題そのものはあなた自身が考えるまでもなく固定されているわけです。
その意味で言えば、学校でやる「テスト」に似ています。
当然ですが、テスト中に答えをだれかにそっと聞いたり、近くにいる人が書いた解答を盗み見て書き写したりすれば、それは 「カンニング」で、反則ですよね?
つまり、問題や課題がすでにあって、その解決を
「自分でしろ」
と言われているのであって、自分が解くべき問題を自分で選べとか、自分で問題を想定しろとか言われているのとは違います。
こういう場合の課題解決のことを私は
「パッケージタスク」
と呼んでいます。
パッケージタスクにおける
「自分で考えろ」
というのはそういう意味でしかありません。
② 現れた事実や他者の意見に対して、自分は「賛成か反対か」を自分で決める
次に、たとえばごく日常的に、新聞やテレビのニュースを見たり、友人などと世間話をしているとき、あるいはプライベートなことでも相談を受けたときや、意見を求められたとき……。
こういった場面で、
「自分はそれに賛成だ」
「反対だ」
とか
「それに関する私自身の見解はこうだ」
……というのを、自分なりの根拠を伴ってはっきり言える、ということをもって
「自分で考える」
と言っている場合があります。
この場合、
「自分で考えている」
と言える条件は大きく2つあって
「自分の意見としてそれをはっきり確定している」
ということと同時に
「何らかそれを説明する根拠がある」
ということです。
ただし、多くの場合その「根拠」というものそれ自体は、本来別に客観的な事実でないとしても
(たとえば「昔からそうと決まっているんだ」とかでも)
構いませんし、さらにいえば自分で考えたものじゃなくても
(たとえば「評論家の○○がそう言っていた」とかでも)
いいのです。
これは意外かもしれませんけど、そう考えたほうがすっきりすると思います。
③ 自分の態度や行動を意識的に選択する
今度は、もっと自分自身に引き付けて考える、という意味での
「自分で考える」
という言い方についてです。
この場合の大きな特徴は、上で述べた場合と違って
「そもそも与えられた問題とか目的などが存在しない」
という点ですね。
裏返して言うと、この意味で
「自分で考える」
という時には
「他者の意思から自由になる」
という観点が含まれています。
つまり、先に言った
「与えられた問題を自分の力で解決する」
のと比較するとその点が明らかに違います。
また、ふつうに分類しようとすれば、今言っている
「自分の態度や行動を意識的に選択する」
という中には、さっき挙げた
「自分としての意見を決める」
ようなことも含まれる、と考えても良いのでその意味では②と③を分ける必要はないようにも思えますが、しかしここであえて区別したのは、端的に言うと②があくまで外部から来る情報に対する
「リアクション」
であるのに対して、③は基本的に自分が主体とならなければ起こらない純粋な
「アクション」
でなければ「自分で考える」という意味として成立しないというところに注目したからです。
ただし……ですね。
少しこだわるようですが、この場合でもやはり、その
「根拠」
というのは別に客観的な事実でないとしても、自分で考えたものじゃなくても成立します。
たとえば
「そのほうが楽しいから」
「なんとなく気に入ってる」
「自分に合ってる気がする」
というような、他人から見ると根拠とも言えないようなものでも別に構わないわけです。
また、
「本で読んだから」
「〇〇を知って感銘を受けたから」
「〇〇の影響を受けた」
というのでもいいです……というか、こういった言い方は実際にかなり多く聞かれますよね?
……で、このように言うと、中には
「そんなのは自分で考えたとは言えない」
「単なる受け売りじゃないか」
といった批判をしたくなる人もいるのではないかと想像しているのですが……実はその感じ方のほうが的を射ていないのかもしれない、と私はそう言いたいわけです。
なぜかというと……それもまた
「自分で考えるという言葉が指しているものの混同」
だと考えられるからです。
つまり、そう言いたくなるのは、ここで言っている「自分で考える」ということの意味を下の④の場合と混ぜこぜにしてしまっているからです。
④ 独自の発想や思考を作る
最後に、これが最も純粋な意味での
「自分で考える」
ということだとも言えるわけですが……これは要するに自分自身がまだ一回も見たことも聞いたこともないような、新しい「考え」を自分の力で作り上げるということです。
これは、けっこうすごいことですよね?
難易度高いです。
ただ……また誤解しやすいのですが、これはあくまで
「自分自身がまだ一回も見たことも聞いたこともないような」
であって、必ずしも
「他者も含めて、まだだれも思いついたこともないような」
考えではありません。
もしかしたら、すでに過去だれかが考え付いたのと同じ考えに至っただけかもしれないです。
もしかしたら、その業界では……専門家の間では……異なる文化圏では……だれでも自明のこととして分かり切っている、ごく陳腐な考えかもしれません。
しかし、仮にそうであってもそれは
「自分で考える」
ということをこの意味で実行した結果なのであって、それ自体はもちろん恥じる必要もないし、それがあくまで自分の考えた結果であることを否定されるべきものでもないのです。
……ただ、それをそのまま発表しちゃったら著作権とか特許とか、そういう話になってくるわけですが。
でも、社会的にはどうあれ、それは自分としては「自分がたどり着いた考え」であることは確かなのであって、それを否定される覚えはないということです。
他人の肩の上に乗る
このように
「自分で考える」
と人が言う時、その意味には多くの意図があります。
それぞれがいろんな場面で「自分で考える」という言葉を使い、いろいろな含意をそれに込めるので混乱しやすいわけです。
それが問題を余計にややこしくしているのです。
最後に、あらためて強調したいのですが……。
上記のいずれの種類であっても共通して言えることですが
「自分で考える」
というのは決して
「ゼロから全部自分の力だけで自己完結させる」
ということではありません。
たしかに、時には自分の力で試行錯誤するしかないという場面もあるでしょうが……逆に、意味なく何でも試行錯誤していたら、何かにたどり着く前にあなたの人生は終わってしまうでしょう。
思考の素材となる知識や情報はもちろんのこと、たとえばその過程において
「他人の意見を参考にしたり」
「だれかの意向を確認したり、それを反映したり」
「助力や指導を求めたり」
「先人の知識や知恵を借りたり」
「関連する本や研究成果を引用したり」
することは、どれも「自分で考える」ことと矛盾はしません。
それどころか、それらは「自分で考える」ときの土台として必要なものです。
むしろ
「過去すでに蓄積されている知識や情報」
という梯子を使っていったん行けるところまで登る必要があるのです。
その上で自分の頭で考えるのでなければ……大した考えにはたどり着けない場合が多いのではないでしょうか?