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「自分を信じる」ことから始める
成功に至るには、根本的に
「自分は絶対正しい!」
という確信、確証が大事です。
自分が目指している目標や向かっている道は絶対間違っていないんだという信念。どんな時でも自分自身を信じる気持ち、と言ってもいいです。
この意味での確信は、本来は成功するつもりなら前提として初めから持っていなければなりません。
よく、成功するにはマインドセットが8割(9割……10割という人もいます)とか言いますが、そもそもマインドセットを意識的に始める時点で、すでに前提的に、根本的には
「自分が絶対正しい」
という確信、決心のようなものがあって初めて可能になります。
もしこの点でまだ確信が持てないとか、迷いが生じているとかいう場合には、何はさておき、
「自分自身は間違っていない、正しいのだ」
と信じ直す作業が必要です。
根底でここが定まっていないと、どんなノウハウもほとんど役に立たないということになってしまいます。
正しい「自己正当化」の仕方
ところが、自分は正しいといってみたところで、では本当は自分のいったい何が正しいと言っているのか?
……ここを見誤ると大きく方向がズレてしまいます。
たとえば、表面的なノウハウやテクニックを知って
「このやり方なら絶対うまくいくはずだ」
と思うことがあるかもしれませんが、それは
「自分が正しい」
のとは違います。
今やっている具体的な手法やノウハウの正しさは関係ありません。というか……そこを絶対視してしまうのはむしろ危険です。
また、他人の意見や適切な指導を受けないで、せっかく与えられたそういう機会をあえて無視して
「すべて自分の力で成し遂げることができるはず」
と思い込むのも違います。
もちろん、一時的に不運だったり、失敗事例が起こったりしたときに、
「これは私のせいではない。私は正しかったが、たまたま~が悪かった」
というふうに何かのせいにする態度も、自分の正しさを証明することにはなりません。
自分の何を信じるか?
自分の正しさ……というのは次のようなことです。
まず、それは単に今時点での考え方や手法や行動が間違っている、間違っていないという判断とは関係ありません。
実際、何かにつけ成功に至るまでには多くの失敗や紆余曲折、落胆せざるを得ない状況というのが訪れます。
……そんなことは当然で、そうであるにもかかわらず自分は根本的には正しいという確信があり続けるということです。
すなわちそれは結局、自分自身が思い描いている目標や夢、将来の想定などがそもそも正しいという意味です。
そして、それが「正しい」という表現をもう少し具体的に言うと、まずあなたが思っているものが
① 明確である
ということが必要です。少なくともそれが正しいのか誤っているのかを判断できる程度に形になっているかどうかがまず問題です。
その上で、正しいというのは具体的には
② 実現する価値がある
ということと、同時にそれは
③ 実現できるという期待値が十分ある
ということ。加えて言えば、あなた自身に
④ それを実現する資質や能力が必ずある
ということです。
自分を信じるというのは、(その過程では多くの失敗や間違いが発生したとしても)自分が思い描いているもの、願っているものがこれらの条件を満たしているという確信のことです。
先天的な資質ではない
ところで、このような確信が持てるかどうかというのは……別に先天的に決まっている資質ではありません。
それ自体がある程度の年月をかけて醸成し、自己発見するべきものであって、おそらく、生まれながらにこのような確信を持っている人というのは実際にはほとんどいません。
言い換えるなら、むしろ多くの人は最初、上で挙げたような
「そうではないもの」
たとえば根拠のない思い込みや自信、自らの拙い思い付きや限られた情報、あるいは自分だけは特別だとか、自分は運が強いとか……そういったものを
「自分が正当である根拠」
にしようともがいています。
たとえば手痛い失敗や大きな問題に当たることによって、または自分自身の無力さや不甲斐なさなどを痛感するような人生経験を重ねることによって、それらのいずれも
「自分自身の根本的な正しさを証明しないのだ」
ということに思い至るのです。
その先に本当の意味での、信じ続けるに値する正しさが見えてくるのでしょうね。
