本の中で「こうやってみろ」という指示があったときに、それを本当にやってみることは大事です。

でも、ほとんどの人がそれをしないのです。

自己啓発本などに書いてあるところによると、そういった本を読んだり、セミナーなどで実践的なノウハウを学んだりした人のうち、90%はその後まったくそれを実行しないそうです

という私自身もその90%に含まれちゃうことのほうが多かったりするわけですけど……。

なぜ、私たちの多くはそれができないのでしょう?

実行できない理由

① そもそも実行するために聞いてるわけじゃない人がたくさんいる

まず、そもそも何かを積極的に実行しようと思っている人ばかりじゃないということは言えますよね?

別に本を読む理由は、必ずしも何か実用的に活かそうとか、実際に生活に取り入れようとか、そういう理由だけとは限りませんから。

セミナーや講演会だってそうですよね?

知人や友人と付き合いで行く場合もあるでしょうし。

その後援者に会いたいとか。

ただ時間が空いたからとか。

実行しない90%という中には、こういう人も含まれているわけで。

別にその人たちに向かって、そんなのは意味がないとか時間のムダだとか言って、責める必要もまったくないわけです。

それはある意味、映画やコンサート、寄席や演芸を見るのと同じことなのであって、本人がそのような

「時間の過ごし方」

を選んだというだけの話ですから、それで何も悪くはないんですよね。

客

さて、問題は……もともと何か問題意識があり、実際に

「行動として」

取り入れようと意図してわざわざその情報を仕入れたのに、

「結果としてまったく実行できてない」

という状況が起こること、ですよね?

となると、まず考えられるのは?

② よく読んでない。理解してない

冷静に見て、まず考えられるのは、やはり

「正確に理解できない」

のではないか?

……ということです。自己啓発関連の知識がある人ほど、すぐに潜在意識とかメンタルブロックといった話に持って行きがちです。

でも、実はその前の段階として、聞いたり読んだりした内容を、ある程度きちんと理解できているか? ……と考え直してみる必要はあると思います。

これは、たとえば学校の授業などを思い出してみるとよく分かります。

単純に、少なくともクラスの全員が同じ授業を聞いているのに、テストの点数は必ず差が出ます。

あらためて考えれば当たり前ですけど、人によって「聞き方」も違うし「理解する程度」も異なります。

スポーツや部活動なんかもみなそうですよね?

「教えてもらって」

「その通りやる」

この流れの中での、いわば「歩留まり」みたいなものに、そもそも個人差がかなり大きい。

この差を完全に埋めるということは当然かなり難しいことですが、たとえば自己啓発本などを読む場合に限って言えば、対策として比較的すぐにできることとして

「言葉に敏感になること」

が挙げられます。

たとえば、自己啓発本って「愛」とか「意識」とか「思考」とか……けっこう抽象的な単語がいっぱい出てきますよね?

こういう単語って、実は人によって細かい定義や含まれる範囲、背景となっているイメージとかが、かなり違う場合があります。

それに、著者自身がそういう言葉について、一般的ではない見方をしていたり、本の中であえて「別の定義」を試みたりしている場合もあります。

さらっと読み流したりすると、実際に書いてある趣旨でなく単なる字面に引っ張られてうまく把握できなかったり、勝手に趣旨と違うイメージを持ってしまったりします。

言葉というものがもともとそういうものなのである程度仕方のない部分もあるでしょうが、少し意識しておけばずいぶん違うかな……と感じます。

あと、言葉の一つひとつではなくて、何となく読んでいると

「ああ、前に聞いたことある」
「これって、アレのことだよな……」

というふうに、自分がすでに持っている概念や、似ている事例などを思い出して、結局それと同じことを言っている、と勝手に解釈してしまうことも多くあります。

日常、ふつうに雑談している時なども、注意しているとこういう例はかなり多く発見することができます。

要するに、人ってそれだけ、他人の話をちゃんと聞いてないということなんですが、それが、本を読んだり、講師や先生の話を聞いたりしている場合にもそのまま当てはまるということですね。

ですから、最も簡単で効果のある対策としては……要するに

「もう一回、素直に読んでみる」

というね。

これが、当たり前すぎて逆に忘れがちですが、最も有効な対策といえるかもしれません。

③ 半信半疑

次に……仮に、あなたはすでに内容は完全に理解しているとします。

でも、内容が正しく理解できている、ということと

「その内容に同意し、納得している」

というのは、まったく別のことですよね

確証がないからやる気が起きない。

これは確かにあります。

確証がないということは、イコール、それに対する期待値が十分高くはないということなので、実行しようというモチベーションが上がりにくいのは確かです。

これは人間の感情というか、動機付けの自然な流れなので、ある意味しょうがないこととも言えますが。

ひとつ、考え方を言うとすれば、私たちが言ってる、そもそも

「確証って何?」

というのを、もう一度考えてみるのは役に立つかもしれません。

私たちが欲しい確証とは?

「確証」とは何か?

それは「確かな証拠」という意味ですね。

……と言ったら身も蓋もないのですが、でも現実の世界を考えてみるとですね、そもそも、100%絶対に正しいといえるようなことなんて、ほとんど存在しないとも言えますよね

あえて言えば(それでも完全に、100%と言い切れないですが)

「すでに過去に起こった事実」
「厳密に条件を準備した場合の、物理や科学の実験結果」
「疑う必要のないような、超当たり前のこと」

とか?

そういう種類のものくらいしか、思い浮かばないのではないでしょうか?

特に、こういうテーマで、私たちが知りたいと思っているような範囲のことであれば、尚のこと

「100%確実な証拠を添付して出せ」

というのが土台不可能な要求なんじゃないでしょうか?

聞く側からすれば、そう言いたい気持ちは分からないでもないですが。それ前提からして無理でしょ、と思わざるを得ません。

だから、よく

「自己啓発なんてやっても、意味ない」
「成功本則なんて、エビデンスがない個人の経験則にすぎない」

といった批判が出るわけで、これって、確かに反論しにくい意見だけれど……逆に言えば「当たり前じゃん」っていう話とも言えるわけです。

ただですね。

今、私たちが欲しがっている意味の「確証」って、実はそういうものではないですよね?

つまり、たとえば少なくとも、自分がそれなりの期待値をもって実際に実行してみるほうに気持ちが傾けばいいだけなのですから。

それには、まず「確証」という観念を、変えることが有効と思います。

私は思うのですが……そもそも、物事がおおよそ正しいだろうと判断できるためには

「100%確実な証拠を添付して出せ」

なくても大丈夫なんですよ。

正しさを担保するには、

A 推論として正しい、誤謬がなく考えた結果、そうなる
B 多くの例から帰納的に考えて、蓋然性が高い。確率が高いように見える
C 実際やってみたら、そうなったから、そうなんだろう

このうちのどれかに当てはまっていればいいわけで、そうであれば私たちは(むしろ客観性とか関係なく)

「これは、確かに正しいはずだ」

と信じることは十分に可能なわけです。

たとえば、占いとか疫学とか、そうですよね?

あるいは、統計的に有意であるとか言われれば、

「じゃあまあ、たぶんそうなんだろう」

と納得しますよね?

もちろん、その内容によって、もっと調べたり、反例がないか確かめたりする場合もあると思いますけど、自分で納得できる程度まで調べれば、私たちはたいてい

「じゃあ、これはやはり、確からしいな」

と判断するでしょう。

その際、必ずしも科学的な根拠とか、確実な因果関係とかは必須ではありません。

むしろ、私たちは日常的に何となく

「よく分からないけど、こうやると、なんかいつもこうなるよな……」

と認識していることがたくさんあります。

おそらくですが、

「根拠がないから」
「完全に信用できないから」

私たちがこのように言うとき、それはたいていは表面的に言いつくろうために言っているのであって、たぶん本音は別のところにあるのでしょう。

実行したいの? したくないの?

結局のところ、私たちはその情報について

「正しいのか? 正しくないのか?」

を判断しようとしているように見えますが(というか、そのように自分でも感じられますが)、でも実は本心は別のところにあって、それはつまるところ

「実行してみたいのか? したくないのか?」

ということなのではないでしょうか?

私たちの多くは、おそらく本音では

「何となく、実行したくない」

というのが、すでに先にあるわけです

すると、意識としては

「だって、本当に正しいかどうかも分からないじゃないか」

そして

「100%のエビデンスがないじゃないか」

というふうに、いわば自動的に思考が流れる……。

本当は「確証」じゃなくて、私たちは「確信」が欲しい

実は、上で言った思考の流れというのは、私たちが意識的に考えて決めた結果じゃなくて、いわば勝手に、頭が自動的に処理した結果そうなっちゃう、と言ったほうが近いです。

逆に言うと……私たちが、聞いたことや学んだことを実際に実行するには、ふつう、放っておけば自動的に進んでしまう思考に、意識的に反発しなければダメ、ということです。

その、意識的に反発するというそのやり方自体が、自己啓発とか成功哲学の主要なテーマとなっている……ということもできますけど。

とにかく、自分では冷静に、客観的に思考しているようでいて、私たちは実は、前提として持っている気分とか本音みたいなものに従って、後から理屈をくっ付けているところがあるわけです

ですから、本当は逆に、逆さまに発想する必要があるんですよね。

つまり、勝手にさせていると思考はさっきのような流れに収まってしまうわけですから、その流れに逆らうように、

「私は、これを実行したいんだ!」

というところから始まって、だから

「それに対する期待値を、もっと上げなければならない」

だから

「それに、しっかりした確信を持つ必要がある」

だから、

「それには、確証があるはずだ!」

……という順番で(いわば無理やりにでも)思考しなければならない。

そうしないと、

「学んだことを実行する10%未満の人々」

に属することはできない。

そう理解しておく必要があるのです。

もともと、人間は実際には、自分が感じている願望や、もともと持っている信念に合致する情報だけを他よりも重視してしまう心理的な傾向があります(確証バイアス)。

逆に、それに反するような情報は無意識に無視したり、

「それは例外だ」

とか

「何か別の原因でたまたまそうなった」

とか言って、軽視しようとするのです。

私たちは、もともと何にでも「確証」とか「ちゃんとした根拠」なんて求めていないのです。ふつうは。

ということは……それなのに、そのことに対してだけ急に「確証」とか「論拠」とか言い出す、その動機は何なのかと考えてみれば……自分の本音が見えてきます。

「行動」「実行」「実践」

たしかに、それができる人の割合は非常に少ない。難しいことです。

でも、それであれば……ということは、それをするとどうなるか

どうせなら、そっちに思いを馳せたほうが、得な気がします。