社会一般のイメージとして言えば、自己啓発とはふつうは、社会人が実際の職場や担当している業務や、勤務というものから離れて、個人的に行ういわゆる
「勉強」
と同一視されているように感じます。
そこにパラダイムシフトはあるか?
実際多くの人が「社会人が勉強すること=自己啓発」というように漠然とイメージしています。
たとえば何らかの資格を取ることや、スクールとかセミナーといったものに参加することや、あるいはその手の本を読んだり情報を調べたりすること……これらがそのまま「自己啓発」と呼ばれています。
でも、これって
「自己学習」
ではありますが、本来の意味で言うと
「自己啓発」
ではありませんよね?
一般的なイメージとしては社会人、あるいはビジネスパーソンが自分のクオリティを上げること、価値を高めること。それを自己啓発と呼んでいるのです。
つまり
「スキルアップと自己啓発が混同されている」
のです。
ふつう、スキルアップというと、代表的なものは
基本的なリテラシー
専門的能力、スキル
社内の地位、社会的ステータス
対人能力、コミュニケーションスキル
などに関する自己学習、自己訓練のことが想起されます。
でも、啓発という言葉は本来
「パラダイムシフト」
に近い意味を持っています。
すると、スキルアップすることが、
「より高い段階へ」
「視点や認識をより高い次元へ」
ということにどう結び付くのでしょう。
少しずれているように感じないですか?
だって、ビジネス上の自分の価値を高めるっていうことは、今やっているビジネスについてのことであって、単に今やっている仕事に活かせるとか、仕事がもっとスムーズに回るとか、スピードが上がるとか、あるいは社内での評価が上がるかもしれないとか……そういうことになるわけですよね? ふつうは。
別に視点や認識の次元が上昇することと直接的にはあまり関係ないですよね?
別にそれを自己啓発と呼んじゃいけないとは言いませんが、単にスキルアップすることは
「パラダイムシフト」
と呼べるような上昇あるいは転換は特に含まれていないので本来の意味で言うと区別するべきものだと言うことができます。
何が「啓発」なのか
ただし……実はそれだけを考えればそう言えるのですが、少し引いてみると次のように考えることもできます。
たとえば、あなた自身の認識としては
「単に仕事上のスキルアップのため」
と考えて始めた活動でも……今までそんなことしようと思ったことさえなかったのに、ある時点から急に勤務時間以外のプライベートな時間を割いてまで何かを学習し始めたということは、本人の内面ではその動機となりうる何らかの
「認識の変化」
「発想の推移」
つまり一種のパラダイムシフトが存在しているとも考えられます。
いわば主観的に目的意識が最初から固定されているという前提で考えるからシフトが起こっていないように見えるのであって……。
問題は
「自分が啓発されているということを自覚できているかどうか?」
という点だけが違うと考えることだってできるわけです。
仮に、
「単に自分に与えられた仕事をこなして給料もらえればいい」
と思っていた人が、ある時点から
「スキルアップしなければ」
という考え方に変わったという、その点にフォーカスするとそこには何かしらの気付きや、動機付けがあったはずです。
これは仮に意識的ではなくても実際人生の各段階で起こります。
今度は、今までは単に今やっている業務上のスキルアップを目的にしていた人が、ある時から自分自身のライフプラン全体も視野に入れて獲得すべきスキルの範囲を広げた場合とか。
それは目的そのものが変化しています。そして本人の視点も今までとは変わっているのです。
あるいは、こういう話もよくあります。
すでに経済的な成功を収めた有名な資産家がいるとします。
その人は、今までは富を増やすことや、自分の事業を拡大することに専念してきたとします。
会えばいつもそんな話ばかりしているとします。
その人が、ある時期から急にボランティア団体に出資したり、寄付のための財団を作ったり、次世代育成のための事業に乗り出したりするんです。
これも、何かの要因によってその人の内面にパラダイムシフトが起こった結果だと言えます。
今学習している内容や、身に付けようとするスキルの内容のことではなく、それに至るプロセスを俯瞰するとそこにはある種のパーソナルなパラダイムシフトが起こっているのが見て取れるわけです。
啓発というのは単に何かについて勉強したり、何かを習得したりするという範囲のことではないものが含まれています。
それは主観としては成長とか上昇あるいは進歩といったイメージを持つ何かです。