自分には、頼れる人脈がない……と悩んでいる人ほど、いったい人脈というのが何なのか?

また

「そもそも、人脈どうして必要なのか?」
「自分が何のために人脈を必要としているのか?」

といった点があいまいなまま、何というか、架空のイメージみたいなものだけを持って悩んでいることが多いです。

人脈の意味は、視点を変えただけ

その結果、とにかく「数」を集めようとか思って、積極的にいろいろなところに出掛けたり、無理やりポジティブな自己イメージを持とうとしたりするわけですが、たいてい疲れ果てて終わるだけです。

または、イメージとして「人脈」を何か自分の目的意識のもとに構築しようとすることに罪悪感をもつ人もいたりします。

あるいは、そもそも

「俺は人脈なんて言葉が、大っ嫌いだ!」

という人もいるでしょう。

何となく……金脈とか、鉱脈というような言葉を連想してしまうかもですね。

でも、たとえばこう考えてみたらどうですか?

「人脈という言葉は、あなたが具体的に今得ている人間関係の、(相手ではなくて)関係そのもののほうにフォーカスした場合の、あなたを取り巻いている関係の構造のことである」

あなたの人間関係が、どんな構造になっているかを振り返る

さて、どんな言葉を使うかは本当はどうでもいいんですけど、いずれにしろ、人脈というのをイメージしやすくするには、まず

「自分の周囲を取り巻く人間関係の中で、自分にとって特に人脈と呼べるような相手とは、実際にはだれなのか?」

を考えてみるほうが早道だと思います。

すると、たいていの人は

「あの人は、何か頼みたいというような相手じゃないかな」

あるいは

「あの人とは仲は良いけど、人脈という感じじゃない」
「あの人のことを、人脈というイメージで考えるのはちょっと悪い気がする」

とか、思えてくるでしょう。

だれが人脈となるか

たぶん、私もそうでしたが、あなたも今まで、人間関係について考える際には、常にその特定の相手そのものに焦点を当てていたと思うんですよ。

もちろん、あなたとその相手の間には、それを結び付けている何らかの関係が存在することは当たり前に分かっているんですけど。

でも、おそらく多くの人は、自分を取り巻くそれぞれの相手という

「点」

のほうを「主」あるいはそっちのほうが「現実」みたいなイメージを持っています。

それは、もちろん実体的にはそうなんですけど。

でも、そっちじゃなくて、概念として、それぞれの相手という「点」をつないでいる関係のほう、つまり

「線」

のほうを構造として注目してみると。

その線の繋がり具合のことを「人脈」と言ってるだけでしょ?

だから、罪悪感があろうが何となく気分が悪かろうが、実際それは現に存在しているもので、ただ、今どっちの視点で見てるかという違いだけなんですよ、人脈というのは。

自由と人脈

ところで、特に、組織や集団といった実体的「場」を離れて活動しようとすると、単純に言って周囲に存在する人間の絶対数は激減します。

また、私の場合は自業自得というか……特にそうなのかもしれませんが、会社にいた頃の同僚や取引先の知り合いといった過去の関係者の力もほとんど当てにできなくなりました。

それで今度は、私は自分がいったい何を協力してほしいのかという面から……とりあえずだれかにやってほしいことを思いつくままに挙げてみました。

そうすれば、対象となる人物が想定できるかどうかは別としても、ひとまず

「だれに何を頼むのがふさわしいか?」

ということははっきりするはずだと思ったからです。

たとえば経理面で強い人に出納や資金繰りの管理をしてほしい、パソコンのスキルがある人にサイトの管理を任せたい……というように。

しかし、すると不思議なことに……思い付くのはどれも私にとって特に決定的に重要な事柄ではなく、よく考えたら

「こんなの別にだれにでもすぐ頼めそうなことじゃない?」

というようなことばかりが多い気がしました。

中には、ふつうに業者に頼めば済むものもたくさん出てきました。

それで私は、思ったんです。

「自分が一体どういう協力をしてほしいのか、ぜんぜんはっきりしていない」

もしかして

「私には頼りにできる人がいない」
「周囲に協力してくれる人がだれもいない」

……こんなことを思ったのは単なる気の迷い?
心細いだけなのかな?
不安から出た的外れな逃避願望なの?

……とも思いました。

不安な時はだれにでもある

組織にいた頃の理屈では、人脈は作れない

また、こうやってどんどん必要な作業や自分に不足していると思う面を挙げていこうとする行為は結果的に、それはかなり多人数による業務分担のようなものを想定しているのと同じになってしまうことに気がつきました。

いわば……そう、それはまるで「会社」のようになる。

我ながら笑ってしまいました。

だって、それって組織に属しているときの発想と同じだったからです

組織に依存していたときには、必要ならば幅広く人材を募集して多めに採用し、選抜しつつ適材適所に割り振り、意欲を維持しながら育ててゆく……などと本気で思っていました。たしかに。

しかしそれは組織の調達パワーやすり替えメソッドを前提とした方法にすぎなかったわけで、今そんなやり方を踏襲できるはずはありません。

要するに必要な事柄すべてについて、いちいち理想的な担当者を求めたり、やり方自体曖昧なままなんでも丸投げできるような協力者が周囲に何人もいてくれることを願ったりするとか……そういう発想からしてそもそも非現実的なのです。

しかし、前に述べたように、単に友達とか親しい人だからというだけで協力してくれるわけでもありません

自分が考えていることが不明確であることに気づく

迷った挙句、私はこう結論するしかありませんでした。

「他人の協力を仰ぐには、まず協力してもらう内容がきわめて明確になっていなければならない

しかも、協力者を求めるという作業は想像以上に難しいということはもう分かっているのですから、何でもかんでも協力を求めるのではなくて、まずは本当に必要な部分を明確に特定しなければならないはず

何をおいてもその決定的な部分についての協力者を確保することに集中すべきではないか?

……そう考え直しました。

決定的協力者を作ろう

決定的協力者のことを中心に考えよう。

その発想から出てきた一応の結論が

「PMW」

です。

まあ、呼び方は私が勝手に付けただけなのでどうでもいいのですが、一応紹介しておくと、

「Private Network Web」

つまり私は、私自身の個人的な人間関係の「線」を意識的に構造化しようとしたわけです

いわば自分を中心としたそれぞれの人との「関係の種類」を示す俯瞰図のことです。

ただし、その関係というのは通常考えられるように

「血縁、続柄とか」
「所属している組織・団体とか」
「どの程度親しい間柄だとか」

そういう基準ではなくて、ひとりの人が何らかの目的を達成するためには

「どういう特徴を持った協力者が存在することが最も有効か」

という方向から発想して、自分が本当に求めるべき人物を特定するためのものです。

どんなつながりが「人脈」と呼べるのかを考える

もちろん、より多くの人が自分に協力的であってくれれば、何事もよりスムーズに運ぶ可能性は高いし、行える活動の規模も大きくなります。

しかし、たとえば過去多くの偉大な成功者だって……最初から周囲のすべての人があまねく協力的であったというわけではないはずです。

問題は、自分にとって特に重要な意味を持つ

「決定的協力者」

の存在です。

これが欠落している場合にはおそらくどんな目的も達成されにくいのです

それで、私は実際にどんなタイプの「協力者」「頼れる人」がいたら今の私にとって最も有意義なのかを想像してみました。

そして、PNW上で想定しようとする決定的協力者を、次の4つのいタイプの人物だと結論しました(呼び方はそれぞれ私が勝手に名付けたもので、一般的な表現ではありません)。

① フロンティア
② ファン
③ ダブル
④ シンメトリー

本当の仲間とは何か

もちろん、これ以外に個別の面でいろいろ協力してくれる人が何人いても構わないし、それはそれでとてもありがたいことです。

ですが、人間が何かを成し遂げようとするとき、他の条件はともあれこの4つのタイプの協力者だけは、最低1人は絶対に確保したいはずだと考えたのです。

逆に言えば、この4つのタイプの協力者がそれぞれ1人ずつでも確保できれば、私にとってはほとんど十分であるとも言えるのです。

人が何を目的にするとしても、

「たった4人の協力者がいればたいてい成功する」

ということです。