私は長い間
「自立型人間」
にならなければならないと考えてきました。
それはもちろん成功するためにです。
もちろん、成功することのみならず、人間として、大人として、男として……というふうに、むしろ自立することは生きる上で人に課せられた義務みたいなものと信じ込んでいたような気がします。

自立とは成功の「条件」か?
成功するには「自立型思考」が必須の前提だという言い方はよく聞きます。
成功したいのならばまず主体的であること。
他人や組織の力に頼らずに生きていくだけの覚悟と能力を持たなければならな。
裏を返せば、とにかく自分の中にある依存的な考え、依存体質を捨てること。
何かに依存している自分の思考や価値観を改めなければならないという話になります。
つまり
「自立的であること」
とは、成功者になるための必要条件であって、成功するために必要なマインドセットのひとつである……というふうに考えていたわけです。
これはしばしば指摘されることなので、同じように考えている人も多いと思います。ですが……一方で、
「そもそも自立ってどういうこと?」
と聞かれると意外にあいまいなのですね。
一般に自立とはどんな意味だと思われているか
ふつうに考えて自立は「依存」の反対語です。
だから
「自立型の人間になる」
ということは
「依存的でない」
ということです。
自分の中にある依存的な傾向、依存的な価値観を発見して、それを排除しなければならないと考えますよね?
すると、まずだれでもそうだと思いますが、一番先に思い当たるのは家族、特に親からの自立ということです。
当然ですが、多くの人が自立という言葉を意識し始めた頃、これを真っ先に想起するでしょう。
このような身近な人たちに様々な面で依存している自分に気が付いて、それらと距離を取ろうとしたり、これ以上なるべく援助を受けないようにしなければならないと考えます。
要するに、
「まず、実家を出て、一人暮らしを始める」
「親などから生活費などの援助を受けない」
「日常的な面で、なるべく支援や干渉を受けない」
「気持ちの上で、頼らないように強くなる」
といったことを目指すわけです。
世間一般にも「自立」という言葉が使われるのは実質的にこういう意味であることが多いですよね?
もちろん、ある程度の年齢になれば多くの人が上に書いた意味ではすでに「自立」していると思います。
つまり就職して、実家を離れ、自分で収入を得て生活しているわけで、その時点で世間一般で言われる意味では自立していると見做されるわけです。
でもこれが
「自立型の思考になった」
「自立的な人間になった」
……ということになるかといえば疑問です。
自立とは「起業」することか
考えてみるとそれは即
「依存的な傾向」
「依存的な価値観」
がなくなったという意味ではないですよね?
そこで、たいていの人は次に自分が依存しているものを考え始めるわけです。
そうなると当然、会社などの組織、あるいはそこに所属したり関係したりする多くの人々に依存しているということに気が付きます。
そのような情報も今はたくさん目にする機会があるので、だれでも一度くらいは考えたことがあるのではないでしょうか?
ただ、そこから現実的に自立しようと考えると、たとえば起業しようとか、経済的に自由にならなければ……といった考えに傾くはずです。
これは思考の流れとしてはきわめて順当だと感じます。
要するに、おそらく率直にストレートに考えると、次の段階で「自立」というなら
「会社を離れて独立すること」
だという結論にならざるを得ないのです。
実際にするかどうかは別として、少なくとも理念的には
「自立するというのはつまり起業独立することなのだ」
……と、おそらく多くの人がそう考えていると思います。
そしてそれは同時に、多くの人が持つ
「成功」
のイメージとも合致するので難易度とかは別として気持ちの上では受け入れやすいのです。
自立とは「自力」であることか
ところが人によっては……もう少し突き詰めて考えようとするかもしれません。
たとえ起業してうまく行ったと仮定しても、それはやはり顧客とか取引先とかに依存しているじゃないかと考え始めるのです。
それに、直接的には関わらなくても地域の人々や社会制度、国とか行政とかに依存していることに変わりはないですよね?
おそらく、実際に起業している人ならまさに実感しているはずです。
むしろ会社に属していた時以上にいろいろな人や物に頼らなければやっていけないのです。
……こうなると、仮にこれらのものからも完全に自立するとなると、たとえば山奥か無人島にでも一人で行って、完全に自給自足の生活をするとかいう話になってしまいます。
しかし、です。
そもそも、たとえ一切の社会的、経済的、人的な関係を仮にすべて断ち切ったとしても……自然界から自立することなど不可能です。
食料に水に空気に依存しています。
物質に、植物に、他の生物に依存しています。
そもそも自分の肉体に、脳に、自分の思考や感情に依存しています。
「……悟りでも開くしかないのか?」
ってことになってしまうのです。
ただし、仮に悟りを開けたとしても、その瞬間まですでに多くのものに依存していたという事実は取り消せないのですが。
その悟りを開くに至るまでの時間に依存しました。
悟りを開けるのは、それまでだれかが、何かがあなたの生命を支えてくれたからですよね?
結局、悟りを開こうが人生について達観しようが、そもそも
「何かに依存している」
という事実からは逃れられないです。
自立なんて理想に過ぎないのか
このように、すべてのものを依存の対象としてとらえようとすれば、結局、自立なんて幻想に過ぎないということになってしまいます。
むしろ、自立して生きているなどと思い込むことは独りよがりな、傲慢な考えであって、現実的には、自立した生き方などというものはそもそも想定できないということになります。
……実は、以前は私もそのように考えていました。
幻想というのが良くないなら
「理想」
と言い換えても良いです。
ふつう人間には、常に自立願望と依存願望が共存しています。
また、そもそも人間は生まれてから成長する過程で必ず依存心を経験しなければなりません。
ふつうの意味で言えば、人生のスタートはまさに完全な依存状態でしかあり得ないからです。
そこから自立に向かって人生を歩んでゆくとイメージすると……まさに自立こそ人生の究極の理想みたいなイメージになります。
そして、結局、前で言ったような思考を辿れば現実的には絶対に「完全な自立」には辿り着くことがありません。
この考え方を採るならば自立というのはあくまで究極の理想であって、ほとんど神話みたいなものという結論にならざるを得ないのです。
自立とは戦略的依存である
冷静に考えると……成功を求めるならば、むしろその過程ではいろいろなものに依存しなければならない。
その時期、その瞬間に、いつもだれかに、何かに依存していることを素直に認めなければなりません。
「悪いけど、いったん依存させてください」
という感じです。
むしろ、何に対してどのように依存して行くのかという戦略が重要なのです。
ただし、実際に依存することは多くても、戦略的に依存するというからには単に「依存的」であってはならない、つまり
「甘ったれ」
てはダメなわけです。
成功したいならば結果に反応するのではなく
「可能性に対して期待する」
という思考を持たなければなりません。
それに関して私が大切だと思っているのは、もちろんよく指摘されるように
「すでに出た結果に執着しないこと」
「結果に対して感情的に反応するのをやめること」
といった点もあります。
しかし、戦略的依存という観点から言うともう一つ重要な点は
「そもそも可能性の高い対象に期待を集中するべき」
ということです。
裏返して言うと
「そもそも可能性のないことを期待していないか?」
ということ。
依存的な人は自分が望む結果だけに焦点を当ててしまう特徴があります。
そもそも可能性がないもの、あるいは、可能性がきわめて小さいものに対してむやみに期待してしまう。
言い換えれば、そもそも可能性がないことに執着し、望む結果が出ない(出るわけがない)のに反応し続ける……これでは本当に何の結果も得ることができません。
そうではなく、十分に可能性がある事柄について妥当な期待をするべきなのです。
そして、それを思考や行動に反映して、よりその可能性を高める。
……これが(言葉にすると当たり前ですけど)大事なポイントじゃないかと思うのです。
成功しない人は無意味なものに依存し続けているから何も変わらないのです。
自立するためには成功しなければならない
……よく考えてみると
「成功するためには自立的な人間にならなければならない」
というのは半分くらい嘘じゃないかと思うわけです。
むしろ、まず自分が今イメージしている通りの「成功」や「自己実現」といったものをある程度現実のものにしなければ、そもそも自立などというものを実感することはできません。
また、実際にその想定を現実のものにしなければ、その自立が自分の人生のいったい何に寄与したのかと振り返ることもできません。
この意味では、自立は成功の必要条件ではなくむしろ
「成功のほうが自立の条件」
なのではないでしょうか?
もちろん、まだ何にも成功していなくても何ら自己実現したという自覚はなくとも
「孤立」
することなら容易にできます。
というか……孤立を目指している限り、むしろ自立は遠ざかります。
真に自立しようと思ったら、それより先に成功あるいは自己実現と呼べる状態を経験しないと無理じゃないかと思うんですよね。