さてここで、私たちが日々触れている、外界からもたらされる雑多な情報の中から何をどういう基準で取捨選択したら良いのかという点を考えてみましょう。

原則、現代社会においては情報というのは大事に取っておくほど自らの負担を増やすことになります。

繰り返しますが、今は情報が多すぎることが問題になりやすいのです。

情報を用いる目的

するとやはり原則として、それを用いる目的がはっきりしている情報こそ最重要ということになるでしょう。

では、私たちは情報をいったい何に使っているかと……あらためて考え直すと、まず一つ目に

① 他者とのコミュニケーションの材料

としての情報の役割が想起されます。

いわゆるあいさつ代わりの雑談とかですね。あるいは今の時代ならばLineとかで日々やりとりされる会話など。

ただ、考えてみるとこれらのコミュニケーションというのは、どちらかというとコミュニケーションそのもののほうに意味があって、そこで交わされる内容というのはある意味何でもいいというか、それ自体が大きな意味を持つものではない場合が多いと思います。

コミュニケーションの目的は主に、互いの存在確認や都度の共感、仲間意識や所属意識の醸成ということのほうで、私たちは多くの場合、実はその情報について伝達したり、協議したりするために言っているのではないのです。

そこで用いられる情報というのは、比較的

中庸、中和的なもの
常識的なもの
短期的、フロー的なもの
複雑すぎないもの

……という傾向があります。

つまり、あえて言えば

「だれもが受け入れやい情報」
「使い捨ての情報」

が多くなるでしょう。

さて、これとはまったく別の面で、情報を用いる目的は二つ目に

② 思考の材料、あるいは手段

として必要だからです。

私たちが実際その取捨選択を意識するのは主にこちらの意味でです。

その際、それは今まで述べたように

「純粋な思考」

の流れに沿って考えれば必然的にその基準が見えてくることになるでしょう。

つまり

「認知」
「分析」
「選択」

……という思考の流れの3つの段階において使用される情報だけが必要で、極端に言うとそれ以外の情報はすべてその思考にとって不要なものとみなせることになります。

また前の記事で見たように、思考の発端となる「認知」に関係するのは

「気付き」

です。

ところが、一般に気付きであってもその結果として

① 行動の決定
② 内面の変化

のどちらかに達しなければそれは「思考のための思考」あるいは「思考遊戯」ということになります。

このように、情報が多すぎて困るという気がする場合には、思考の対象としない不要なものをどうやって排除するかということを検討するのが有効です。