抽象的思考の重要性について(一方ではその弊害について)は、昨今よく取り上げられます。

「抽象度の高い思考」

ってどういうことでしょうか?

抽象度に関する解説や、抽象度を上げるトレーニング方法はいろいろあると思います。

たとえば苫米地英人さんの抽象度に関する説明は非常に分かりやすいと思います。というか……そもそも「抽象度」という言葉が広く使われるようになったの自体が苫米地さんの影響が大きいですよね?

物事を階層的に考えるテクニック

ただ、

「抽象的な思考」

あるいは、しばしば

「抽象度が高い」

という言い方をしますが、これって、すでに体感的に理解している人にとっては別段気にならない表現ですが、慣れていない人にはまったくピンと来ない表現ですよね?

「まず抽象ってなんだよ!」

って言いたいですよね?

抽象とは

抽象とは、そのまま言うと

「事物または表象からある要素・側面・性質をぬきだして把握すること」

です。

ピンと来ないですね?

まず上で言っている

「ぬきだして」

というのはもっとわかりやすく言うと

「細かいところは気にしないでいい」

という意味です。

これを難しく言うと

「捨象」

と言います。

だから、抽象っていうのは分かりやすく言うと、細かいところをどんどん捨てていった結果それでも残っているものという意味なんです。

「抽象度が高い」

というのは捨象している部分がより多いということになります。

個別の細かい情報をどんどん削っていった結果として、それでも最後まで残っているものほど抽象度が高いということになります。

抽象的思考のコツ

で、ここからはあんまり本とかに書いてないコツなんですけど。

抽象的思考というのは、物事を「階層的に」見ないとまず訳わかんないです

要するに、抽象的思考というのは階層的な思考が前提なんですよ

階層関係についてよーく考えれば、抽象的な思考というのはどういうことなのか体得できるようになります。

ところがこの

「階層的思考」

というのがまた少し厄介で、これも分かりやすい解説がなかなか見つからないんですよね。

ということで私が勝手に解説してみます。

抽象度と階層的思考

よく、こういうの聞いたことがありますよね?

「人間→哺乳類→動物→生物」

っていうヤツです。

このような概念の関係を表すときには、それを

「階層構造」

とか

「階層的になっている」

とか、まあふつうはそう言うわけです。

ところが、これは別の言い方をすると学校の数学で習った

「集合」
「包含関係」

というヤツと一見同じですよね?

つまり、たいていの場合、こういうものを表そうとするときには包含関係として書いても階層的に書いても……まあ同じことなのです。

階層関係(階層構造)というのは形としては包含関係と同じことを表しているようにも思えます。

他の例で言います。

あなたがすでに社会人だとしたら、会社の組織図って見たことありますよね?

それはたいてい「ツリー図」で表されています。

ツリー構造というのは一般に階層構造を表すのに適した図と言われています。

だからこれは階層構造とも言えますが、実はそこに所属する人を要素として見るならこれを包含関係として表すことも可能です。

会社という「全体」の中で、あなたは絶対にどこかのグループ(部とか課とか)に属しているはずです。

そしてあなたはたぶん「〇〇部」に属しているし、同時にその下部組織である「〇〇課」にも属しているし、その下の「〇〇係」で、同時に「〇〇担当」かもしれません。

……というふうにあなたはどこかに属していますが、それは大きなグループの中にある小さなグループの、そのまた……というふうになっているので、これはまさに包含関係でしょう?

だから、ある集合が別の集合を完全に含む関係を表すときに

「含まれる」

というのは

「階層をなしている」

というのとある意味同じ事です。

だからふつうは包含関係と階層関係は意味的に同じだと考えることが多いです。

包含関係と階層的思考は同じか?

すでに述べたように、包含関係を用いた思考の方法と、一方で階層構造を念頭に置いた思考の仕方とは共通するところもあります。

でも……何か違和感がありませんか

最初の話に戻りますけど……

「抽象度が高い、低い」

という言い方が……これだけだとあまりピンとこないような気がしませんか?

だって、最初の出した例ですが

「人間→哺乳類→動物→生物」

というのは理解できるとしても、じゃあ、

「人間よりも哺乳類のほうが抽象度が高い」

……って言って、それ何か意味あります?

「……だから何?」

って感じがしません?

「抽象度」の意味

そこであらためて思うのですが……実は包含関係と階層関係は構造は共通しているのですが意味的に大きな違いがあります

ここにピンと来るかどうかが抽象的思考が得意な人と苦手な人の決定的な「差」だと思うのです。

その違いというのは端的に言って

「扱っている内容を実体と見ているか」
「それとも概念と見ているか」

という違いです。

これはあらためてよく考えるとそのままなんですけど、そもそも

「抽象度」

というのは

「抽象的な概念どうしの比較」

の話をしているのであって、扱う対象を単に実体として見ている限りにおいては結局は意味がよく分かりません。

「実体」というのは分かりやすく言えば単なる「物」のことです。あるいは多くの物の分類や集合を扱うということです。

物そのものに「抽象度」を持ち込んでみても結局意味がよく分かりません。

……意味が分からないというより、本当は

「実体として見る場合には、そもそも抽象度という基準に意味がない」

……って言ったほうが近いです。

そもそも抽象度というのは抽象的な概念において初めて意味を持つ「度合い」だからです。

……だから

「人間と哺乳類と、どちらが抽象度が高い?」

というように、いわば集合問題の典型例みたいな例を出されるとどうしても違和感があるわけです。

だって、人間とか哺乳類とかって言われれば……ふつう私たちはそれを抽象的概念としてではなくて、真っ先に個々の実体のことをイメージするから。

包含関係というのは中に含まれているそれぞれの要素が実体として明確である場合に、それを分類し整理するのに適した方法です。

要するにそれは「集合」なのです。

所得層とか社会的な階級などを表したピラミッド型の図も、一般的に言えば「階層図」と呼ばれるのですが、その中の要素(つまり属している人)を実体として分類するという側面から見るとあくまで

「集合」

です。

ただ、もちろんそれぞれの人々の集団を概念と見て語ることも可能なわけで、たとえばいわゆる

「上流階級」
「中流階級」
「それ以下」

というふうに分類したとして、その言い方を概念として語り始めると話が変わってくるわけです

私たちがたとえば

「上流階級の人はそんなことしない」

とか

「そんな考え方をしているのは中流意識の表れだ」

とか……そういう話をしたいときにはすでにそれを「抽象的な概念」として話しているのです。

抽象は主観

もっと抽象的な話をすると……たとえば前に書いた記事の例ですが、自分の関心事や目的意識などを「概念として整理する場合」に、

って書いてみたとします。

これって、いわば非常に主観的な、単なる概念の関係性を抽象的に整理したものであって、たとえ自分にとってはそうであっても、そんなの個人によってぜんぜん変わってきますよね?

それに、このような図をかいてみたところで、そこに個別の要素を正確に配置することは本当はできません。

主観的には当てはめることができるとしても、それはあくまで自分自身の認識がそうだというだけです。

それは実体じゃなくて概念を扱っているからなのです。

たとえば

「英会話を習う」

ということを上の図のどこかに位置付けることは形としては可能です。

あなたにとって、それは仕事上のスキルアップかもしれないし、成功に近付くための手段かもしれないし、あなた自身の労働観や人生観を変えるきっかけにしようと思ってやっているのかもしれません。

だから

「この行為はここに含まれるよな……」

と考えることは可能です。

でもそれは主観です。

そもそも抽象的な考えを整理したいと考えて上のような図を作った場合、それによってあえて何か具体的な要素の分類をしようとすればそれはほとんど本人の主観次第ということになります。

この図はそもそも「実体」を扱おうとするものではないからです。もちろんMECE的でもないし、そもそも具体的な要素を分類するためにあるわけじゃないんですよね?

主観と概念

でも、これはある意味、あなたという個人が何部に属していて同時に株式会社〇〇の社員であるという場合でも同じです。

要するに、一見すると「実体」と言えるようなものでも、主観的にそれを概念化していれば概念として扱うこともできるからです。

あなたは当然あなた自身を自明の実体と信じているから、同時にすべての階層に「実体として」属していると当然のように思うと思いますけど……。

でも日常の会社での仕事の場面を思い出してください。

あなたはたとえば日常の業務をしているときには〇〇担当としての責任を果たしているに過ぎず、その上位の〇〇部全体のことなんか

「知ったこっちゃねえ!」

と思っているかもしれません。

他の部署ならなおのこと、

「俺には関係ねえ」

って、ね。

でも、いざという場面になると今度は急に

「私は、株式会社〇〇の一員として」

なんてことを口走ることもあったりするわけです。

その時あなたが言っている株式会社〇〇には、当然他の部署も含まれています。

……このように、あなたは少なくとも主観の世界の中ではその時の都合でどこかの階層だけに重点を置いて考えたり話したりしているでしょう?

これはあなたの主観として「部」とか「課」とかを考えている場合には、そうなるわけです。

でも、それは置いといて、実体としては会社に属する各社員がすべてきちんとした組織上の分類に従って配置されている……ということも当然分かっていますよね?

つまりこのように、すべての物事はその時の都合で「実体」として扱うこともできるし「概念」として扱うこともできます。

あらかじめどちらかに区別すべきものというわけでもなく、それは今あなたが思考しようとする都合によって都度決まるに過ぎないということです。

階層的思考に慣れよう

ざっくり分けると階層図というのは抽象的な概念を自分なりに整理したり、体系的に把握しようとしたりする場合に意味があるもので、具体的な要素はいわば後付けになります

それに対して、包含関係というのは先にたくさんの具体的な要素が実体としてすでに見えていて、それをうまく分類したり整理したいというような時に意味があるものなのです。

抽象的な思考とか抽象度の高い概念といった言い方がピンとくるようになるには、自分が今そのことを

「実体として見ているか」
「概念として考えたいのか」

を明確にすることがコツです。

MECEとは

ちなみに

「MECE(ミッシー)」

というのは、モレがなく、ダブりもないという状態を指す語です。

「完全な全体集合」

とも言いますが、これは見方を変えると、その中に存在する要素どうしは孤立しているということを意味します。

別の言い方をすると、全体を単純な1つ(あるいは平面で表す場合なら2つ)の基準によって整列させるといういことで、それ以外の、各要素の間にある関係性や特徴や共通性などを無視する、という意味にもとれます。

MECEを優先すべき場合であれば、たとえば

「生き物」

というリストがあるとして、その中に

「動物、魚、鳥、虫、家畜……」

って、なってたらMECEじゃないですよね?

「家畜」という語だけが他と別の基準を持つ言葉だからですね。

そう言えば、数学で習ったように、2つの直線がねじれの関係にあると平面が特定できないです。

もし何かを精密に分類しようとして並べていったときに、同じ「全体」の中に包含関係らしきものが見出されるものが並べられているとしたら、どこかに

「思考のねじれ」

があると疑ったほうがいいということになります。

まあ、これは理屈の上でのことなのでふだんは別にそんなこと気にする意味もあまりないかもしれませんが、何かをじっくり緻密に考えたいときに思い出してください。

時々、この点でよく整理されていない図表を見かけることがありますよね?

たとえば同じような趣旨の項目名が何度も出てきたりとか。配置や順番に整合性がなかったり、前提的なテーマと、より詳細な項目が混じって並べられていたりします。

もちろん説明の便宜上そのような配置にしてあるという場合もあるでしょう。それは自分が思考するためではなくて、思考した結果を他人にも分かりやすく表示するために必要だからでしょう。

けれども、本人の思考や意図がはっきりしないために単にデータを羅列すると往々にしてそのような形になってしまいがちです。

それでも見た目がきちんと整っていると自分では気が付かなかったりします。

……で、一応言っておきたいのですが、そもそも実体を扱っていないわけですから 厳密には抽象的な思考の場合に「MECE」は関係ありません。

時々、抽象的なテーマなのに

「MECEを意識して」

とか言ってる時があるのですが、違和感があります。

別にいいんですけど……。

抽象度を上げるトレーニング2つ

以上の通り、まず抽象的思考に慣れるには物事を「階層」という視点で切り分けていく思考に慣れることが第一です。

その上で、思考の

「抽象度を上げる」

という点についてトレーニングしたいという場合、典型的な方法として次の2つがやりやすいです。

① 視野を広げる

今自分が考えている抽象的思考の全体が、本当の全体ではないということを意識してください。

あなたが今認識しているその「全体」とは、必ずそれを含むもっと大きな視点から見た場合の

「一部に過ぎない」

ということを忘れてはいけません。

「……では、それをも含む全体とはいったい何なのか?」

と、それを思考すること、すなわち

「抽象度を上げるということ」

につながります。

そしてもう一つ。

これは日頃から簡単にできる一種の遊びですが……

② 共通性を見つける

何か適当に思い浮かんだことでいいです。

2つのものの

「共通点を見つける」

ことが抽象度を上げる練習になります。

……実はこの遊び(思考遊戯)は、おそらくだれもが幼い頃にはごくふつうに行っていたはずです。

大人になるにつれていつの間にか忘れた一種の「遊び」です。

単純に言えば、抽象的思考とはその山のふもとから見た場合には共通点を探し当てる遊びに過ぎません

……こういう思考の遊びを日常的に繰り返していると、抽象的思考ってごく自然なものになってきます。