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小説、論説、ブログの記事などもそうですが……今までコンスタントに書くことができていたのに、突然書けなくなってしまうことがあります。
「一時的にモチベーションが下がったのかな?」
「よくあるスランプというやつだろう」
……と、しばらく様子を見てみるだけで自然治癒する場合もありますが、いっこうにその兆しが見えないまま焦りを感じるときもありますね。
一般的なスランプ解消法は前にも書いたのですが、今日は特に
「書けなくなる」
という症状について思いついたことがあるのでこの際書きとめておこうと思います。
書けない病を克服するには?
さて、今ここで問題にしているのはいわゆる
「文章力」
「文章術」
というようなことではありません。
また、もともと文章を書くのが苦手な人が、どうしたら苦手意識を克服してストレスなくものを書くことができるようになるか……という場合ともちょっと違います。
共通する部分もあるかもしれませんが、今主要な問題は、もともとふつうに抵抗なく書き物ができていた人が、なぜか急に
「書く気がしなくなったり」
「書こうと力んでもなかなか書けなかったり」
する場合のことです。
むしろそもそもは物を書くことを得意としている人とか、または小説家や評論家や、最近ならライターとかブロガーとか、文章を書くことを仕事としているような人。
そういう人が時に陥る、いわゆる
「書けない病」
のことです。
書けない病に対処する方法
もちろん、いろいろなアプローチの仕方があると思います。
たとえば
「過去の先入観を捨ててみる」
「新しい技法を取り入れてみる」
とか
「他人の意見や評価を気にせず思い通りに書いてみる」
とか
「しばらくものを書くことから離れてみる」
なんていうのも有力ですね。有名作家でも、一時期まったく書く気がなくなって……引退かと思ったら何かのきっかけでまた創作活動を始めました、なんて時々そんな話も聞きます。
ただ、これらのスランプ脱出法というのは、具体的な方法論というよりどちらかというと精神論、抽象論に近い面があって、即効性に欠けますよね?
なので私はもう少しテクニカルな(?)方法を試してみたいと思います。
文章を書くとはどういうことか?
そもそも文章を書くというのはどういうことかをあらためて意識的に考えてみることをおすすめします。
と言っても……たとえば
「物を書くということの本質は何か?」
とか
「小説とはなんぞや?」
「文章とは? 言葉とは?」
「私は何のために物を書いているのか?」
というようなことを考えるわけではありません。
……たしかにそれはそれで有意義な面もあるでしょう。
むしろもともと文章のうまい人ほど自分流の手法や思想のこだわりがあるはずです。
何というか、ただ書けるものを量産するというだけではなくて、いわば
「道を究める」
みたいな感覚も同時に持っていたりする。要するに、内容的な問題に入れば個別具体的な世界になってしまうので、有意義であるとしてもここで総論的なことを挙げる意味があまりなくなってしまうような気がします。
なので、ある意味きわめて形式的な意味で
「文章を書く」
という行為を観察してみます。
「文章を書く」とは?
感覚として言えば、もともと文章を書くのが好きだというタイプの人や、自分にはある程度文章力や国語力があると自負している人のほうが、文章を書くという行為を総合的な一つの流れとして捉えているように思われます。
かんたんに言うと、文章が得意な人ほど細かい書く手順とか構成方法といったものをいちいち考えたり確認したりすることなく
「さらさら~っと書き連ねていく」
傾向があると思うわけです。
もちろん、それは熟練によって身に付いたもので、通常の状態ならそれで構わない、というかそのほうが望ましいわけですが……ひとたび
「書けない病」
を患ってしまうと急にそれが不可能になります。
そこで、そんな時こそ、ふだんはほとんど意識することもないと思いますが、文章を書くという行為の細かい中身、その一つひとつの手順というか進捗のあり方というようなものを逐一確認していくのが解決になるのではないかと思います。
文章は「言葉を積み上げるもの」と考えてみる
ごく形式的な面から見ると、文章というのは言葉の連続したものです。
言い換えると、文章がうまいというのは結局は言葉の組み合わせ方がうまいということです。
で、一般的に言えば文章は言葉をつらつらと
「書き連ねる」
「綴る」
というのがイメージ的に近いかもしれません。
「流れるように書く」
とか。
でも、いったんそのイメージを却下して、ここでは文章というものを、文、命題、あるいは言葉を
「積み上げていくもの」
というふうに考えてみることにしましょう。
すると、ここでは文章を書くという行為は次のような作業の総体だということになります。
① 「言葉にする」ことから始まる
まず、一通りのまとまった「文章」という以前の、個々の考え、発想の欠片みたいなものが出てくるところから始まります。
ちょっとした思い付き、最低単位としてのある「考え」のようなものとか、新たに知った一つの情報や知見。
これは言語的な単位で必ずひとつの文でなければならないとか、何文字以上何文字未満とか、そういう形式的な縛りはあまり気にせずに、ざっくり「考え」と呼べる程度にまとまったものであれば良いので、これをたとえば「Piece」とでも呼んでみましょうか。
積み上げるという観点で言うと、ひとつのまとまった文章というのはこのようなPieceの寄せ集めにすぎません。
逆に言うと、まずPieceがいくつか現れないことには文章というのは書けません。
そして、当たり前かもしれませんけど、このPieceというのは必ず「言葉」で表されていなければなりません。いくつかの文によって表される、内容を持った言葉です。
最初から言葉や文字で伝えられる情報や概念ならほぼそのままでひとつのPieceと見て構わないのですが、たとえば、その時々に現れた心象や感情、またはイメージとか感覚に近いもの……こういったものを含めるにはそれらを瞬間的に言語化することがまず必要です。
それは明確に論理的な意味を持ったものでなくても、たとえばきわめて散文的な形のものでも場合によっては構いません。しかし、いずれにしろ言語によって表されたPieceしか、文章を構成できませんので
「瞬時に言語化する」
ことが文章力のベースとなると言えます。
② Pieceを複数寄せ集めることが大事
一定のまとまった文章を作るにはいくつか、ある程度の数のPieceが必要です。
著作物や創作の場合なら100単位のPieceが、またはたとえばブログ記事などでも、おそらく最低でも10くらいの数のPieceが組み合わされて初めて一応の「文章」とみなされることになるのだと思います。
そうなると必然ですが、時々に現れてくる、浮かんでくるPieceを意識的に
「ストック」
しておく必要が生じます。
私たちはふつうある程度の文章なら意識しなくても、その時に頭に浮かぶ概念や思考のPeaceを適時うまく順番にアウトプットすることで、あたかも今考えたかのようにものを書いていくのですが、書くことを生業としている人なら自然に脳内にたまったPeaceだけでは圧倒的に不足してしまうのが分かっているから、自分なりのストック方法、記録技術などを練っているものです。
といっても、実践的にはそんなに難しいことではなく、 単純ですがメモや手帳を常に携帯するというのが王道でしょう。 あるいは最近ならば便利なアプリのサービスも出ていますね。
③ 枠組みに当てはめる
Pieceは単純にランダムにつなげていくだけで有意な文章が出来上がるというわけではありません。
もちろん、いわゆる主題とか、構成といったものを別途準備しないといけません。
小説など創作の分野で言えば、個々のシーンや台詞、描写といったものとは別に、そもそもキャラ設定とか大枠のストーリとかを用意してからでないとうまく書き切れないということになります。
ただし、ある意味盲点というか、逆に言っていつでも
「先に枠組みありき」
で考え始めるというわけでもなくて、たとえば自分が蓄積したPeaceの集合から帰納的に何らかの主題や全体の構成などが浮かんでくるという流れも十分あり得るという点に留意する必要はあると思います。
特に今言っている
「書けない病」
に対する場合、この観点は意外に大事なところかもしれません。
いずれにしろ、あらためてその文章全体についての枠組みを設定します。
その「型」のそれぞれ適切な場所に、当てはまるPeaceを流し込むようなイメージです。
こうして文章の骨格ができます。
④ 文体(口調)を決める
その文章に統一的に用いる文体を決定します。文体というのはいわば著者特有の口調のようなもので、ある程度経験を重ねていくと個性が発揮されるようになります。
テクニック的なことは学ぶことも可能ですが、長期的に見ると細かい点はさておき結局のところ本人にとっての自然体というか、いわゆる
「自分の言葉で書けるようになる」
状態が一応のゴールと言えるかもしれません。
そしてここまでくると、だいたいもう「書くこと」自体に苦手意識を持つようなことはほとんど意味がなくなります。つまり、日常他人と話をしているのとほぼ同じような感覚でものを書くことができるようになっていると思います。
言い換えれば、物を「しゃべる」のと「書く」のが、本人にとってほぼ同じくらいの負荷にしか感じなくなっているということですね。
……そこで、ですが。
むしろすでにそういう感覚になっている人こそ、
「書けない病」
になった際、今まで言ったような個々の手順のことが頭にないから、妙な方向に考えてしまったり深みに入りすぎたりして症状を悪化させてしまうのではないかと。
ですからそういう時こそ、あらためて思い出したら良いのです。
文章というのはもともとが
① 言葉にする
② Pieceを寄せ集める
③ 枠組みに当てはめる
という
「積み上げ」
によって成り立っている行為だということを。
そうすれば、自分がやっている「書く」という行為を少し距離を置いてみられるようになります。そして、次のその一回、文章を書くということをごく意識的に成功させることで、いわゆる「書けない病」を克服するという方法論になります。
蛇足になりますが……これは一時的なスランプ脱出法としても効果があると思いますが、同時に自分の文章力を向上するとか、アウトプット量を確保するといった課題を考える上でも有効な視点となり得ます。
たとえば、多くの人は
「文章力を向上する」
と考えた場合、思索を深める、表現力や描写力を磨く、人間の心理に精通する……というような側面から質を高める努力をするべきだと考えたりしますが、一方では単に
① 言葉にする
② PIECEを寄せ集める
③ 枠組みに当てはめる
といういわば現実的な行為の質や量を上げる必要はないのかと疑ってみることも有効だと思います。

