過去から現在まで、多くの成功法則本、成功哲学のプログラムが紹介されていますが、その多くに共通して指摘されている点として
「自分の目標を紙に書く」
というのがあります。
紙に書いたら、それを常に見える場所に貼れとか、いつも携帯しておけとか。
あるいは、それを使ってイメージングやアファメーションを定期的に行えとか、それはいろいろバリエーションがありますが、とにかく最初の第一歩として
「目標を紙に書くこと」
が必須であるという点は、多くの自己啓発本で共通しています。
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多くの人が、目標を紙に書かないのはなぜか?
ところが、どの成功法則や自己啓発などでも、まず目標を紙に書いてくださいと異口同音に言っているのに、多くの人が実際にはそれを実行しないのです。
と言ってますが……実は、私自身も何度かやりかけて、結局続かなかった経験があります(笑)
で、もちろんその理由はさまざまに挙げられると思います。
そもそもそんな成功法則なんて信じていないし。
読んではみたけど十分納得いかないから。
単に面倒くさい。時間がない。いつの間にか忘れている……。
あるいは、書いてみようとペンを手にしてはみたものの、目標や願望が具体的に何も思い浮かばなかったなんて人もいると思います。
ただこういう理由である場合は、これらはあなたはそもそも現段階で紙に書く必要性が生じていないという意味ですね。
すると、こういう場合には何かさらに別のアプローチが必要になるでしょう。
でも、中にはこういう人も少なくないような気がします。
やりたい気持ちはあって、実際に願望や目標らしきものも思い浮かんでいる。やろうとしてみたんだけど……なぜか強い抵抗感がある。
この場合はですね。
ある意味単純なことではあるのですが、あなたはこう思っていませんか?
「目標を紙に書くのは、なんとなく恥ずかしい。照れくさい」
あるいは、
「それを他人に見られたくない!」
って。
実は、私がずっとそうだったんですよ。
目標を明確にすること。それを紙に書いて、何度も確認したり、思考の中心にそれをいつも置いておくようにすること……それは非常に有効なやり方だと自分でも思ってはいるのです。
文字としてはっきり書くことで自分の中にある思いが明確になる。それを反芻することでさらに新たな発想や、自分のより深い感情や欲求に気が付いたりもするはず……。
でも、実際にそれをノートやメモ紙に書けば、それは形として残ることになる。
つまり明確にそれと向き合わざるをえない状態になってしまう。
それに、持ち歩いていれば、ふとした拍子にだれかに見られるかもしれない。その辺に置き忘れたり、落としたりしたら最悪。
あるいは、自分自身がいつでも目の届くところにそれを貼っておくということは当然、同居している家族や、自宅に招いた知人などにもそれを見られることになります。
「それはちょっと……なんか困る」
と躊躇する気持ちがいつも先に立つのです。
私の場合、その気持ちが強かったので、貼っておくどころか「紙に書くこと」それ自体にかなり強い抵抗がありました。
自分は絶対にだれにも見せるつもりはなくても、現実に書いたものは、他人に絶対見られないという保証などないですから。
紙に書いたら最後……いずれはだれかに知られることになるのではないかと、勝手に先回りして、そんな心配ばかりしていました。
自分でもおかしいのですが。
しかし、皆さんの中にも同じような感覚を持っている人がいるかもしれません。このような
「恥ずかしさ」
「後ろめたさ」
みたいな抵抗感は、人によってはかなり強いように思います。
自分だけが確実に見られる方法?
それで、最初私はどうしたかというと……。
今考えると、我ながら小賢しい、的外れな考えだったと思うのですけれども、何とかして
「自分だけが常に見れるけど、他人は絶対に見れないような状態」
を編み出そうと必死になっていました(笑)
たとえば、あからさまに「目標ノート」みたいなものを作って都度書き込んでいると、
「何それ?」
とだれかに興味本位に聞かれる可能性がある。なので
① まったく関連のない「仕事用」みたいなノートを作り、その特定のページだけを使って書いておく
という方法を考えてみました。
もちろん、書き込むのは周囲にだれもいない時のみです。
ところが、これだと自分もほとんど見なくなってしまうので、いつしかカバンに入れっぱなしで忘れているという……。
あるいは、
② 財布にメモ紙を挟んでおく
いつも目に付く場所にないと結局見なくなってしまうから……と思って始めてはみたものの、しかしこれも一週間もたたずやめていました。
だって妻が洗濯や身の回りの整理などをしている際に発見される可能性があります。第一、財布に入っているとは分かっていても、それ自体を見る頻度がだんだん減っていき……。
とにかくまず、自分自身は気軽に何度もそれを見る機会を持つことが必要です。そこで今度は私は
③ いったん書いたものをスクショ(携帯電話のカメラで撮る)して、データとして保存する
という方法を考案しました(笑)
これなら、その辺に置き忘れたり、紛失したりする心配もないし、自分はいつでも確認できるはずです。
しかし……家族などが絶対に私の携帯電話を見ないという保証はない。
一番困ったのは、息子が時々、私の携帯に入っている写真や動画を見たがることです。主には自分(息子)自身が映っているから見たがるわけですが……ダメとは言えないので、息子に携帯を預けて自由に見させるのですが……。
たとえばもし、たまたま見て
「パパ、これ何?」
などと尋ねてきたら何か答えざるを得ないです。そこには当然、そばでそのやりとりを聞いている妻もいるわけで。
……私は別に不貞を働いているわけでもないのに、そのたびに内心で勝手にびくびくするような感覚が湧きました(笑)
そんなこんなで、私は今まで何度も試行錯誤して、それを実行しては見たのですが、結果的には試してはやめ、試してはやめ……を繰り返していたわけです。
これがすでにメンタルブロックだったと気が付く
それで、だいぶ後になってからの話ですが……私はこう思うようになってきました。
実は、目標なり自分の願望なりを「紙に書く」ことのメリットというのは、それ自体が成功や達成のための有効であるという面よりも、それ以前に
「そのようにして、目標をはっきり紙に書けるということ自体が、ひとつの目標であり、成功の条件なのではないか?」
というね。
多くの人が、成功本を読んでも、自己啓発セミナーに通っても、それを活かして実際に目標達成や願望実現を果たすことができないと言われています。
それは、まず多くの人が学んだことをその通りに実行しないからです……とよく言われますよね?
しかし、仮に自分の意思で「実行しない」のであればともかく、実際には多くの人は(たとえば上記のような一見どうでもいいような面にこだわるあまり)、いわば
「実行しようとしても、できない」
ような感覚に縛られてしまうのではないかと。
なぜなら……それはやはりメンタルブロックがあるからなのです。
ちなみに、この手の成功法則や自己啓発の知識がある人なら当然
「メンタルブロック」
という言葉は知っているでしょうし、それがどういうもので、どんな影響があると言われているのかもだいたいご存じかと思います。
しかし、たとえばの話、こうして、目標を紙に書くということ(これも、この手の知識のある人にとってはイロハのイみたいなことですよね)……そんなことからして「すでに」強力なメンタルブロックが働いているんだなあ、ということなのです。
で、そこを見ないようにして、その部分だけをうまいこと回避して(ということはイコール、学んだ内容を自分に都合の良いように曲解したり、デフォルメしたりして)進めようとするから……。
「ほとんどの人は、学んだことを実行しない」
という結果になっているんじゃないかなと。
目標を紙に書くには?
今だと、私は文字通り「目標は紙に書く」ようにしています。
それとは別にスマホやパソコンからも閲覧、入力や編集ができるようにもしています。
つまり、前にはできなかった方法も含めて、思い付いた方法はなるべく全部取り入れるようにしています。
実際に入力や編集をすることを考えると、今ではパソコンを使ったほうが圧倒的に便利なので、それはそれで利用しています。
むしろ、ノートに手書きするというのは、あえてそうするために定期的に時間を取って行っている感じです。
まあ、ツールや方法論はあまり問題ではありません。
そもそもなぜ「目標を明確に紙に書くこと」に抵抗を持つのか?
その「気恥ずかしさ」や「後ろめたさ」というのが、いったいどこから出てくるのか?
と考えると、たぶん多くはこんな理由です。
① 自分の目標が、他人に言えないようなものだから
多くの場合、最初に「自分が感じるそのままの欲望や願望」を挙げようとすると、その中には必ず
「他人に公言できないようなこと」
「通常、社会的に認められないこと」
が含まれてきます。
ここで具体的には書きませんが、多くの人にとって、それは「性的な事柄」か「極端に利己的な事柄」のどちらかでしょう。
もちろん、それ自体は至極当然のことです。
ただ、やはり「それをそのまま書く」のは気が引けるという人も多いでしょう?
でも、その本音から目を背けて、いわゆる「きれいごと」だけを書くのは意味がありません。
素直に心に浮かんだのを、理性や常識で「抑圧」しないでください。というか、抑圧しても意味がありません。
しかし、ここが考え所なのですが……だからと言ってそれをそのまま書いておくのも実はほとんど意味がないのです。
もちろん、そんな原始的な欲求みたいなものが、そのままかんたんに実現するようなことはほぼあり得ません。
なぜなら、あなた自身がすでにそれに対する「後ろめたさ」を自覚しているのだから。
言い換えると、それは最初からメンタルブロックとセットになっている欲望だから。
ですから結局、それをそのまんま紙に書いたところで実現しません。というか、それがそのまま実現してしまったら、他のだれかに迷惑です。それを自分でも分かっているから書きにくいのだし、実現させようという意思や意欲も出てきません。だから(いくら成功法則とかを読んだところで)どうせそのままの形では実現などしないわけです。
……じゃあ、いったいどうしろというのか、ですよね?
その場合、ある意味当たり前なんですが。
もし、後ろめたいような目標や願望が自覚されているのだったら、それを
「昇華」
するか、もしくは
「抽象化」
してください。
そうなるまで何度も書き直せばいいのです。
そもそも、1回書いてそれで終わり……というやり方では、どの道あまり効果はないのです。
そして、結果的にはそのほうが、よりあなたの望みに近い形で実現されることになります。多くの成功法則や成功哲学というものが示唆するところに沿って考えて見ても、実はそのほうが本来的ですし、実効性も高いのだろうと私は思います。
【視野を広げ、願望を昇華するためのヒント】
【抽象度の高い思考って何?】
すぐにはうまくできないかもしれません。
他人に公言できない(とあなたが思ってしまうような)欲求ほど、あなたの心を強く捉えて離さないのかもしれません。しかし、少なくとも身近な人には打ち明けられる程度の形になるまでは意識して何度も考え、温め続けるのが有効です。
イメージング、アファメーションによって昇華するという手もあります。アファメーションとか言うものは、たいてい
「すでに決まっている目標や願望を実現するためのもの」
として紹介されることが多いですが、実はそもそも自分の目標や目的意識自体を定める段階でも有効に利用できるものだと私は思っています。
次に、
② 家族や身近な人が持っている自分に対するイメージを壊したくない
という心理が働いている場合があります。
要するに、周囲にいる人たちは、おそらく多かれ少なかれ
「あなたという人は、こういう人だ」
というイメージを持っていて、その前提で今の関係が成り立っているのだし、当然そうだと思って日々接しているはずですね。
それを、そのイメージとぜんぜん違うことをいきなり始めたら、受け入れてもらえないかもしれません。
あなたがいきなり自分の目標などを紙に書いて、部屋のあちこちに貼り始めたら
「どうかしてしまったの?」
「変な宗教でも入ったの?」
とか……とにかく強い違和感、抵抗感を示す可能性がある(とあなた自身が思い込んでいる)ことがあります。
あるいは、
「また、しょうもないことを始めちゃって」
「放っておけば、どうせそのうち元に戻るから」
というふうに、あなたが努力したところでどうせ変化しないみたいなことを言うかもしれませんが、それも結局は
「あなたに変わってほしくない」
という心理の反映であることがあります。
いずれにしろ……当のあなたは、
「そうか……みんながそんなに変化を嫌がるのなら、今のままでいてあげよう」
と思うのであれば、それは、そもそも目標とか願望とかを、紙に書くどころか思い浮かべる必要性すらないということになります。
周囲の大切な人々が期待している通り、そのままの状態で暮らして生き続けることが、あなたの本当の目標なのですから。
でも、もし違うというなら、その場合は単純に率直に言えば、
「目標を実現しようとし始めた、あなたのほうが正」
なのであって、
「それを阻止しようとする他人や、それを気にするあなたの迷いや心配のほうが誤」
であるというのは、理屈でははっきりしていますよね?
つまり、それ自体があなたを強力に束縛しているメンタルブロックなのです。それを打破し克服するためには、やはり目標や願望を紙に書かなければなりません。
もうひとつ挙げます。
③ 結局それによって目標や願望が実現するという確信がない
要するに、自分自身がそれに対して半信半疑だからです。
と言っても、だからといって無理やり盲信しようとしても無駄です。
それよりも……私が思うのは
「半信半疑だったら、やっちゃいけないのか?」
ということです。
自分の中で、たしかに多少(または大部分)疑う気持ちや迷いがあったとしても、
「目標を紙に書く」
というようなごく単純な作業くらい、できるはずです。
やってみないと先に進まないし、結果も分からないです。
確信することもできないし、やっぱり嘘だと見切ることもできない。
そこで保留しておく意味がまったくないのです。
そして、もしかするとまったく無意味な、不毛な行為かもしれないと思うから、そんなことに取り組んでいる自分のことを、周囲の人はどう見るだろうか? ……という余計な心配が心を占める。
確実な行為以外、やったらダメなのかと。あなたの周囲の人々は、常に確実な、証明済みの行動しかしないのですか?
そんな凝り固まった、保守的な考え方や行動ばかりする人々に囲まれているのですか?
「結果は分からんけど、可能性があるらしいから、とりあえずやってみる」
それをダメだとか意味ないとか、変だとか可笑しいとか言うなら、その人のほうがおかしいのであって、それは
「その人たちにも強力なメンタルブロックがある」
ということに過ぎません。
そういう、周囲の人が持っているメンタルブロックがまるで伝染するように自分自身のメンタルブロックにも大きく影響している場合があります。
……しかし、安心してください。たいていの場合、あなた自身が勝手に想像しているだけで、そもそも身近の大切な人間に対して、あからさまにそんな反応をしてくるような「変わった人」なんて、本当はほとんどいないですから。
AmazonPrime(30日間試用あり)なら映画、音楽、Kindle本から対象作品が無料で利用できますよ。
あなたの成功はいったいだれのためなのか?
私の場合は仕事上の都合もあるので、もちろん自身が成功法則とか自己啓発的な情報が大好きな人間だということをだれにでも公言することができます。
いまだに自己啓発という言葉に免疫がない人もたくさんいますけど、私はそんな時はあえて
「自己啓発なんて今時当たり前じゃないの?」
「知らなくて大丈夫なの?」
という雰囲気を醸し出してやります(笑)
でも一般的に考えれば、別にあまり親しくもない、特に関係のない一般の他人にまでいちいち好んでそんなことを発表する必要はないかもしれません。
ただし、個人的に思うのですが……少なくとも家族や、近しい友人など、あなた自身がこれからも積極的に関わっていこうと思っている相手にはですね。
あなたが自分なりに明確な目標を持っていることや、それを紙に書いていることや、あるいはいつもそれを使ってイメージングやアファメーションを行う習慣付けをしたり、その実現に向けて努力していることなどを、
「知られたからって何の問題があるのでしょう?」
まあ、わざわざ堅苦しく発表しなくてもいいかもしれません。それなりのタイミングでいいわけですけど。
でも、そもそも必死に隠しておかなければならない理由っていったい何でしょうか?
あなたは、どうしてそれを、こそこそ隠れながら実行しなければならないのか。
……と、よく考えてみてください。
なぜなら、結果がどうあろうと、あなたが自己実現するとか、成功するとか、自分が立てた目標を自分で達成するという幸運に恵まれるとか……そういうことって、単にあなただけの問題じゃなくてあなたに関係する人すべてにとっても喜ばしいことであり、彼らも望んでいることであるはずです。
私に言わせれば、むしろ
「お前らもいっしょにやれ!」
って言いたいくらいですよ。
あなた自身の成功は、あなたを取り巻く多くの人たちにとっても成功なんですから。
もちろんですね……何十万円もする自己啓発セミナーに何度も参加するとか、そういう場合には家計の問題とか、お金の使い方の感覚の話とか、違う論点が出てくるので、それは相談しておいたほうがいいでしょうけど。
ただね、単に市販の本を買って読んだり、それに従って目標設定したり、紙に書いて貼ったりするくらい、別に何の影響もないじゃないですか?
少なくとも、あなたがそのように真摯に努力している姿を見て、少なくとも批判したり嘲笑したり、ムダなことはやめろとか、もっと他にやることがあるだろとか、あなたが自分の望む自分になることを許さないとか、そんなことを言って抑圧したり支配しようとしたりする権利はだれにもない。
……仮にそういう人が周囲にいると感じる場合、そういう反応をする可能性がある特定の関係者が思い浮かんでしまうという場合。
まずそれを解決することが、あなたが成功するための第一の条件であるともいえます。
それを解消して初めて、あなたは堂々と
「自分の目標を紙に書く」
ことができるわけです。
あなたが成功することは、あなたの家族や関係者全員にとっての成功でもあります。
あなたが自己実現を果たすことは、あなたの家族や関係者全員にとっての幸福でもあるのです。