財布を見る人

ケチな人は、一般に嫌われるものです。

また、その意味はどうあれ、他人から「お前はケチだな」と言われて嬉しいという人は多くないでしょう。

ただ一部には、自ら意識的に「ケチに徹している」という人もいて、そういう人の場合は、他人から「ケチ」だと言われることがむしろ褒められているように感じるということもあります。

ケチには良いケチ、悪いケチがある

意識的であろうとなかろうと、一般に言われるケチにも良いケチと悪いケチがあると思います。

良いケチに徹することができれば、長期的には「得」になると考えられますし、悪い意味でのケチというのは、その場その場では得をしているように見えたとしても、長期的には結局大きな損になるのではないでしょうか?

まず、私が思うに悪いケチとはたとえばこんな感じです。

① 「無料」にこだわり過ぎる

とにかく「無料のもの」「無料であること」に強くこだわるタイプの人がいます。

無料と聞けば何でも欲しい。

無料で何とかできないかと、そのためにむしろ多大な手間や時間を費やしても気にならない。

無料でできることしかしない。

というか……私も含めて、たいてい子供の頃はだれでもそういう傾向があると言えるかもしれません。

しかし、ふつうは人生のどこかで自然に気が付くことになります。無料というのは、然るべき理由があるからこそ無料なのであって、通常、何らかの一定以上に価値があるものは必然的に

「それなりの値段が付いているものだ」

ということをです。

また、無料であることは、表面上はまったく何のマイナス面もないように感じるとしても、時間効率や機会損失の面から見れば、事実上は損をしている危険性も大いにあり得るということをです。

ちなみに、無料にこだわる人は同時に、しばしば

「世の中には、お金で買えないものがある」
「人生には、お金より大事なものがある」

というような言い方を好む人でもあります。

たとえば、知人や親類など、身近な関係者に何かのサービスや労務を依頼する際に、自分が近しい関係にあるから正規の値段を支払う必要はない、あるいは、そもそもお金を取られるのは心外だ……というような観念を持っていることがあります。

この場合、彼が言う「お金で買えないもの」「お金より大事なもの」というのは、つまりその

「無料でやってもらう権利」

のことを指している場合が往々にしてあります。

もちろん倫理的な問題もありますが、それは別としても、そもそも本当に得だと言えるのでしょうか?

② ひたすら倹約する

次に、悪い意味でのケチだと思うのは、対象が何であろうととにかくひたすらにお金を使わないようにすること。つまり極度の倹約家です。

上記と共通点もありますが……他のいろいろな側面(それは単純に損か得かという範囲を超えて)を総合的に判断して、それにお金を使うか、使わないのかといった判断をするならば良いのですが、単に

「お金を使うこと自体が必ず悪」

みたいな感覚になると、視野がどんどん狭くなり、結果として失うもののほうがきわめて大きいような気がします。

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③ 能力や労力、知識や情報などを出し惜しみする

これはある意味で上記の裏返しとも言えますが、短絡的にメリットが見られない時に、

「そんなことして何の意味があるの?」
「頑張っても何にもならないよ」

というふうに、自分ができることすら自ら制限をかけて、なるべく避けようとする態度の人がしばしばいます。

仕事の場面でも、たとえば、同じ給料をもらえるのであればなるべく手を抜いたほうがいい。特に評価に関わったり、直接上司に叱られると言ったデメリットが生じないのであればサボる。

……こういう感覚が身に染み付いてしまった人は実際のところ少なくありませんよね?

私は、こういう感覚というのは、上記のように「お金そのものを出し惜しみする」ことよりもさらにマズいと思っています。

なぜなら、少なくともお金だったら、出し惜しみすれば少なくとも直接的にはその分が手元に残る計算になりますから。しかし、自分の能力とか体力、それに知識や技術や情報というのは、使わないで温存することがそもそもできないから。それらのものは使わずにいればむしろどんどん委縮し、減少し、腐っていくだけだからです。

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「良いケチ」は得か?

一方で、私は「良いケチ」というのも存在し得ると考えています。もちろん、それを「ケチ」と呼ぶかどうかは分かりませんが、次のような意味での「ケチ」にはメリットが多いと思います。

① ムダな時間を惜しむ

基本的に、自分の時間を最大限有効に活用しようとするほど、無為に使ってしまった時間や、他人の都合などで奪われている時間に関して敏感になるものです。

もちろん単に、特に何もしていない時間はイコール無為な、むだな時間だとも一概には言えません。

ある場合には非常にゆったりとした、一種贅沢な時間の使い方をすることもありますし、またある場合にはたった数分でもそれをムダにすることに非常に厳しい姿勢で臨んだりすることもあります。

たいてい、その人の時間に関する感覚というのは、お金に対する姿勢と共通の傾向があります。

時間についてケチな人というのは、自分に与えられている時間に関して、それをできるだけ有効に使おうという意識があり、そのために自分の時間を自分のコントロール下に置くことを好みます

② コスパを幅広く考える

何かにつけ、常にコストパフォーマンスを考慮する習慣がある人は、良い意味でケチだと言えます。

ただし、一言で「コスパ」と言っても、それは上で述べたように単に極力出費を抑えて、限りなく安く済ませようとか、単純にお金の面で損か得か、という範囲でのみで考えて自分の行動を選ぶ人は、どんどん視野が狭くなり、その基準でしか物事を見られなくなっていきます。

その傾向自体が非常に損です。

良い意味でケチな人は、費用対効果をもっと広い視野で考えています。

たとえば将来的なメリットとか、自分や他人の精神的満足度とか、未知の事柄について知る機会を重視するとか、人生をトータルで見た場合にそれを経験すべきかどうかとか……最適な選択を主体的に総合的にしようとする。そのような態度こそ、意味あるコスト意識です。

そのためには、そもそも自分の視野をより広げるためにコストを支払わなければなりません。

そのような習慣を持つことが、結果的に、その場その場の感情や、状況の都合だけで常に物事を判断してしまう危険から自分を守り、長期的に見て非常に得だということです。

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③ すでに使ったお金を極力無駄にしない

ある意味で「カネ離れの良い人」のほうがカッコいいというイメージがあります。 また、過ぎたことをいつまでもくよくよ悩んでいるのは良くないとも言えます。

しかし、ここではあえて、一見その逆とも見える観点を挙げておきたいと思います。

それは、良い意味で「ケチ」な人は、ムダに金を支払うということに強い危機感、もっと言うと嫌悪感を持っているということです。

これは単にお金を慎重に使うということだけを言いたいのではありません。

同時に重要な点は、

「一度支払ってしまった金ならば、決してそれを無為に捨ててしまうような選択を安易にしない」

という一貫した態度です。

逆に言うと……ムダ金を投げてしまう傾向がある人は、過去の自分の選択や判断を、後から安易な気持ちで投げ出しても気にならない性格だということです

この傾向は致命的に損です。

とは言え、時には勇気をもって損切りすることも必要じゃないかと考えるかもしれません。

もちろんそうです。

仮に、自分が支払ったお金がムダになってしまうと推測されるときに、それを回収しようと躍起になって、さらに損害を広げてしまうような判断は誤った判断です。

そのように自らの傷口を広げてしまうような選択をしてしまう心理をサンクコストバイアスとか言います。

ただし、だからと言って(主観的には潔く)手放すこと、諦めることのほうが常に正しい、というような単純な気分的な判断しかできない……ということでは最終的には損失のほうが大きくなるのは当然です。

現実、どのような状況の時に損切りすべきか、それをどのような手法で行うかといった実際的な問題に対処するためには、やはり経験が必要ということになるでしょう。

とすれば、たとえば埋没費用をきっぱり諦めるという判断が的確にできる人は、それは過去に培った経験を将来に活かしているわけですから、その時点では以前に払ったコストを回収できていることになります

つまりその知識や経験を得るために支払ったコストは埋没コストではないわけで、そういうのを

「経験を買った」

と言うわけです。

「経験を買う」という言い方について

しかし、もしかするとあなたは今まで、その場の雰囲気や気分によって安易な判断に基いてその支払いを決めていただけかもしれません。

それは元を質せば、お金に限らず

「自分の判断を将来いつでも反故にして構わない」

というつもりでいるということです。

良いケチというのは、そういうこと自体が許せない人のことです

そして、実質的にはその経験から何も学んでいないのに、

「まあ、こういう時もあるよね」
「これも経験のうちだよね」

とか言って同じような行動や選択を繰り返しているとすれば、それに支払った金銭も経験も時間も……それこそまさに

「捨て金」

意外の何物でもありません。

だからあなたのポケットには、いつも金がないのです。

自分の明らかな失策や、不本意な結果に遭遇した時に

「良い経験をしたと思って……」

とか

「いやあ、何事も勉強ですな。はっはっは」

というような言い方をすることがありますね。

たしかに、そう考えたほうが妥当な例もたくさんあると思います。

ところが、ある意味ではこういった言い方は非常に便利な「思考停止の道具」にもなりますよね

とりあえず、言葉の上で「経験だ」「勉強だ」と言ってしまえば、少なくとも何となく気持ちとしては免責される。それはそれでもう決着がついたものという気分になることはできるわけですから。

……でも、このような言葉に逃げてはいけないのではないか、と自らを振り返る必要があるのです。

「良い経験をした」
「学びを得た」

そのことが事実上投資となるのか、それとも単なる消費(しかも、結果的に自分の快楽や喜びにもならない単なる浪費)となるのかは、それを今後何にどう使っていくのかにかかっています

要するに、良いケチというのは、自分が支払ったコストや代償を、きちんと回収できているかどうか、どうしたらより実りのある形で回収し得るかという点に固執する人です。

しかし、ただのケチは回収がどうであろうと単にコストや代償そのものを極力避けるのです。