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決断とは「退路を断つ」という意味ではない
成功や、目標達成を考える人にとって最も重要なマインドとして
「決断する力」
が挙げられます。
決断するというのは、いわば何かを成し遂げようとする際の第一歩と言える決定的な行為であり、最低条件である……とも言えるでしょう。
ところが、一方では
「決断できない」
「決断するのが怖い」
と感じている人が多いのも事実です。
その理由や精神的な背景はいろいろ考えられると思いますが、その内のひとつに
「ひとたび決断したら……もう後には戻れない。それ以外の選択はない」
というような、幻想の恐怖感にとらわれすぎているという人が多いように感じます。
決断とは?
決断とは、ふつうの意味で言えば
「物事の判断や意思をはっきり決める」
ということです。
単純には、それだけのことです。
ところが、ビジネス書や自己啓発系の情報を見ていると、しばしば、
「決断とは、決めて、断つことだ」
とか
「他の選択肢を自ら捨てる覚悟のことである」
とか……そういう言い方をする場合があります。
私も自分でもそういう表現をする場合はあります。
場合によってはある意味分かりやすいので。
幻想の恐怖とは?
ところが、人によっては、このように表現すると、決断というのは
「あえて背水の陣を敷くこと」
「自ら退路を断つこと」
とか
「生命を賭けて誓うこと」
「失敗したらすべてを失う(失っても構わない)」
というふうに……つまり、もしその決断の通りに事が運ばなかったならば、もう取り返しは付かないのだと。それでもいいのだと覚悟を決めることだと。
要するに、究極を言えば「ハラキリ」ですよね。
……そのようにイメージする場合があります。
で、そっちのことばかり考えてしまうと、そりゃ恐いですよね?
決断しようと思っているのに、実際には、上手くいかなかった場合にどうなるか? つまり「ハラキリ」のことばかり思い浮かべて、その恐怖心に打ち勝とうと勝手に悪戦苦闘している……。
それでは、決断するのが余計に大変な、取り返しのつかない、とんでもなく恐いことに思えてくるのは当たり前なのです。
退路を断つから「本気が出る」?
よく言う「背水の陣」というのは、史記に出てくる韓信という武将が、数で劣る自軍をあえて後方に大きな川のある場所に配置し、絶対に退却できない状況を作ることで兵士たちの決死の覚悟を固めさせて敵を破ったという話に基いています。
この故事になぞらえて、政治家とか経営者といった人たちが
「まさに背水の陣という覚悟で、戦う所存です」
というような表現をよく使いますね。
なので、
「決断する」
という時にも、一度決めたからには絶対に後戻りはできない。前に出るしかない、進むしかないという決死の覚悟を持つことが必要なのだと、そういうイメージを持ってしまう人もいるのです。
そして、自らを窮地に追い込むことで、通常なら発揮できないような異常な力を出すこともできるのではないかと……淡い期待のようなものも持つでしょう。
これは、よく転職する時や、会社を辞めて独立起業しようとするときなどにも言われますよね?
退路を断つからこそ本気になれる。
退路を断ったからこそ、自分は成功できたのだ、と。
しかし、これは「必ずしも」正しくはありません。
もし私なりに、より正確に言うとすれば、それはその人が
「本気できちんとやったから、退路を断ったけど大丈夫だった」
のです。
問題は退路があるかないか、じゃなくて、本気できちんとやるかどうかのほうです。
問題は「確信が持てるかどうか」だと思います
では、どうすれば「本気できちんとやる」ことができるのでしょうか?
……となると、それはある意味単純な話で、それは自分がやろうとしていることの、期待値が十分あって、やる価値も十分あるという「信頼感」が高い時です。
言い換えると、あなたが想定しているその目標とか、行動計画などが、ほぼ絶対にその通りにうまくいくはずだという確信があるときです。
ということは、もちろん逆に言って、その目標や計画が、確信が持てる程度にきちんとした、妥当で蓋然性の高いものである(とあなたが思える)ことが必要です。
意外かもしれませんが、それを実際に行っていくために、
「ふだん発揮できないような異常な力」
は、あまり必要ではありません。
【人は本来自然に持っている「基準値」に沿ってしか行動できない】
むしろ、そんな異常な力が出ないとできないような目標や計画って、確信持てるわけがないですよね?
……実は、自分がはっきりと確信を持てるような明確なゴールとか、それに至る信頼に足る計画とか、そういうものを見つけ出すこと、あるいは作り上げること。
どちらかと言えば、異常な力が必要なのはこちらのほうです。
ふだん私たちは、そのようなことを明確に、発想豊かに考え得るほどの思考力や労力を……悲しいかな、ほとんど使っていません。
ちょっと空想に耽ってみたり、たまには「よし、やるぞ!」と気合を入れて見たりはしますが……それに留まっています。
それでは、まともに何かを「決断」できるはずがないのですね。
「退路」について考える必要性
自分の定めた目標や、達成したい結果、成功、実現。
そのために必要な決断というのは、
「それが絶対に叶う」
という確信です。
「それは必ず現実に起こる」
という信頼です。
決断というのは、その、自分が決めたことに対する信頼、そして確信のことです。
それ以外には何か条件のようなものは存在しません。
「決めて、断つ」
という表現は、実際には
「それ以外の別の選択肢について、くよくよ考えることをやめる」
と言っているわけです。
「他に逃げ道はない。負けたら終わりだ」
とか、そういう意味のことを強調したいわけではないのです。
実際に、他の選択肢があり得ようが何だろうが、実は何の関係もないですよね?
確信しているのであれば。
むしろ、そんな関係ない「逃げ道」とか「他の選択」のことを心のどこかに留めているうちは、確信が持ててないわけです。
もう逃げ道はないぞ、と自分に言い聞かせているのは、逃げ道のことが意識にあるからですよね?
他の選択肢を断とう、断とうと考えている間、あなたはずっと他の選択肢のことを意識に置いているわけです。
「退路を断つんだ」
と考えることは、
「退路のことを考えているのと、本質的には同じです」
同じ意味ですが、
「命を賭して」
と言っても……どうせ成功するのであれば、何かを賭ける必要はありません。そもそも。
賭けにもならないんで。だって絶対起こるんだから。
決断とは、決めて断つことなのですが、実際のところいったい何を断つのかを端的に言えば、それは、何を断つかを考えるのを断つのです。
退路を断つというのは、実際に退路があろうがなかろうが
「そんなことを考えるのをもうやめる」
という意味です。その思考を断つという意味なのです。