自分にとって重大だと思える時ほど、人はふだんの前提を忘れて
「特別な選択」
をしようと考えて迷い始めるものです。
もちろん、
- 常にリスクが低いほう
- 常に常識的なほう
というような単純な基準で進むべき道を決定するわけにはいきません。
逆に言って私は、しばしば成功者の名言などにあるように
- 常に自分にとって困難な選択をするべきだ
- 常にリスクがあるほうを選ぶのが信条
と言うつもりもありません。
そもそも、このような
「唯一の単純な基準で常に選択する」
という考え方そのものが現実的ではありません。
しかし、迷い、不安に陥っている本人にはそれが見えません。
迷ったら、迷っている自分をメタ認知する
人生の岐路というような、大きな選択に迫られたとき。
あるいは、今まで自分が進んできた道とは、まったく異なるもう一つの選択肢が現れた場合。
あるいは、自分が進んできた道について
「これは本当に意味があるのだろうか?」
「もっと他に良い道があるのではないだろうか?」
……というような疑問が湧き上がったとき。
つまり、迷いに陥ってしまったとき、本来あなたが取るべき行動はどんなことでしょう。
それは特効薬のような唯一の判断基準や、単純で迷いようのない条件や根拠を探し求めることではありません。
自分では何とも解決し難いような迷いが生じたとき、あなたが真っ先にしなければならないことは、迷っている自分、不安になっている自分自身の状態を、メタ認知によって正しく捉えることです。
ところが厄介なことに、私たちは、すぐにその「迷いそのもの」に対応しようとしてしまいます。
そして、今の私たちの環境では、パソコンやスマホでちょっと検索すれば、おそらく何かしらの手段とか、あるいは選択の根拠らしきものを探し当てることは実は難しくありません。私も何度となくそうしてしまったことがあります。これは本当にひんぱんにあります。
私たちって非常に便利な時代に生きている反面、それらの情報によって常に迷いや混乱が生じやすい環境にあるとも言えますよね?
たいてい、どんな情報やノウハウを見ても、探せば必ずそれと相反する意見が同時に存在していることが分かります。
もちろん、新たに発見したコツとか? 発表された知見とか……都度そういった未知の知識や情報を取り入れることは一方で非常に有効な場合もあります。
しかし、それはたとえば
- 自分の考えに固執し過ぎないこと
- 過ちを素直に認め、すみやかに修正すること
- 常識や固定観念にとらわれないこと
といった、より本質的な、あるいはよりメタ的な流れに沿っている志向である限りにおいて有効です。
そうでない場合、つまり、ふと不安にかられて何か別の情報はないかと手探りしてしまったような場合などは、そういう意識に基いて判断した結果として不安になっているのではありません。
思考の本流と支流
仮に自分の思考や認識、発想の流れを川の流れにたとえるならば、今考えていることや、迷っていることが
「メインストリーム」
にあるかどうか、という点をメタ的に観察してみることです。
つまり、今迷っている自分、その迷いを迷いとして認知している自分は、源流から大海に至る「本流」にいるかどうか……という意味です。
それとも「支流」に入り込もうとしているか?
不安や迷いに駆られてメインストリームから外れようとしているのではないか?
と疑う必要があるわけです。
メインストリーム(Mainstream)という語は、意味としては「主流」「本流」というような意味ですよね?
昨今、たとえば
「正しい、誤っている」
とか
「これは善いこと、これは絶対悪いこと」
というような画一的な基準が通用しなくなってきています。
価値観や判断基準が多様で曖昧なんです。
あるいは単に
「多数派? 少数派?」
「伝統的? 革新的?」
といった基準でも判断できない場合があります。
そこで私は、あえてメインストリームという言葉を好んで使います。
言ってみれば、
「今のこの迷いは、より本質的なものから出てきたものか?」
「それとも、本質的な流れから外れようとしているか?」
ということをメタ認知を意識することによって自問自答する感じです。
目先の利得や、リスク……。
あるいは、一見正しいと言えるプロトタイプな解釈や、本来的でない価値判断によって……。
自分が気が付かないうちに、より本質的な流れから外れようとしている危険性に気が付くべきなのです。
たいてい、その瞬間瞬間においては、自分が当事者として行動している最中ですからたくさんの試行錯誤や紆余曲折があるように見えるでしょう。
しかし、おそらく成功に至る道というのは、後から振り返ってみると結局は
- だれでも知っている当たり前のこと
- だれでも理解でき、受け入れられるシンプルなこと
- 疑う余地もないくらいに妥当なこと
つまり、より本質的な流れで見るとたいてい極めて「順当」な道筋になっているはずです。
その確固としたベースとなる流れ、つまり意識の上でのメインストリームに自分の思考や行動が乗っていることが原則なのだと私は思います。
そして、その前提で今起こっている問題や、迷っている自分を見つめ直すと、
「そもそも自分が迷っている選択肢、それ自体がすべての選択肢ではない」
ということも気が付きやすくなります。
あれか、これか……?
と単純な二者択一としか認識していなかった問題が、実はもっといろいろな選択の可能性を含んでいるということが見えてきたりするでしょう。
これはおそらく、平時に冷静に考えればたいていだれでも認める当然の原則と言えます。
そして、自分の過去の判断の結果や、経験を振り返れば後からだれでもそう思います。
……でも、迷いや不安の中にいるその瞬間には忘れてしまうのです。
いや、おそらく人はそれをあえて見ないようにしようとするものなのですね。
もちろん、その流れの中にあっても、時には奇抜なアイディアや、裏技、非常識なノウハウといったものが活きることももちろんあります。
しかし、メインストリームから外れてしまうなら、最終的にはその考え方や方法論は大海へは至らず、どんどん支流に逸れていき、先のどこかでいずれは涸れてしまうのです。