言葉の「意味」についての考え方を明確にしておくことは自分の思考を整理するために有効です。
言葉の意味というのは「点」ではなく「領域」のイメージに近いものです。
意味の領域
「地域」にたとえてみましょう。
たとえば、あなたは今ぶらぶら「東京」を歩いているとします。
それで今、あなたがいる場所がたとえば新宿区のど真ん中にいると分かっているとき、適当に歩いているうちにいつの間にか東京都内からはみ出してしまうかも……というような心配はまったくないですよね?
けれども、もしあなたが東京都のごく郊外にいた場合、あなたはもしかすると歩いているうちに埼玉県とか、神奈川県、千葉県というような隣接する他県に進入している可能性がないとは言えません。
領域というのは、特に境目が問題になりやすいです。
そこで、あなたが自分のいる場所を確認するにはどんな方法があるでしょうか?
……それには、まず地域区分を示す
「ここから埼玉県」
というような看板があれば良いですね。
または住居表示を確かめてみるとか。
それによって明確に
「この地点からは埼玉県だ」
といったことが認識できます。
もうひとつの手段は、地図を持って歩くことです。
あるいは、今だったらスマホで現在位置が見れます。
そういったものがあれば、それを頼りに自分のいる地点を俯瞰的に認識することができます。
境界線
ところで、地図には県境などを示す「線」が引いてありますよね。
言うまでもなく県境というものは、自然に発生したものではなく人が決めたもので、その線は現実には存在しない架空のものです。
……というか、そもそも住所とか、都道府県とかいった区分そのものが人間が決めたある意味バーチャルなものと言えますけど。
とにかく、言葉というのも一種の「バーチャル」であって、日常ごく自然に使っている言葉の意味も、あらためて意識的に線引きすることで比較的はっきりした概念を規定することができるはずです。
領域のズレ
たとえば他人と議論するときや文章を読むとき、そこで使われている語に対して自分がもともと持っている概念や感覚をそのまま当てはめてしまうと述べられている論旨が的確に読み取れない場合があります。
それによって議論が噛み合わない場合が出てきます。
さらに、それによって自分でも気が付かないうちに自分の意見や価値観まですり替わってしまうことすらあり得ます。他人の主張と自分の意見との差や関連性があいまいになり、次第にその小さな差に鈍感になっていったりします。
このような問題はもとをただせば、語や概念に対する意味的領域のズレに無頓着だったことに起因する場合が少なくないのです。
ただし、逆にいつもいつも気にしていたらそれがかえって負荷を高めてしまうでしょう。
だから、それが必要な場合だけ確認すればいいのであって、論旨や主張において
「どの語がキーになっているか?」
といった点に敏感になりさえすれば、これはそれほど難しいことではありません。
先の例でいえば、単に散歩している途中で東京都と埼玉県を明確に区別しなくても特段の支障はないでしょう。ただ、時々必要に応じて現在地点を確認できる準備があれば、問題ありません。
あいまいさを活かす場面
もちろん言葉は思考のツールであると同時に、拡散的に発想を広げるとか他者に自分の意思や物事を表現するとか、それぞれに重要な役割も担っているものです。
むしろ、そのような自然発生的なあいまいさは有益であることも多いのです。