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作表する意味
ところで私たちは何のために作表するのでしょうか?
それはまず
① 情報などを分かりやすく整理して示すため
だと言えます。
業務上のタスクやスケジュールなどもそうですが、たとえば自分の発想したことや、随時入ってくる散在した知識や情報など……これらはいったん表としてまとめるとすっきりはっきりします。
つまりこの場合にはデータが先にあってそれを表として提示します。
私たちはふつう
「要素を整理するために」
表を用いようとします。
けれども……先に表が与えられることによって初めて何が必要かを発見できるという場合もあります。
つまり
② 全体の構造から要素を推定するため
ということです。
よくありがちなことですが仮にだれかにテーマだけを与えて
「これについて思っていることを全部書いてください」
と指示しても多くの人は
「さて何を書いたらいいんだろう」
と途方に暮れます。
子供が作文を書けないときと同じです。
もしすらすら書けたとしても、それはたぶん主観的な選択を含んだごく偏ったものになることが少なくないのです。
そこで手段としてよく用いられるのはあらかじめ定めた項目ごとに逐一尋ねる方法です。
するとごく自然に各項目が埋められてゆくのを見ることができます。
これよってより多くのしかもより網羅的なデータを引き出すことができます。
こういったものを
「フォーマット」
などと呼びます。
私たちは先にフォーマットを与えられて初めて思考できるという面も少なからずあります。
構造は使い回せる
ウェブサイトやブログを作成する際あらかじめ用意されている
「テンプレート」
というのもそうですね。
これを用いるとそこにどんなデータを入れるとしてもその全体の構造や実際に表示されるデザインなどが固定的に決定されていて私たちはその雛形に従って原則
「中身だけを考える」
だけで済むようになっています。
それはある意味で「制約」とも言えますが、その範囲に置いて思考を強力に補助し推進する力になっているとも言えます。
そしてテンプレートは使用許諾等の問題は別として技術的にはだれもが共通して用いることができます。
つまり使い回しが簡単にできます。
これらの例は、思考というのは先に構造を与えられることで容易になるということを表しています。
そして、平面的思考は構造からのアプローチが容易であるという特徴があります。
平面的思考ではまず有限の全体を特定した上で思考を進めるからです。
また扱う問題にかかわらず構造そのものは多くの場合汎用性があるという点も注目に値します。
平面における包含関係
包含関係とは、ある分類が他の分類の一部、場合によっては全体を含んでしまうような関係のことです。
数学の集合の授業を覚えている人も多いでしょう。
「部分集合」
「補集合」
などといった用語を思い出しますよね。
前に述べた
「AかつBである」
「AまたはBである」
というような分岐の表現は、包含関係と整合性があります。
たとえば日本人は全員
「成年または未成年」
です。
成年かつ未成年であるということはあり得ないのです。
ここで今私は35歳の男性であるとすると
「私は日本人かつ成年である」
と
「私は集合(日本人)と集合(成年)に同時に含まれる」
……これは内容的に同じことを表しています。
以上は事実上当たり前なので特に混乱をきたすこともありませんよね?
けれども、現実の諸問題を考えるときには授業で取り上げられる例のように容易に理解できる場合ばかりではありません。
それはまず相互の関係性の複雑さや条件の数によります。
ただし、それだけではありません。
包含関係を考えるときにはまず
「その土台となる全体をどこに置くか」
ということが前提的な問題で、現実の問題の中にはそもそも全体というのをどのように規定するかという点からして一概に言えない場合も多いからです。
たとえば先の説明的な例では
「すべての日本人のうち」
というのが全体を規定しています。
厳密には永住権を取得した外国人や、現在時点で日本国内にいる外国籍の人をそれに含むのか含まないのか……とか、言い出せば議論の余地はありますよね?
……といっても、これはある意味技術的な問題であって思考が混乱するようなことはあまりありません。
ところが、実際に思考の対象になる事柄はもっと抽象的な概念とか、定義からして異論がある場合など……前提からして必ずしも明確ではない場合もあります。
むしろ錯綜しているからこそ分析が必要になるのです。
いずれにしろ、平面的思考ではまず
「全体」
を意識するのがひとつのポイントとなります。
たとえば今まで線の思考によって結び付けていたそれぞれの概念の位置付けや関係性、そしてその中に厳密には何を含み何を含まないのかといった線引きの問題についてより明確な理解が可能になります。
包含関係とMECE
ところでMECEというのは当てはまるすべての要素を漏れなく取り込まなければなりません。
同時に要素それぞれにただ一つの場所がダブりなく与えられなければなりません。
MECEは漏れなくダブりなく(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)の略語です。
ところで、
「平面をMECE的に区分する」
ということは……言い換えると区分したそれぞれの要素には包含関係がないということを意味しますよね?
包含関係が存在するということはそこに2つの分類を同時に満たす要素が存在するということだからです。
何かを精密に分類するとき、そこに包含関係らしきものが見出されたら思考の前提に何らかのねじれがないか疑ってみる必要があります。
イメージ的には、数学で習ったように
「選択した2つの直線がねじれの関係にあると1平面が特定できない」
のに似ています。
……って抽象的には何となく理解できると思います。
けれども実際この点でよく整理されていない図表を多く見かけます。
たとえば同じような趣旨の項目名が何度も出てきて配置や順番もおかしかったり、前提的なテーマとより詳細な話が入り組んで並べられていたりします。
説明の便宜上そのような配置にしてあるとか、意図的にそうしている場合もあり得ますけど。
それは思考のためではなく……思考の結果を他者に分かりやすく表示するための技術ですね。
けれども、作表した本人の思考や意図がねじれていたり、はっきりしていないために何となく配列された図表というのは、厳密に言えば思考の不十分さを表していることになるでしょう。
実際にそのような書類は多いのですが、それでも見た目がきちんと整っているとそれなりに受け入れられてしまうものです。
しかし、それは平面的思考の意義を十分に活かせていないことになります。